名著『技手の時代』を読んで、その書評を書いていたんですが、小路さんが描く実業教育史のなかで一つのひっかりがありました。小路さんは、資料ベースで飛んだ議論をなさらない方なので、あまり掘り下げておられないのですが、実業教育のもう一つの重要なテーマは倫理でした。もちろん、1910年代から20年代にかけて、実業補習教育から出た公民教育が重要な役割を果たし、それが普通教育のなかに浸透していったことは小路さんもよく分かっていて、安岡正篤らの職分論なんかも検討しているのですが、なかなかその先まで突っ込んで行ってくれない。

なぜ、この時期に実業教育から公民教育が重要になったのかにはざっと考えると、いくつかのフェーズが考えられます。まず、大正期には学校制度があんまり社会から遊離していて、このままじゃダメだろうという反省が起こったこと。ちゃんと社会と結びつくという意味で実業教育の重要性がクローズアップされました。もうひとつは、時期的に普通選挙が実施されるようになると、公民(国民、ないし、市民)教育が重要になってきました。さらに、普通教育の最高機関の学生たちが軒並み左傾化するなかで、倫理が重要になってきたわけです。

小路さんは由井常彦先生の研究を引いて西田哲学と倫理の関係なんかも触れているので、この重要な問題をよくご存じなんですよね。由井先生の経営思想史研究って、私も直接先生からお話を聞いて、禅の重要性とかを教わったわけですが、ほとんどの人は注目していないんじゃないかと思います。それがさらっと書いてある。

なんでこの話を書くかというと、中澤二朗さんの『働く。なぜ?』はそういう忘れられた仕事と倫理の問題の探求の書ではないかと感じていたからです。これ自体が修養の書と言ってもよいでしょう。

この本を取り上げるにあたって、マシナリさんが「会社の仕事の土台は「行動量」」ということで、仕事の「量」が大事だという話に注目されているのは興味深いですね。これは研究も同じ事がいえるので、とくに歴史研究であれば見た資料の数であったり、あるいは読んだ本の数(ちゃんと自分の糧にしたという意味ですが)が研究に奥行きを与えるんだろうなと私も思います。どんなに若い頃、評判を取って、その後大家になった人でもその遺産を食いつぶしている人というのはいるわけで、それは見る人が見れば分かります。

マシナリさんも引用されている加賀乙彦がラッシュの新宿の群衆をして「非常招集された兵隊」と描いたという話ですが、1960年代の会社人、特に戦争を経験した世代はそういう意識を持っていたと思います。というのは、少なからぬ人が若くして戦争で死んだ友人たちを安心させるために復興し、経済大国を作ろうとしたわけですから、文字通り、戦争の延長戦という意味があったわけです。だけど、その経験は中澤さんなどの戦後世代では共有されていないし、共有する必要もないと思います。それとは別の何を作るべきなのかなのです。

これだけ過労死やメンタル・ヘルスが注目を集める時代になると、はっきり言って、仕事を中核にだけではなかなか難しいなと感じました。たとえば、キャリア論なんかは人生全体をキャリアと見立てて構想されているわけで、そういうものが入り込んでいます。仕事か趣味かというつまらない二項対立は論外にしても、地域社会のなかでどう生きるのかは退職後の人生の中でも重要なことですし、無視し得ない。

この本を著者から恵贈された労務屋さんがやはり、長期雇用・長期育成に対する堅固な精神で書かれた本と紹介されており、それはそのまま、新日鉄住金だけでなく、トヨタ自動車の哲学もそうなんだろうと思いますが、一番大事なところはそこではなく、仕事観と人生観に触れる部分なんだろうという風に感じました。

私、学生に話そうと思って、わりとすぐにこの本を読みました。しかし、読み終わって、この本は使えないなと思いました。これはちょうど私やもう少し若い20代後半から30代前半の人にこそ大事な本ではないかと思うのです。若いうちはがむしゃらに仕事をして、少し余裕が出て、次に忙しくなっていくその間にふと立ち止まって読むといいんじゃないでしょうか。

でも、結局は人と人のリレーの話なんだと思います。私の心に残ったのは中澤さんの上司の大江さんの話です。それは結局、長期雇用や長期育成ということではなく、ただコツコツと小さな作業を積み上げて、大きな仕事を成し遂げるということに尽きると思います。藤田若雄の影響を受けた大江さんについて、大江さんの部下だった中澤さんが無教会派・藤田の源流である内村鑑三の言葉で語るのもなかなか粋です。

考えてみれば、『技手の時代』というのはそうやって働いてきた日本人を描き出そうとした本で、そのことは何より著者の小路さんが奥田健二さんの研究を継承したいと願い、そうして、大江さんの翻訳のように、自身が30数年かけて大成させた本なんです。数ページずつでいいので、ぜひ読んで欲しいですね。

いつだったか、小池先生が何かの折に、ともに働くことを通じてしか倫理は生まれないというようなことをおっしゃったことがあって、いつも折に触れて思い出しては考えてみるんですが、『働く。なぜ?』はそのときのことをまた思い出して考えさせる本でした。
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