吉田久一先生は言うまでもなく、日本社会事業史の大家であり、かつ、学説史をホームグラウンドに持つ理論家でもあった。それもそのはず、日本の社会福祉研究というものが確立していなかった頃から、ずっと第一線の研究者であり続けた。しかし、博識ゆえに分かりにくい部分もあった。というのも、論理的に難しいというのではなく、広範な二次資料に目を配られていて、この雑誌のこの論文にこの用語が使われたとか、この用語を冠した講義が開設されたとか、そういうことを時期区分の指標にされたりするので、要するに、知識不足のこちらとしては判断のしようがないのである。

その吉田先生が日本の社会事業は外国のものを無秩序に翻訳するに忙しく、理論的に十分、成熟せずに、時折思想の力を借りざるを得なかった、という画期的な見解を提示されたらしい。この提言を受けて、実は西洋でも事情は似たようなもので、しばしば理論的な精緻化の及ばないところを思想が埋めてきたと指摘した上で、その概説を岡田英己子先生が書いた(はず、というのも肝心のお二人の共著『社会福祉思想史入門』がプリントと本に埋もれて見当たらないので。吉田先生の本も読んだはずだが、記憶には残っていない)。

実際、理論の摂取と言っても人文社会科学の領域では、しばしば思想から離れられない。そして、その思想はその思想家の生きた時代からしばしば自由ではないのだ。というようなことをわざわざ書いたのは、松田宏一郎先生がすごい問題設定の論文を書いていたから。すなわち、
本章では、大正期から昭和初期にかけての法思想をてがかりにして、本書の研究テーマである「社会集団」が法の枠組みのなかで機能する概念としてどのように構成されていったのかを考えたい。具体的には「団体」を権利主体として扱う理論の展開を中心に検討する。しかし、本章の関心はそのほう理論的構造そのものの分析ではなく、あくまで当時の時代思潮を背景として、その法学理論がいかなる政治・社会思想と結びついていたかにある。

引用文中、本書とは『戦間期日本の社会集団とネットワーク』である。本自体は面白い論文もあり、そのうちまた、取り上げたいが、全体的に見れば、玉石混淆といったところだろう。

また、マニアックもマニアックなテーマである。論文タイトルは「戦間期の法思想の「団体」の理論構成」である。しかし、じっくり味わって書きたいので、また、続きは後日。

すみません。水曜日くらいですかね。
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