なんか春に参加した熊沢先生の講演の雑感をアップしてなかったので、そのままアップしておきます。

昨日は熊沢誠先生の『私の労働研究』の出版記念講演会に行ってきました。amazonの書評で私が書いたことがとても印象に残ったらしくて、先生から講演の中でそのことにも触れるからということで、お誘いいただきました。講演会自体はそんなに人数がいないのですが、熊沢先生の読者の方、それから研究者も何人かいらしていました。


私の労働研究私の労働研究
(2014/12/25)
熊沢誠

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会場では急に振られて、私もコメントが難しかったのですが、ちょっと思うところをまとめておきます。私は今でもそうですが、あまり社会科学ということに重きを置いていません。エッセイストという揶揄はおそらく仁田道夫先生が昔、熊沢先生と論争したときに書かれた「労働著述家」という表現を、おそらくその後の後輩たち(私も含めてですが)の間で語り継がれて来たということだと思います。その受け取り方は様々で、仁田先生、よく若いときにこんなことを書いたなという畏怖の気持ちで語る人が多かった気がしますが。ただ、熊沢先生の本と制度学派的な経済学をベースにした社会科学との間に、違和感を覚える人たちがいるというのも分かります。その違和感は何なのか。

自分が描いた労働者がリアリティがあるかどうか、その一点に尽きる、そう熊沢先生はおっしゃっていました。結論から言えば、熊沢先生の作品は文学作品に限りなく近い、あるいは社会科学の中でも文学よりの作品である、と思うのです。そのこととを解き明かすヒントは、熊沢先生が文体のことに触れて、丸谷才一の『文章読本』にある「文章はちょっと気取って書け」ということを堅持していると仰っていたことにあるように思います。私も10年くらい前には丸谷才一の書いたものはよく読んでいて、今でも『思考のレッスン』文春文庫なんかは研究にも資するところがあるように思います。


思考のレッスン (文春文庫)思考のレッスン (文春文庫)
(2002/10/10)
丸谷 才一

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ちょっと今となっては記憶もあいまいでどの本に書いてあったのか調べられないのですが、丸谷才一は研究論文のように注を書くのが面倒くさくなってきたということを書いていました(対談だったような気もするので、語っていた?)。丸谷は研究を書こうと思えば書けるけれども、そのマナーを選ばなかったということなのです。では、彼が評論という形で描いたものは、研究という形式で書いたら、何かが違ったのだろうかという疑問が浮かびます。もちろん、マナーが違うので、読みやすさは変わるでしょう。しかし、たぶん、描くべき中核の部分は変わらないと思います。

熊沢先生のマナー(流儀)はどうなのか。これが非常に微妙なところです。
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