日曜日に日米社会学史茶話会で報告して来ました。報告内容は、社会政策の立場から社会学とか社会調査とかこんなことまで抑えているんだよ、という話をしてくれ、という依頼だったので、大まかに社会政策の変遷を語って、社会政策・社会福祉学(ないし社会事業学)・社会学の由来が日本では独立している事情などを話してから、明治以来の社会調査を軽く一望して、1920年代くらいに領域社会学が立ち上ってくる話をしました。書いてて思ったけれども、社会行政の成立過程って、あんまりいらなかったかもなあ。

えーと、某所で君のブログは傷ついている人がいっぱいいると思うよと言われたので、名前はなしで行きます。ただ、社会政策関連の方もひそかに?見ていらっしゃるらしいので、予告しておきますが、社会学的社会政策の議論に関して言いたいことがあると言われ、それはここでやるより、社会政策学会の方がよいと思います、という発言をいただきましたので、記して、楽しみにしています、ということだけは書いておきます。

もう数日、経ってしまったので、すでに記憶が曖昧なのですが、その後、教育関連の話を森さんがfacebookに書いていて、それで教育社会学の成り立ちに少し思いをはせました。というのも、一応、戦前にも田制成重という人が教育社会学をアメリカから輸入しようとして、本を出版しています。1920年代のことです。でも、結局、戦前に教育社会学という分野は根付かなかった。本格的に再出発するのは戦後です。

そういう風に考えると、ちょっと領域社会学の成り立ちの時間差を考えるのも面白いなと思います。たぶん、時間的には、法社会学、農村社会学、家族社会学が一番早くて、その次に都市社会学でしょうか。都市社会学の成り立ちをどこに求めるかというのは一つの論点ですが、私のように池田宏(あるいは井上友一)も入れていいんじゃない?と考えれば、1910年代ですし、山口正の本ということであれば、1920年代ですし、スタンダードな奥井復太郎からということになって、彼がやっていた都市経済学と都市社会学を分けて考えるということになれば、1930年代かあるいは1940年の『現代大都市論』になるかもしれません。いずれにせよ、この三つは早い。

それに比べると、教育社会学と産業社会学(その前段としての職業社会学)などは少し遅いですね。高田保馬なんかが分業を重視していたことを考えると、なんで職業社会学のようなものがもう少し早く出てこなかったのかは謎です。でも、尾高邦雄『職業社会学』が1941年だから、そんなものか。

今回、社会調査を当時の人たち(戸田貞三、山口正)が考えていた範囲、すなわち社会事業的な実践としての調査から始まったものとしてではなくて、もうちょっと現代の社会調査で考えられてる広い範囲、行政の調査なんかも入れて考えましょうという風にしました(行政調査を考えるときは行政が重要だけど、それならもっと本格的に必要だった)。それはなぜなのかということなのですが、領域社会学の成り立ちを考える際に、その材料を提供したのは明らかに司法調査や慣行調査なんですね。社会改良主義的な調査だとそのことが入ってこない。

こうした調査を入れてくると、欧米からの輸入だけでなく、日本の中で育ってきた学問、具体的には国学の存在を見逃すわけにはいかないんですね。国学の研究というのは、意外と根強くあって、それこそ近世以来の伝統を継承しているなという感じなんですが、とにもかくにも手堅い考証がベースです。若いとき、私は「実証」という言葉を嫌って、「考証」という言葉を好んで使ってましたが、何かの法則を確認するような「実証」ではなく、モノ・コトそのもののありようを「考証(事実の再現)」を目指したからです。今ではそんな細かいことはあんまりこだわらない(というか、そこからスタートすると議論が進まない)のですが、そうだったな、とこの間、大分、懐かしく思い出しました。まあ、この話をしたのは一人の友達だけですが。

結局、法社会学と農村社会学が早めに成立し得たのは(日本場合、家族研究は農村研究から出ている側面が大きいので、とりあえずオミット)、社会調査の成果なのではないかという気がするんですね。入れ物だけだったらたしかに欧米から輸入してくることが出来るんだけど、その社会を社会学する素材=中身までは輸入できないので、自分で調達しなければならない、ということじゃないかな。

研究会のなかで1924年の社会学会創設の頃、当時の若手であった高田保馬たちが綜合社会学から領域社会学を重視するということを主張していた話が出てきました。領域社会学というか、ジンメルの形式社会学の話のような気もしますが、言っていることは同じでしょう。ただ、これはそれこそ昔、清水幾太郎が自伝で回想してましたけれども、これよりもっと後の時代、学会で綜合社会学が古くなってしまった当時、ある飲み会の席で綜合社会学が揶揄される場面があり、清水はその場で同調するフリをしてしまうわけですが、あとから考えてみれば、コントを研究している自分こそが異を唱えるべきではなかったか、というんですね。清水は、その揶揄した面々を見て、本気で綜合社会学を批判して形式社会学の優位を探求した人はいなかったし、自分も含めてそういう人間関係の空気に流されてしまうことこそが学問を停滞させている(というところまでは書かないで)ことを暗示させています。

社会学に限定していえば、綜合社会学を廃棄したことは、サイエンスという言葉が持っていた「体系性・総合性」を後退させたといってよいでしょう。それはそのまま、手続きを重視する「方法」探求の方向に向かわせていった。それにある程度のストップを唱えたのがミルズの「社会学的想像力」の議論じゃないかなと思います。ミルズの批判は、一方でパーソンズの機能主義に向けられ、他方で組織化する社会調査とその歯車になっていく社会学者に向けられていました(と思っているけど、読み返したら違うかな)。このあたりの混交が、社会学、とりわけ歴史社会学の著作が門外漢の私をして、面白い素材はいっぱいあるけど、なんの話をしてるのか分かりにくい、という気にさせるのではないかと疑ってます(この話はまあ、いいや)。

失った「総合性」ということを、社会調査をテコにある程度、取り戻すことが出来るのではないか、ということを今回の報告、それから『社会調査事典』を見ていて思いました。この『事典』はリーダブるなリファレンスで、本当によい本だと思います。一研究室に一冊ですね。


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(2014/01/30)
不明

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