昨日、小池和男先生の読売・吉野作造賞の受賞パーティに参加してきた。そこで選考委員の猪木武徳先生と少しだけお話して、「小作争議から無産農民学校設立運動へ:木崎村争議をめぐる社会集団の動きについて」についてなぜ宗教の話が出てくるのか御伺いしてみた。ただ、お話しようと思ったところ、他の方が来られたので、私の方からお話できなかったのは残念だ。

猪木先生の基本的なアイディアは、トクヴィルの『アメリカの民主制』にあるということ、及び木崎村小作争議でプレイヤーが宗教についての問題を取り上げていることもよく分かった。ただ、お話した印象だと近代日本における宗教をどのように捉えるかという歴史的なパースペクティブよりも、民主制を支えるものとして「不死」という考え方が重要であるという理論的洞察と資料から読み取れる意見に導かれているという感じだった。

私の博士論文の最後は、今後の問題として宗教について書いている。森先生には最後は箍が外れて、宗教の問題まで書いていると仰られたが、私が労務管理や社会政策の中で重視した「教化」を突き詰めていった次には宗教の問題が出て来ざるを得ないと思っている。ただ、その問題意識を共有している人が残念ながら現在のところ、いないのだ。

近代日本の宗教政策を考えるときに、村上重良の国家神道と民衆宗教という括り方がある。今では村上の議論は部分的には否定されているけれども、国家神道という括りが便利なことは否定できない。私の見るところ、近代日本宗教政策史には二つのターニングポイントがある。一つは幕末の神仏分離令と明治半ばごろから始まる神道政策である。宗教史においていえば、決定的なのは神仏分離令であることは疑う余地がないと思うが、私が特に注目しているのは後者である。その中心はいうまでもなく内務省である。この場合、神道は宗教ではないという詭弁が弄されることになる。しかし、この詭弁は非常に重要で、宗教組織は内務省の意に合う形での道徳規範作りにその役割を限定されていくのである。

内務省内の宗教行政の所管は言うまでもなく神社局である。後に神社局は重要なポストになるけれども、私の印象では、国家神道なるものは大正期には決して民間に浸透していなかった。実際、私が見た工場の史料では神社局から、国民に普及させたいけど、なかなか難しいので、工場で取りまとめてやってくれないかという依頼があった。いかに神社局が苦労していたかを示す事例であろう。ただし、道徳規範作り、ということになると、むしろ地方局の地方改良運動や感化救済事業の核であった教化運動との関係が気になるところである。

世俗的な勢力争いでいえば、明治期には幕末から復興した神道が勢いを持ち、仏教は一時的には相当にピンチだった。そこに外来の、あるいはときに欧米のバックアップを受けたキリスト教が加わった。キリスト教は初期友愛会の活動、あるいは慈善事業(後の社会事業)において大きな役割を果たすことになる。仏教もまた、こうした一連の流れを受けて、本格的に慈善事業に進出したり(明治以前も行っていたが)、何とか復興を果たそうとする。このような中で三つの宗教が三大勢力を誇っていたが、お互いの連絡は必ずしも行われていなかった。明治40年代に床次竹二郎が内務次官だったときに、この三者代表を一同に集め、ひらたく言えば、茶話会を開催した。カトリックが第二バチカン会議で他宗教との対話を打ち出したのが1960年代のことなので、ある意味ではこの平和的な話し合いは歴史的にも画期的な意味を持っているといえるかもしれない。ちなみに、床次は地方改良運動が始まった頃、地方局長であった。

このように書くと、内務省の宗教政策が平和的に進んだように思えるもかしれないが、事実はまったく逆で、まず全国津々浦々の神社を破壊し、無理矢理、統合・合祀させた。また、自分たちの意に合わない宗教に対しては徹底的に弾圧で臨んだ。大本への二回の襲撃は有名である。たしかに、出口王仁三郎はエキセントリックな出で立ちをしていたし、霊界物語は荒唐無稽なお話と言われてもおかしくない(ただし、事実かどうか拘らず、物語として読むと、それはそれで面白い)。しかし、彼らは地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教のように反社会的な活動をしていたわけではない。嘘か本当か真偽の程は定かでないが、第一回目の弾圧のときの内務大臣は床次竹二郎で、王仁三郎はこれによって床次は総理大臣になれなくなったと言い、恐れた床次が秘密裏に謝罪に来たところ、これを受けなかったという話もある。

大本とは対照的に、天理教は教祖・中山みき時代は弾圧を受けたが、代替わりして方向転換した後は弾圧を受けていない。私は別に天理教についてよい感情も悪い感情も持っていないし、人間の組織の常として立派な人も困った人も両方いるだろうくらいにしか考えていないが、新興宗教に対して先入観を持っている方には、天理教が戦後のインフレ時に生活に困った上流階級の文化財を言い値で購入し、現在の国文学研究の根幹を支えているという文化的貢献の事実にも言及しておきたい。

ちなみに、シェルダン・ガーロンさんは地方改良運動から協調会への流れに注目した画期的な本、The State and Labor in Modern Japanを書いた研究者だが、彼はMolding Japanese Mindという本の中で大本を扱っている。大本は近代日本の宗教では決定的に重要なのだが、彼の分析は雑学が足りないためか、ポイントを捉えていないような印象だった。

大正中期以降は各種の修養団体が非常に発達する。そのなかには宗教的なバックグラウンドを持つ団体も存在した。そこで問題になるのは、道徳的規範の構築に、宗教的な発想、たとえば猪木先生は「不死」と仰ったが、そういうものを基盤にする必要があるのかどうか、ということである。私はこれについては疑問を持っている。といっても、宗教性を基盤にして道徳的規範を構築すること自体に疑問を持っているのではなく、別の道が存在する可能性を考えているというだけのことである。私の見た富士紡の事例では、クリスチャンであった工場長はたしかに教化の一環としてキリスト教の教えも利用していたが、別にそれ以外のソースも実によく利用しているし、その一つ一つの背後に宗教性があるかと問われれば、ある場合もあるし、ない場合もあるとしかいいようがない。

ちなみに、猪木先生ご自身はたしかカトリックだと思うが、昨日のお話の中では、宗教性の問題を論じる際、宗派に拘らないという点を断られていたし、その点は余計な邪推をしないように、念のため注意していただきたい。

以上の記述から明らかなように、私は内務省の宗教政策を肯定的に捉えていない。しかし、宗教に一定の枠を嵌めることで(信教の自由の侵害!)、たとえば宗教間の余計な摩擦を軽減させたというような、何らかの効果があった気もするのだ。まぁ、何れにせよ、よく分からない領域である。
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