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濱口先生から『働く女子の運命』をお送りいただきました。ありがとうございます。あとがきを読むと、他の3部作に比べると、うーん、という感じかな。日本型雇用を補助線に引くということに付加価値を置いて欲しいという「願い」なんですが、やっぱりそれだけじゃダメだと思うんですよね。

わざわざマルクス主義とか、マルクス経済学を引き合いに出すなら、やはり低賃金論だと思うんですよ。昔の講座派という、もともとは共産党親派の人たちがいて、彼らは日本資本主義の構造として半封建性を指摘していました。その具体的な位相が年功制であり、低賃金だったのです。そこでは中小企業の低賃金に加え、大企業の年功賃金では若年層が低賃金に抑えられていることが問題でした。この構図は大きく転換していきます。それに寄与したのはたしかに小池先生だと思うんですが、知的熟練論じゃないんですね。小池先生の議論で大きな影響力を持ったのは、賃金カーブ比較によって提示されたブルーカラーのホワイトカラー化テーゼで、これは要するに、日本はホワイトカラーと同じで、ブルーカラーの賃金が中高年になっても寝ないことをOECDのデータを使って指摘したのです。右肩上がりのカーブでも、直線でもよいですが、ここで年功的な賃金カーブ(小池先生は年功賃金否定論者ですが)の重点が転換しているのです。要するに、左下が低いことが問題ではなくなって、右上が上がってることに着目したことです。細かい考証ははぶきますが、70年代から小池先生が影響力を持ったの一般向けには『日本の熟練』、研究者向けには『職場の労働組合と参加』であって、そこでは知的熟練論は出てこないと思います。そこが核だと思ったのは『仕事の経済学』とその反撥であって、これは90年代の話です。それから、内部昇進への注目は50年代の論文から書かれているし、これは宇野経済学の段階論とは関係ありません。まあ、それはこの際、どちらでもいいです。

濱口先生があらかじめ予防線を張っている、ここが足りない、あれが欠けているという話をすると、まず、農業労働、中小(零細)企業などにおける家族労働、女中(あるいは家政婦)、請負(要するに内職)の話がまったく出て来ません。それから、必ずしも労働の報酬をもらうわけではないボランティア的な仕事ですね。請負やボランティアも混じっているので、賃金というと適切でないこともあるので、収入にしますが、こういうのはみんな低収入(ないし無報酬)ですし、日本型雇用では説明できません。日本型雇用システム論は昔の日本資本主義論の中小企業とか農業とかそういうのを切り落としたという意味での大企業モデルなんです。だから、野村先生の『日本的雇用慣行』も基本的に大企業の話ですね。そして、そのアンバランスさは、他ならぬ濱口先生自身が折に触れて批判し、問題提起してきたことではありませんか。たとえば、これなんかがそうです。何より、家内労働法でカバーできない、当時は新しかったSOHOのような働き方をどうやって包含させようとしたのか、という経緯は他ならぬ濱口先生から教わったことです。

私が見るところ、均等法は女性労働研究に対しては功罪相半ばするところがあって、この法律を最初に作る時点で保護か、平等かという今考えれば不毛な議論があったわけですが、現実としては保護の部分に重点を置く研究と、平等の部分に重点を置く研究に分かれて、相対的にその前の時代までと比べると、保護の部分に重点を置く研究は割合としては低下せざるを得なくなりました。近年では、均等も重要だけれども、生活していける賃金を稼ぐということが重要だという、たとえば同志社の三山先生などの研究者の方もたくさんいらっしゃいます。正直、均等の方は政策で出来る範囲はあらかたやってしまって、これからの追加投資でものになるのは少なくないんじゃないかと思います。せいぜいがキャンペーンを張るくらいでしょう(そういう世間の風潮が気になる重役が「うちはワークライフバランスをやらないのか。どうなってるんだ」と言ってきたりして、人事部が対応するケースもあるので、影響力はバカには出来ませんよ)。だから、均等をすごく厚く書いているのは、労働行政の先達の仕事という点では意味があるかもしれませんが、今まさに起こっている女性労働のなかでそういう回顧的なものがどれくらい役立つのかと考えると、かなり違和感がありました。濱口先生だからこそもっと視野の広い女性労働論を書いて欲しかったなというのが正直な感想です。

しかし、濱口先生が見落としたなどというわけはないので、きっと何か企みがあるに違いないわけであります。そうやって読み進めていくと(我ながら意地悪ですが)、最後の方で講演会で「女性の活躍って言うな」と主張されたエピソードが出てきます。ああ、なるほど。実は、この本を通じて問い直したいのは日本的メンバーシップ型雇用におけるフル・コミットメントの働き方です。このテーマは『新しい労働社会』でも強調されていた何より「生命」が大事で、それを守るのが労働政策であって、然るに、その働き方に女性をもっと組み込めという女性活躍の推進を濱口先生は潔しとしないのであります。結局、ここがワーク・ライフ・バランスが実現するかどうかのターニング・ポイントであり、そういう関心なら、素直に佐藤博樹先生関連の本の方がよいようにも思います。特に、老婆心ながら、この本で女性労働の歴史を学びたいという方には、おやめなさいと申し添えておきます。
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