様々な些細なきっかけから教育を考えなければならないことになっている。ただし、私自身が今、進めている日本における社会政策の全体像を捉え直すという作業のなかでも、教育をどう位置づけるのかということは、非常に重要な課題なので、いずれは通らなければならなかった道であったのだろう。

当初、私のなかには1990年代の教育社会学の研究が念頭にあって、主として「労働」の近接領域としての教育社会学というイメージがあった。そこでは、古い順に言えば、乾彰夫の企業社会論と連動する教育社会論、竹内洋のメリトクラシー論、苅谷・石田・菅山の労働市場論が具体的なイメージとしてあった。どうでもいいが、私が大学院に入った頃、労働の部屋では竹内の『日本のメリトクラシー』が少し前に流行っていたらしく、勧められた。これは本当は労働問題研究がやるべき仕事だったと誰かが言っていた(気がしているが、記憶は曖昧)。

しかし、今回、いろいろ、読んでみると、話は非常に複雑であることが分かってきた。日本の教育社会学がもし1910年代後半に田制が提唱した頃のまま、仲良く持続的に発展していったのならば、話は簡単だったが、結果的に戦後、教育社会学会が出来て、教育学問内部に様々な亀裂が生じたために、もはや門外漢にはよく分からない状態になっている。なんで、こんなことになってるのかというと、教育関連分野における「科学」の扱いが複雑な経緯を辿ってきたからである。まず、教育と科学の争いは、明治時代の澤柳の『実際的教育学』をめぐって始まったと言える。そこで批判されたのは思想(ないし哲学)重視の教育学への批判で、このときに彼が企図したのは実践の解析研究で、これはアメリカのプラグマティズムの影響を受けた「科学」であった。これは阿部重孝を経由して、城戸幡太郎たちの岩波講座・教育科学に引き継がれる。ところが戦争をくぐり抜けて、戦後に戦前への反省が必要になると、教育運動も抵抗の歴史の起源探しとして始まる。教育科学関連は、戦時中に弾圧されたので、もちろん、有資格者である。抵抗の話は時節柄、マルクス主義と結びつきやすくなり、左翼的運動と結びついた。ここにまた新たな対抗軸として、運動への傾斜と距離を置き、データ・ベースの科学的研究をしようという流れが出てくる(ここで、イデオロギー対科学という違う対立軸が出てくる)。しかし、中身を見ていくと、教育学系なのか、教育社会学系なのか、といったことは門外漢にはわりとどうでもよい。

教育社会学のような切り取り方はしなくても、教育学(教育史を含めて)の中には教育と社会の関係を見てきたグループが存在していた。それは地域教育計画のグループである。この人たちは清水義弘(教育社会学)らと対立したため、妙な看板を背負った争いになってしまった。しかし、1960年代以前、城戸(清水とは反対の陣営の源流と考えられる)でさえ、現在の教育社会学はどう展開するか分からないが、教育社会学のようなものは重要だという話を書いていたりした。そうやって考えていくと、批判派や、左翼として切り捨てる態度を取らなければ、両陣営の考えを勉強しなければならない。

そんなこんなで、昔は私の方が労働に傾きすぎていた。そういう偏向を取り除いて、苅谷先生の本を読んでみると、一貫して階層研究(階級)であり、これこそ社会政策の重要なテーマであるはずであった。しかも、諸外国と比べて、日本に「階級」という概念が当てはまりにくいのではないか、とされている一点で、私は橋本健二さんよりも親しみやすい。そうして、籠山京とか出てくるのである。昔、森直人さんが籠山の話をしていて、なんで森さんは籠山の勉強をしていたのかなと思ったけれども、それも苅谷先生の本と思想地図の森さんの新中間層論文を読んでいたら、それも納得した。ただ、階層・職業の話はまだよく分からないが。たぶん、ここを突き抜けていくと、社会政策側では、籠山・中鉢・中川清の生活構造論ラインになるんだろうと思うし、森さんの論攷を読むと、そこまではよく分かる(生活構造論については「社会学と生活構造」という論文がある。ただし、私はこの三分類には自分ではあまり賛成しない。しないが、参考にはなる。へえ、という感じ)。ただ、今の時点から見ると、籠山の前に、奥井復太郎を位置づけないと行けないだろう。奥井の評価については、小松隆二先生が書かれているが、社会政策研究のなかでどう位置づけられるかは定見はない。というか、今の人は知りもしないだろう。

まあ、しかし、籠山につながっていくならば、当然、北海道で地域教育計画を一緒にやっていた城戸と繋がらなければならない。城戸・留岡グループと、そして農村社会学・都市社会学の鈴木栄太郎がいた。今度は、社会調査と社会政策の関係を考え直すみたいな話になってくる。そうすると、日米社会学茶話会の日本の社会調査史みたいな話だよな。

今は、「子どもの貧困」問題などが取り上げられているので、社会政策的には再び、教育にアプローチしやすくなっている。苅谷先生が20年前に、1960年代に消えてしまった問題と書いた貧困が再び現れたからである。こういう時代こそ気をつけなければならない。現実に解決すべき問題があるときには、政策あるいは実践に携わっているだけで、あるいはそこで悩んでいることだけでさえ、何らかの学問的営為をやっているかのように錯覚しやすいからである。

私個人としては、今のところ、マス・エデュケーションが社会政策にどのような意味を持つのかということを、国民教育の観点などを織り込みながら、考えていきたいと思う。児童労働と教育のせめぎ合いから、初等教育の拡大延長(ついには現在は大学まで)という意味をしっかり考えなければならないだろう。
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