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『戦間期日本の社会集団とネットワーク』の問題関心は、デモクラシーが上手に機能するには中間組織の存在が必要なのではないか、ということであった。菅沼隆さんの『被占領期社会福祉分析』の最後のところに、この点で非常に示唆に富む見解が書いてあるので、引用しておきたい。
被占領期に確立した福祉官僚制は、無差別平等原則を基軸にしていたという意味で国民の同意を得ており安定した体制となった。だが、これは<小さな世界>で生活している個人が何らかの福祉の改善のためには<大きな世界>に向けて異議を申し立てざるを得ない体制でもある。手の届きにくい<大きな世界>に生活困窮者が異議申し立てをすることは困難であり、そのような事例は少ない。だが、ときおり発せられる異議申し立ては<大きな世界>と対峙することになり、憲法訴訟に代表されるような裁判闘争という形をとり、勝つか負けるかという対決軸を作り出さざるをえなくなった。その裁判結果が福祉行政のありようを左右するという意味では福祉官僚制の下での福祉政策は不安定な体制であった。社会福祉の基礎構造改革、介護保険など二一世紀を迎えて社会福祉は大きな変革期にあるかのごとくである。しかし、被占領期に形成された枠組みは依然として存続しているといえるのではなかろうか。
もうちょっと補足すると、菅沼さんはその前で「客観的・科学的な無差別平等原則」という表現をさらっと書かれている。「科学」こそがまさに重要なポイントだ。科学がもっている規格化への志向はときに融通のなさという形で現われる。

しかし、それにしても無差別平等原則が国民の同意を得ていたという話にもっていっていいのかどうかは疑問である。やっぱり、そこには憲法の話を一つ媒介にする必要があるんじゃないか。実際、朝日訴訟なんかは生存権が争点だった。

なにはともあれ、菅沼さん自身のご意見はこんな最後の走り書きから理解するのは難しいので、本人に直接聞かなきゃ分からないけれども、この箇所だけでも示唆に富む内容がたくさん含まれていると思う。
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