濱口先生に再度、リプライをいただいたのですが、最後に「私がここがキモよ、ここを読んでね、というつもりで書いたところを、そういう風にとっていただけていないことが、交通渋滞の原因かな」と書かれている点に尽きるなと、私も思いました。

マル経や小池理論が出てくる以前から、女性の低賃金問題はあったわけで、それを男性を中心とした雇用構造から説明しようというのが濱口先生の立場で、私は女性の働き方そのものからもっと説明すべきだと考えている、というのが大きい違いのような気がします。考え方や何かという意味では大きな影響力があっても、現実の女性が低賃金であることに、マル経はもちろん、小池理論でさえもそこまで影響力はなかったと思うので、たとえそこが「キモ」であっても、私はあまり意味があるとは思えないのです。

今、ソーシャルに関心があって、ジェンダー平等よりも、小池理論やマル経を勉強している層というのは、ほとんどいないと思いますが、ここらあたりの感覚は、濱口先生と私の世代間の実感差なのかなという感じもしてきました。たしかに、私のまわりは、社会政策学会に入っていなくとも、社会政策関係に関心がある人が多いので、そういう意味では、ジェンダー平等についての理解は世間よりはあるかもしれません(というか、私はあんまり学会の人と付き合ってないので、社会政策学会の全体がどうかはよく分かりません)。しかし、世間はそうではない人の方が多いし、彼らに語りかけなければならないんだよと言われれば、そうかもしれません。彼らと勢いで書いてしまいましたが、ある世代より上の男性層が念頭にあります。でも、そういう人たちが濱口先生の本でも女性労働の本なんか読んでくれるんですかね。正直、私はそこへの働きかけはまるっきりあきらめています。本書を読んで、省みるということもありそうもない感じがしますが。

よい悪いではなく、小池先生の『仕事の経済学』にしても、知的熟練の話を別にしても、統計データなども古くなっている。先生はそれを改訂されてきたけれども、最後の版が10年前ですからね。読まれなくなっていくのは仕方ないです。そんなこと言えば、孫田先生にせよ、白井泰四郎先生にせよ、よい入門テキストがありますが、今は読まれなくなっています。時間が経ってるんだから、仕方ないですね。そういう意味でも、小池理論やマル経をわざわざ取り上げなくてもよかったのではと思いました。

私自身もそうですが、わりと濱口先生のものを若者に勧めて来たんですよね。特に、私が勧める対象は講義を受ける大学生が多いので初学者です。昔の理論に囚われている人に対する処方箋は、初学者にとっては有害な場合もある。これは私の考えですが、まずはマルクス経済学でも、小池理論でも、近代経済学でも、なんでもいいんですが、どうせ勉強するならば、オーソドックスな見解に即した形でまず、勉強する方がよいと思うのです(ただ、私はマル経や小池理論を学ぶことを勧めている訳ではありません。あくまでどうせ勉強するならば、です)。そういう意味では、やはり「捻れ」を加えられていると、初学者には勧められないんですね。まあ、もともと濱口先生の本にはそういう傾向はありましたし、わざわざそういう風にして問題提起するというのが狙いなので、それはそれで仕方ないですし、それが初学者にとってはデメリットである点を踏まえても勧めてきましたが、今回はデメリットの方が大きいと思います。

もう一つ、主流の学説が女性差別そのものを許容する構造を持っているということを問題にしてきて、新しく読み替えるべきだと頑張ってきたのは、たとえその試みが必ずしも成功していないとはいえ、竹中恵美子先生ではないかと思います。マルクス経済学ということでいうならば、その枠組みの中で、そういう傾向を変革しようとした竹中先生こそが重要でしょう。前に書いたときは、現在の話でしたので、歴史、ということになるとまったく竹中先生の位置づけも変わってきます。

山下ゆさんへのリプライを読んで、ああ、こう書けば分かってもらえると思ったのですが、濱口先生のおっしゃる「キモ」の部分こそ先に削除して、「家族システムとの噛み合い」をメインに据えた方がよかった、というのが私の感想です。それこそが女性の低賃金を正当化させてきた最大の理由であり、それなしに女性労働の全体は見えないだろうと思います。その外部のシステムとの関係があるからこそ他の著作も勧められるのであって、それがなければ、『新しい労働社会』で『日本の雇用と労働法』の二冊で十分です。というか、そもそも二冊でさえも読んでくれるか分かんないし(汗)。
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