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私のタイトルがややミス・リーディングだったようなので、もう少し整理しましょう。とやっていると、収拾がつかないので、せっかくようやく噛みあってきたので、本筋だけ書きます。私は別に男女平等政策を抜かせと言っているわけではありません。それをやりたいならば、女性政策以外の部分も必要でしょうということです。

男女平等政策を重視するならば、女性保護政策→男女平等政策の一つの論点だけではなく、1990年代までならばともかく、現代では「女性」という観点からのみ扱うのが適切だとは思えない。したがって、従来は女性労働政策の文脈で語られて来た問題以外も扱う必要がある。私があげた勤労者財産形成促進法のような男性稼ぎ主型モデルを前提とした政策もあわせて描くべきでしょう(ただし、この政策は高齢者の貧困対策としてスタートしています)。勤労者財産形成促進制度は厚労省のなかでもワーク・ライフ・バランス政策のなかに入っています(貯蓄残高は2015年3月で16兆円1117億円ですから、すごい規模です)。この視点に立つならば、濱口先生の雇用システム論との接合という視点も活きて来るはずです。もちろん、厚労省の機構から言えば、この所管は婦人少年局(婦人局、女性局、現雇用均等・児童家庭局)ではなく、労働基準局勤労者生活課ですから、女性労働行政の本流とは関係ありません。しかし、どの部局がどう頑張って来たかなどは私にとってはどうでもよいことです。

歴史的に見たら、濱口先生のおっしゃるように、男女平等政策は婦人労働政策の本流から出て来ただろう、というのはその通りなんですよ。しかし、男女平等にしても、ワーク・ライフ・バランスにしても、女性からだけ見ていてはダメで、男性とともに総合的に捉えなければならないというのがこの間、関係者の努力でようやく少しずつ共有されるようになった話でしょう。これは大羽さんたちが活動されていた時期には少数派だったかもしれないけれども、それこそ三十年以上かけて共有されるようになってきている。たとえば、佐藤博樹先生と大沢真理先生はそれぞれ別の立場を代表する方たちですけれども、男女平等やワーク・ライフ・バランスが女性だけの問題ではなく、社会全体の問題なんだという点については一致していると思います。濱口先生もそれを承知しているから、女性労働だけでなく、雇用システム論を接合されたんでしょう。しかし、それならば、なおのこと、やはり、家族システム論と雇用システム論を中核に据えて、男女平等政策、ワーク・ライフ・バランスという形で書けばよかったのではないでしょうか。

かつての工場法は女性労働と児童労働を対象としていましたが、労働基準法では男性ブルーカラーのみならず、ホワイトカラーまでも含めるようになりました。そういう意味では、まさに婦人少年労働行政からスタートして労働者一般行政に展開したわけです。その意味では、男女平等政策というのは、長期的に見ると、工場法から労働基準法へステップアップしたように、ステップアップしようとするその段階にいるわけです。前回、私が書いた通り、現実はそこまで追いついていません。しかし、法段階では一応、06年改正で男性に対する差別禁止が入って、まさに女性だけの問題ではない、ということがはっきりした認識されてたと言えます。逆に言えば、この問題を考えて来た人たちでさえも、97年の改正段階で、それを入れようと言う話にならなかったとも推測できるわけです。

というか、もっとはっきり書けば、男女平等政策はいかに男性に当事者意識をもって巻き込んでいくのかということの方が現在では大きな課題になっていると思います。そのことを痛感しているから、初期にはワーク・ライフ・バランス施策は育児と仕事の両立といった話がメインだったのが、最近では結婚していない中高年男性の親の介護問題に重点をシフトさせてきているわけです(まだまだ啓蒙段階ですが)。男女平等政策が女性労働政策という観点からしか捉えられなかった段階ははやく卒業する必要があるし、今はその過渡的な段階として、やや誇張して言えば、男性こそが重要なんだと強調してもいいくらいじゃないでしょうか。

結局は、バランスの問題なんですが、私は濱口先生がおっしゃる1970年代以降の男女平等政策が欧米と日本でどうしてこんなに異なってしまったのかというテーマはメチャクチャ面白いと思いますよ。それをヨーロッパの比較で知ることが出来たら、すごく勉強になる。だから、それならば、そこだけをメインに据えて書き切って欲しかった。家内労働法とかマイナーなものは現代の男女平等政策を考える上でいらないというならば、70年代以前の歴史の話なんか全部、いりません。

女性労働政策におけるバランスの良さと言う意味では、大森真紀さんに『世紀転換期の女性労働』という名著があります。男女平等の話とパート労働の話、女性就業の問題、家族システムと雇用システムの話なんかも入っています。ただ、この本は90年代から00年代を書いているだけですが、それでもこれだけの分量になっている。だから、歴史的なスパンをもっと長く取って、そういうものを全部入れるというのはすごく困難。だから、濱口先生は非正規は非正規だけで膨大な量になるから、今回は別に扱うことにして外したという措置を採られたんでしょうけれども、それならば、男女平等も男女平等で同じようなことが出来るわけでしょう。しかし、私自身は女性労働政策として見るならば、両方を外せないと思います。私は女性労働政策という切り口でみるならば、男女平等だけではダメで、男女平等政策を中心に据えるのであれば、女性政策だけではダメだという立場です。

厚労省雇用均等・児童家庭局の方のご意見をお伺いしたいですね。

ちなみに、途中でマルクス経済学とか小池理論のことを書きましたが、そんなことは些末なことなので、もうこの際、放っておきましょう。もともと、この点に関する濱口先生と私の立場の違いは、昔、私が「政策はプロパガンダ」といって叱られたときから、はっきりしてます。5、6年前から私たちの掛け合いを見て下さった方はご存じでしょう。正確には、もう少し丁寧に説明できますが、横道にそれますので、これはここまでにします。
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