2009年07月18日 (土)
どうもここのところ、社会政策や社会福祉の研究をダーッと読んでいて、一つの結論に辿り着いた。あまりにも当たり前のことと思われるかもしれないが、岡村重夫は偉大である、ということだ。あまりにも偉大すぎて、敬称をつけるのも白々しい。
社会政策や社会福祉の分野では、独自のディシプリンを発見しようと研究者たちはそれこそ、何十年にもわたって、問題提起を繰り返し、見つからないことに苛立ってきた。そういう試みも実は、1990年秋の北海道大学大会で終わりを告げたように思う。もちろん、個々の研究者は研究を継続させていると思うが、残念ながら、それが一つの潮流になりそうな傾向は感じられない。記録を見ると、1997年の100周年大会はさすがにタイトルは社会政策全体にかかるものだが、一人ひとりの報告は専門的である。2003年の一橋大学での大会が新しい社会政策の構想になっている。一橋の大会には私も参加したはずだが、何が論じられたか記憶にない。そもそも、1990年の時点であっても、社会政策は何かというようなことを議論するのはやや時代遅れなものであったらしい。本質論争の記憶を持った人たちがいなくなれば、そういう議論が消えていくのも仕方ないのかもしれない。
社会福祉研究で、ディシプリンに拘る必要がもっとも要求されたのは1960年代までで、やはりそれは社会政策本質論争の余熱が、社会福祉本質論争を呼び、学問存立の危機の時代であったからである。大変、意地の悪い言い方をして恐縮だが、社会福祉学はその後、専門資格がますます社会の中で定着するなかで、それらを目指す人およびその資格を取得した人を対象としたマーケットを獲得したので、学問内容はともかく、存続の基盤は非常に安定した。社会政策はこのまま消えていく危険もなきにしもあらずだが、社会福祉は専門資格試験というドル箱がなくならない限り、未来永劫、安泰である。しかし、危機の時代こそ、熱っぽい議論は生まれるのかもしれない。そして、その頃の社会福祉研究の代表者の一人に岡村重夫をあげることに異論を唱える人はいないだろう。
1956年の『社会福祉学総論』は固有論を打ち出した古典であろう。数年後に各論が出て、その後、改訂された。しかし、1980年代に入り、『社会福祉原論』が出版されるに際して、絶版になった。私は実は最初の版がもっともよいのではないかと思っている。
その基本的なアイディアは三つの社会事業の類型を作ることから始まる。その類型が社会事業の発展段階に応じて徐々に出てきたと考え、そのすべてに通底するものを社会福祉の本質と捉えようとしたのである。社会事業の発展段階という考え方のうちには、社会進化論の影響や資本主義の発展段階への照応なども意識的に取り込もうという意欲も垣間見えるが、何れにせよ方法的には当時としては斬新だったと思う。ただ、社会福祉の拡大の論理(類型Ⅲ)に至ると分かりにくい。限定された対象者から全国民への拡大がいったいどの合理性ゆえに展開するのか、私にはあまり説得的ではなかった。そこは社会福祉の論理が貫徹せず、思想が飛躍を与えたのだと思う。
しかし、私が言いたいのはそういう具体的な内容ではない。当時の社会福祉研究は社会事業から分派したというか、その流れを引き継いでいた。岡村『社会福祉学総論』のすごいところは、そういう戦前のアメリカの社会事業論を丁寧に取り込み、その成果を十二分に摂取した上で、自分がなおかつ新しいものを作ろうとしたことである。要するに、その心意気がすごい(もちろん、学識も)。そのために、時間軸を使ったのは方法の妙であった。
現在は岡村重夫は岡村理論の提唱者という形で流布しているが、それだけじゃもったいない。ちなみに、私は『社会福祉原論』に出てくる「法律による社会福祉」という括りは大雑把に過ぎるので、賛成しない。
社会政策や社会福祉の分野では、独自のディシプリンを発見しようと研究者たちはそれこそ、何十年にもわたって、問題提起を繰り返し、見つからないことに苛立ってきた。そういう試みも実は、1990年秋の北海道大学大会で終わりを告げたように思う。もちろん、個々の研究者は研究を継続させていると思うが、残念ながら、それが一つの潮流になりそうな傾向は感じられない。記録を見ると、1997年の100周年大会はさすがにタイトルは社会政策全体にかかるものだが、一人ひとりの報告は専門的である。2003年の一橋大学での大会が新しい社会政策の構想になっている。一橋の大会には私も参加したはずだが、何が論じられたか記憶にない。そもそも、1990年の時点であっても、社会政策は何かというようなことを議論するのはやや時代遅れなものであったらしい。本質論争の記憶を持った人たちがいなくなれば、そういう議論が消えていくのも仕方ないのかもしれない。
社会福祉研究で、ディシプリンに拘る必要がもっとも要求されたのは1960年代までで、やはりそれは社会政策本質論争の余熱が、社会福祉本質論争を呼び、学問存立の危機の時代であったからである。大変、意地の悪い言い方をして恐縮だが、社会福祉学はその後、専門資格がますます社会の中で定着するなかで、それらを目指す人およびその資格を取得した人を対象としたマーケットを獲得したので、学問内容はともかく、存続の基盤は非常に安定した。社会政策はこのまま消えていく危険もなきにしもあらずだが、社会福祉は専門資格試験というドル箱がなくならない限り、未来永劫、安泰である。しかし、危機の時代こそ、熱っぽい議論は生まれるのかもしれない。そして、その頃の社会福祉研究の代表者の一人に岡村重夫をあげることに異論を唱える人はいないだろう。
1956年の『社会福祉学総論』は固有論を打ち出した古典であろう。数年後に各論が出て、その後、改訂された。しかし、1980年代に入り、『社会福祉原論』が出版されるに際して、絶版になった。私は実は最初の版がもっともよいのではないかと思っている。
その基本的なアイディアは三つの社会事業の類型を作ることから始まる。その類型が社会事業の発展段階に応じて徐々に出てきたと考え、そのすべてに通底するものを社会福祉の本質と捉えようとしたのである。社会事業の発展段階という考え方のうちには、社会進化論の影響や資本主義の発展段階への照応なども意識的に取り込もうという意欲も垣間見えるが、何れにせよ方法的には当時としては斬新だったと思う。ただ、社会福祉の拡大の論理(類型Ⅲ)に至ると分かりにくい。限定された対象者から全国民への拡大がいったいどの合理性ゆえに展開するのか、私にはあまり説得的ではなかった。そこは社会福祉の論理が貫徹せず、思想が飛躍を与えたのだと思う。
しかし、私が言いたいのはそういう具体的な内容ではない。当時の社会福祉研究は社会事業から分派したというか、その流れを引き継いでいた。岡村『社会福祉学総論』のすごいところは、そういう戦前のアメリカの社会事業論を丁寧に取り込み、その成果を十二分に摂取した上で、自分がなおかつ新しいものを作ろうとしたことである。要するに、その心意気がすごい(もちろん、学識も)。そのために、時間軸を使ったのは方法の妙であった。
現在は岡村重夫は岡村理論の提唱者という形で流布しているが、それだけじゃもったいない。ちなみに、私は『社会福祉原論』に出てくる「法律による社会福祉」という括りは大雑把に過ぎるので、賛成しない。
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