部屋の本を整理したら、孫田良平先生のところからもらってきた岡田完二郎『労働問題の背後にあるもの』が出てきた。この本の冒頭のエッセイで岡田さんが公職追放前に中労委の使用者側委員をやっていたころの話があって、面白い。ところどころ抜粋。

開会の辞のあと、「中立委員は誰が選んだんだ、僕は同意してないぞ!!」と、割れ鐘のような大声で怒鳴るものがある。見れば、荒畑さんの左で「徳田委員」と書いてある。ああ!これが有名な徳田球一氏かと私はビックリした。

芦田厚生大臣と徳球のやりとりがあったあと、大臣が職権で任命しようとすると、末弘厳太郎が

「大臣一寸お待ち下さい。今日のこの歴史的なお芽出度い日に、始めつから例外規定を適用するのはどうかと思います。私の解釈では、労働者側委員の同意というのは、その一人一人の同意でなくても、労働者側委員が寄つて相談して決めたらよいと思う。ねえ、徳田君そうしたらどうかね」と折衷案を出した。徳田委員はサツパリしたもの
「ああ、それもよかろう、じや、ここで相談しようじやないか、西尾君一緒になつて反対しようじやないか」という。そちらを覗いてみると徳田委員の左に西尾末広氏、松岡駒吉氏が座つている。その左の松田長左衛門氏は病気欠席である。西尾さんはポカポカと煙草を吹かしながら、知らん顔で天井を見つめている。徳田委員はせき込んで、
「西尾君、君は愚図愚図しているからいかん、君と僕とここで手を握れば何でもできる、人民政府だつて明日からでも出来るんだ」
という西尾さんはおもむろに口を開いて
「徳田君、君は英雄だからねえ、君の党のことは何んでも君一人で出来るが、僕等の党は下から決議決議で積み上げて来るものだから、そうおいそれと簡単には決められんよ」
と言つて全く取り合おうとしない。すると徳田委員は急に気がついたように
「考えて見りや、僕は党を代表しているので、労働組合から選ばれてるんではない。これはおかしい。労働者側委員は、一体誰が決めたんだ」
と問題の焦点が急に移つていつた。そこで末弘さんが「そんなら労働組合から、代表を選んだらいいじやないか」と突込む。徳田委員は
「それが情無いことには、選挙母体になるような労働組合の連合ができていないんだ」
と兜を脱ぐ。末弘さんが「其連合体はいつ出来るんだ」と聞くと、徳田委員が
「五月頃出来る見込だ」
と応えたので、末弘さんがすかさず「それでは五月末まで、君等もその儘やつて、中立委員もそのとき改選することにしようじやないか」と切り出した。
「うむ、それもいいな」
と徳田委員は案外あつさりと言い、ここに始めて会議が軌道に乗り、(後略)

なんてエピソードが出てきます。言うまでもなく産別会議結成前夜の話で(1946年3月のことでしょう)、ああ2・1ストの大転換までは労働組合とか関係なく、徳球が政府委員をやっていたのだなとか、なかなか感慨深いですね。この後、専従労組役員に賃金を支払ってはいけないと徳田委員、荒畑(寒村)委員と岡田委員の三人だけが主張したという不思議な組み合わせの話も面白いです。

この本自体、後半の講演を読むと、昔の使用者は博識だなあという感想と、いやいや岡田完二郎だからか、という感慨とが交差していきます。岡田はこの本が出版されたとき、宇部興産副社長ですが、宇部興産は太田薫総評議長の出身企業で、要するに、岡田と太田は対峙したんだなということもわかります(岡田が公職追放されて宇部興産に入るのは1947年です)。なお、岡田は公職追放を受けて古河鉱業社長と中労委を辞め、宇部興産を務めた後、古河系の富士通の社長になって池田敏雄を支え、日本のコンピュータ産業を飛躍させていきました。
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