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フリースクールで論点整理 「迫力不足」との批判も」。

新聞をソースにすると、消えちゃうので、あんまりブログエントリにしたくないんですが、あまりによく見る論点なので、ちょっと一言。私が気になったのは、「民間団体の質を保証するために、団体同士が相互評価(ピア・レビュー)するような仕組みなどを打ち出した」という記述です。これね、「民間団体が相互の活動を学び合えるように、視察交流とその報告を広く共有する仕組みを打ち出した」という風にすればいいのに、と思います。

結局、実際に行われるのは、多団体の実践を観察(視察)して、それに対しての評価をレポートするということでしょうから、人、時間、予算(の付け方は別ですが)はどちらでも変わらないわけです。

これは1950年代の勤評の頃から言われていますが、教育(あるいは福祉でもそうですが)では競争原理というのはあまり有効ではないんです。というか、競争原理が有効に働く前提条件というのは、需給何れかの過多の状況で淘汰を行うということにあるわけで、そもそも居場所づくりのように、足りてない状況で淘汰する原理でやっても意味がないわけです(淘汰まで行かなくとも、選抜ならば意味があります)。1960年代に、受験に偏差値が導入されたときに、あれは受験競争の軽減が狙われたわけで、しかし、どんな理念があっても、需要側(受験者)が供給側(合格者、ないし学校が受け入れられる数)を上回る以上、競争は減りません。

ただ、他の試みを見る事自体は有効な方法です。ですから、今学ぶべきなのは、経済でいえば、生産性視察団ですよ。海外まで行かなくとも構いません。あのときは、業界の大企業や、職種(人事、会計、生産管理等)の人たちが集まって、大体半年とか1年近くそれぞれの現場の情報交換を行って、論点を深めて、短い期間の視察を有効にしようとしたわけです。だから、その後、ドル制限などがなくなって自由に何年も行けるようになった人たちの中には、あの短い視察の方が有益だったという感想を残している人もいるわけです。

でも、そもそも大きいところじゃないと、評価しに行く余裕もないだろうから、人事交流とかで、お互いの労働力を確保しないと厳しいんじゃないかな。そのうえで、観察先から学んで、生かせること、あるいは修正した方がよいと考えたことなどをまとめればいいと思います。

ちなみに、こういったレポートを予算つけるときの材料にするというのは、1990年代に多くの日本企業が失敗した、安直に目標管理を成果主義と結びつけた、というあれと同じ轍を踏むことになるでしょう。とにかく、現場は忙しいんだから、どうせ強制的な仕組みを作るんであれば、普段はやれればいいと思っていても、時間がないから手が回らない、強制だったらやらなきゃいけない、やってみたら、意外と役に立った、という形を目指したいところです。

こうつらつら書いてきても、どっちの発想でやっても質が良くなったり、保証されたりするかどうかはたしかじゃありません。つづまるところ、良くなると信じて任せるか、うまくいかないだろうなと思って監視の仕組みを作るのかという立場の違いです。前者は提言者が責任を取って、後者は現場が責任を取る、ということです。
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