濱口先生が先のエントリに反応して1975年が労働法政策上でも大きな転換になったということを指摘してくださったのですが、私は労働法政策の転換と、労働組合における「政策」の位置付けは別の次元だと考えています。私が書いた「政策」は具体的な政策ということではなく、50年前後の路線対立を止揚するために平和運動(および独立)が使われたように、75年以降は「政策」が重要になったということです。ただ、それが実現できているかどうかは微妙ですが。

労働法政策の方は、たまたま今、手元にJILの証言資料シリーズ労働行政史関係があって、そこで高梨先生が序文を寄せているのですが、高梨先生は『労働行政史』から引用しています。孫引きはよくないんですが、論文でないので、勘弁してください。要は、戦前、労働政策というのは経済の荷物のように考えられていたけれども、「戦後は労働政策の推進が経済の円滑な発展をはかる前提条件となってきた」ということです。1975年の転換とは、高度成長の終焉から低成長時代への転換に応じたもので、潜在失業まで雇用にもっていって完全雇用を実現した時代から、なんとか雇用を維持しようという時代へ転換したといえましょう。雇調金というのはまさにその象徴です。大方の冷笑のなかで高度成長を主張した下村治自身が70年代はゼロ成長論に転じますし、これは高橋亀吉も同じです。経済政策との関係と言えるでしょう。

労使の協力という意味では、宮田と桜田が協力して推進した1975年の日本型所得政策が一つの象徴でしょう。ただし、これは労働運動のなかでは必ずしも評判がよくなかったし、1975年以降の労働戦線統一の流れの中で、このときの春闘が起点になったとは言えないのではないかと思います。労働戦線統一はこの頃世代交代して、宝樹、太田、滝田、宮田といった人たちは去っていき、最後まで残るのは宇佐美同盟会長で、そのあと、ぐいぐい推進していったのは、山田精吾とか、藁科満治とかになっていきます。労働戦線においては同じ陣営とはいえ、ゼンセンと鉄鋼では全然違いますからね。それこそ、濱口先生が以前に提案されてた森田実さんのオーラル・ヒストリーとかやっておくと、いろんなものが見えてくるかもしれません。今後の課題ですね。

スポンサーサイト
コメント
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事へのトラックバック