酒井泰斗さんから『概念分析の社会学2』をお送りいただきました。ありがとうございます。

私はアカデミックな社会学のトレーニングを受けたわけではないので、全然的外れかもしれませんが、多少の感想を書いてみたいと思います。といっても、私自身が関心があるのは、個別の研究では必ずしもなく、「概念分析」という手法についてです。私の個人的な印象ではエスノメソドロジーが出てきた1960年代というのは、古い意味での「社会」が変容せざるを得なかった時代ではなかったかと思うのです。この場合の「社会」とはすごく具体的な、たとえば日本語でいう「結社」とほぼ同じ意味でのsocietyです。分かりやすく言ってしまえば、都市の社会調査でも、農村調査でも、あるいは産業調査でも、その対象自体はわりと明確だった(都市、農村、工場)。ところが、人々の関係が複雑に絡み合ってくると、対象としての「社会」は不透明になり、プロセスに注目せざるを得なくなる。ですから、私は実はネットワーク分析とエスノメソドロジーは、プロセスに注目するという一点においてその閉塞的な状況を突破しようとしたところに、興味深い共通点を持っていると思っています。この点では酒井さんが社会学は政治学における国家、経済学における市場のような「拠り所となる制度的基盤」を持たないという見解とも呼応します(政治学における国家、経済学における市場がそのようなものかどうかは疑問ですが、特に政治学については)。

労働問題研究の分野では、史料による実証に固執するという意味で長崎造船の研究をするとき「葦の髄から天井を覗く」という表現を中西洋先生が用いましたが、エスノメソドロジーはまさに同じようなことが可能性としてあるのでしょう。小さい窓から天井をどれくらい正確に見えるかは、私の個人的な感想では、他のどの分野とも同じように、研究者の資質によるもので、うまく行く場合もあるし、下手な場合もあると思っています。それは個々の分析を評価するしかないでしょう。あとは、同じ問題は別の事例を分析した方がいいんじゃないか、というようことは出てくると思います。

読みながら、私が昔書いた論文、「1920年富士瓦斯紡績押上工場争議の分析」のときの問題意識は、概念分析と割と近いなと感じていました。要するに、この論文のポイントは、争議戦略を決めた友愛会が、工場や会社という枠組みを超えて「団結権」を認めさせようとしたところ、会社側が見事にその意図を見抜き、それをかわしたところにあります。ナショナル・センター(というか一般組合)としての友愛会、富士紡という会社、押上工場の労働者、協調会理事を務める財界人の社長・和田という、それぞれの属性による違いが、交錯するわけです。

組合は会社による組合干渉があったと主張している。それに対して、会社はそんなことはしていない、という。事実レベルでは、組合が組合費をその趣旨がよく分かっていない女工(10代の女の子です)から徴収していて、親から子どもを預かる工場側はそれはいかがなものかと注意したということです。これは解釈レベルではどちらも取れる。

これに対して、友愛会は具体的な話ではなく、協調会という立ち上がったばかりの労使関係を作ろうとしている組織の中心人物である和田社長が、お膝元で団結権の否定を認めるのか、と迫ったのです。言いがかりです。言いがかりですが、戦術としてはうまかった。しかし、そうこうしているうちに・・・あとは論文を読んで下さい。

何が言いたいかというと、「団結権」という概念をめぐって、それぞれの組織の秩序のぶつかりあいをしていたということです。手法としては会話分析を使っていませんし、その資料もなかったのですが、目指す方向は近いように思います。この事例は、ある意味、それぞれの組織秩序のぶつかり合いである点で、概念分析研究の興味深い事例になり得るでしょう。実際、私たちのように労使交渉の研究をする場合、そこは会話分析のような分析手法が生きている場面がたくさんあるでしょう。

昔、近経のトレーニングを受けて労働に近いところにいた友人が、制度学派の労働は一見、分かりやすそうだけど、実は最後のところが分かるかどうかでは人を選ぶし、壁が高いというようなことを言っていました。そのような壁を壊すためには、概念分析から学ぶところは大きいと言えるでしょう。むしろ、労使関係研究者がなぜ参入障壁の高い共通了解を持ちうるのかは、それ自体が概念分析の研究対象と言うべきです。

私は前作を読んでないので、その比較が出来ないのが残念ですが、この本が論文集としてまとまっているのは理論的な背景があるからでしょう。そのことがよく分かるのは事項索引です。「はじめに」「おわりに」「ナビゲーション」の構成は注目されるけど、事項索引の方はあんまり論じられないような気もするので、ここではそのことを少し。

この事項索引の最大の特徴は分量が少ないこと。これだけ多様な内容を扱っているのに驚くほど少ない。各章のキー概念をほとんど取っていない。たとえば、「神経多様性(1)」「連帯(2)」「アイデンティティないしアイデンティファイ(3)」「法的枠組み(4)」「専門職、医療モデル(5)」「標準化(6)」「機能障害(7)」「心の理論(8)」「学習(9)」「学級(10)」「知識管理(11)」「プラン設計、ユーザー概念(12)」「予測(13)」「組織化(14)」といったものです。もしインターネット上のキーワード検索のようなものを想定しているのであれば、こうしたキーワードは関連分野の読者を引きつけるのに役立つかもしれません。しかし、事項索引の項目はネットのページでも紹介されていないので、紙ベースで読むものと位置づけられていると考えてよいでしょう。つまり、これだけで完結しているわけです。

そう考えて眺めてみると、サブカテゴリーが付与されている用語が39のうち9、「概念」「可能性」「経験」「種、種類」「常識」「成員カテゴリー」「方法」「連鎖」「論理」であり、1回だけのものが「基準」「視認能力」の2つのみ、要するに、繰り返し使われているキーワードがあり、それがしっかり組織化されて網羅されている。だから、ある程度、この事項索引から立体的にこの本を読み込むことが可能であり、つまりはよく考えられて作られていることが分かります。我々、歴史系の研究だと注の質で論文の質を見ることが出来ますが、本当は事項索引の作り方でもよく分かるのです。もっとも事項索引の質が悪くても、多くは能力がなくて質が悪いのではなく、力尽きて作業しきれなかったものが多い気がしますが。それだけ根気がいる仕事でもあります。

本当は中身についてももうちょっと書こうと思ったんですが、力尽きました。続編はありません。そんなに時間もないので。まあ、ただ、いろんなことを刺激される面白い本であることは間違いありません。
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