夏に東京ブックフェアに出かけたときに、あまりに面白そうだったので、衝動買いした本。博士論文を本にしたもので、おそらく近代日本思想史において今後、必ず参照されるべき研究と言えるだろう。前川さんは島薗進先生のお弟子さんということだが、先生の問題意識を少し違った角度から継承し、発展させている。前川さんがこの研究に取り組んだきっかけは蔵書整理ということで、そういう資料との邂逅体験というもの、よい歴史研究ではよく見られることのように思う。ともかく、このような形で師弟で学問を進めるというのはなかなか珍しいのではないか、と感じた。

この本は「宗教」概念をめぐる議論、すなわち宗教論が、人格陶冶を導いて、それが国民統治の道具たる国民教育へと展開していく過程を描いている。と、普通だったら、これだけでも十分に博士論文になると思うのだが、前川さんの場合、それは第二期の段階で、その幸せな国体論と宗教論の結びつきが破綻していく第三期(昭和十年代)まで描いている。前川さんが直接の先行研究として検討しているのは宗教学と教育学がメインだが、ざっくり言って、統治論、政治思想、法思想のような国の上の方での議論に関心を持っている人は、分野が多少違っても、必読の文献になっている。時期的に見ても、島薗先生の『国家神道と日本人』が教育勅語で終わっていることを思い出すと、まさに正統な継承者といえる(もちろん、島薗先生の仕事はこれだけにとどまるわけではないが)。

ざっくりとした感想だけれども、やっぱり明治期の日本というのは、貧しい中で無理して国家に学問させてもらっているという意識があって、だからその成果をなんとか還元しよういう気持ちの人が多いんだな、それは分野を違えても同じなんだなというのがまず浮かんだ。その意味では第2章でイノテツ(井上哲次郎)、第3章で姉崎正治という形で人物をベースにして、その対立者をうまく登場させた思想史研究で、第4章以降、宗教学の枠組みがどのように国家教学、国民教育として展開していくのかをマクロ的な広がりで捉えていて、これは構成と手法の組にみ合わせの妙だな、と唸るほかない。お手本というべきであろう。

この本が明らかにしたことは、人格修養主義がどのように登場してきたのかということを「宗教」をキーワードに見てきたことであろう。これは大正教養主義から戦後啓蒙主義までを理解する上でのカギになるだろう。本書でいえば、第1期から第2期にかけての基盤を明らかにしたと言える。ただ、第2期から第3期への移行については、やはりメインは社会科学、とりわけマルクス主義の影響を看過することはできないと思うのだが、この点はやはり十分に検討されているとは言えない。宗教、国体という明治期の枠組みの展開でこの時期を乗り越えるのは難しいと言える。T・H・グリーン思想を自らのコアとして鍛え直そうとした大正教養主義の申し子河合栄治郎は、宗教とは距離を置いたが、マルクス主義への対抗を思想的立場として置いていた。

1920年代以降、神道、仏教、キリスト教の社会事業は華々しく展開するのだが、それでもなお、社会問題を全面的に解決するようには見えず、多くの若者たちを魅了していったのはマルクス主義であった。マルクス主義こそが社会問題を全面的に解決するように信じた人が少なからずいたからである。分かりやすく言えば、人格修養主義では河合栄治郎は相当に努力したにもかかわらず、思想善導が実現できるとは思われなかったのである。1920年代から徐々に自然発生的に出てきて、1930年代に大々的に展開する日本主義はマルクス主義の影響から自由ではない。あとは大谷さんの日蓮主義運動も重要な導きになるはずである。

もう一つは、人格主義と人物論についてだが、カーライルの英雄崇拝はたしかに影響力が大きかったというのは私もそう思うけれども、より視野を広げてみると、いくつかの疑問がある。戦前期の人物論はゴシップが多い。このゴシップへのカウンターパートとして理想論が必要だったという面があるのではないか。さらに、宗教学の影響がどれくらいあったのかもなかなか難しいところではないか。多くの人々は今でも厳密に物事を考えたいわけではなく、適当に考えたいのである。そういう人たちを魅了するのは、方便を駆使する法話であろう。要するに、この時代の講演は宗教者の法話的なものも含めて娯楽なのである。この辺のリアリティがやや伝わってこない感じがする。私はまさにこの時代の労務管理を研究していたので、そういう資料も読んでいるから実感としてそう思った。具体例を少し書こう。たとえば、全体的な方針としては教育重視、修養主義で婦徳が重視されているのだが、実際の講話とかだと、ダメな亭主を陰に陽に叩き直す話が喝采を浴びたりしているわけである。本当にありがたい法話というのはそういう娯楽性をうまく取り込んでいる。何が言いたいのかというと、宗教が人格修養に寄与すると考えられたから宗教者が利用されるというより、単に話が面白くて、ときどき難しかったり、素晴らしい人生訓が入ったりするから、場が持って重宝だったのではないかという気もするのである。もちろん、知識階級にはいかに生きるべきかというようなニーズもある。

そうすると、やはりテーマだから仕方ないけれども、国家と宗教を結び付けて考察しすぎている気がする。それが少し窮屈である。素人からすると、やはりここのところは別の何かで補わなければならないな。とはいえ、冒頭で繰り返し褒めたように、本格的な歴史研究で教えられることは多いので、ぜひ手に取られることをお勧めする。
スポンサーサイト
コメント
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事へのトラックバック