お返事が遅くなってすみません。ある学会報告の要旨を作成するのに英語が必要で、四苦八苦していました。

今から思うと、私の書き方が悪くていくつか、混線があるので、少し整理したいと思います。

第一に、私が批判した「新しい賃金」は連合評価委員会の最終報告です。具体的には、次のように書いてあります。

これまでの「会社あっての従業員」という分配論を乗り越え、働く者にとっての「公正な」分配論を積極的に主張し、同一価値労働同一賃金を要求してゆく根拠を確立することになる。「働きに見合った処遇」を得るためには、年功型賃金から職務型・職種型賃金への移行を働くものの視点に立って実現させることが重要である。
それと同時に、生活の視点に立って、生活を保障する全国的なミニマム基準について、社会保障制度等との関連も含め検討し、組合独自に考案することが必要である。こうしたルールの設定は未組織労働者にとっては特に必要であるが、このような底辺をしっかりと支える制度は、組織労働者にとっても重要な意味を持つものである。働く者の視点に立った、新しい賃金のあり方を確立させることは、重要な問題である。


これが新しい賃金と銘打ちながら、むしろクラシカルな議論になっていて、あたかも新しい賃金であるかのように言うのは嘘である、というのがまず、私の批判です。ただ、これはちょっと、アンビバレントなところがあって、おそらくこれを書いた人たちも、問題提起的な意味で「新しい賃金」という言い方をしたのでしょう。それは濱口先生の『新しい労働社会』がクラシカルな議論のリニューアルという側面がありながら、ラベルとしては「新しい」と銘打ったことと軌を一にしているでしょう。この点ではこの本についての議論をしたときに既に確認してあるので、特にお互いに誤解の余地はありません。

その一方で、「新しい」を真に受けている人が多すぎるのではないか、そして、それはこういう切り取り方、打ち出し方にも問題があるのではないか、というのが私がわざわざ批判した点です。そういう意味では濱口先生の議論をたとえばジョブ型雇用といってもそんなに単純な話じゃないんだよというような留保までは丁寧に読まないで、ジョブ型雇用という概念がやや一人歩きしている気がしますが、そのような誤解は単に勉強不足のパッと出てきた評論家であればそんなのは無視すればよいではないかということでいいのかどうか。

第二点は、たぶん、ここが論点ですが、職能資格給制度の批判の意味です。濱口先生が批判される保守主流の職能資格給批判は、その内容の当否を別にしても、1990年代後半から2000年代前半までは意味があったと考えています。ただ、現在では職能資格給が職務と限定なしの能力の伸長を促進する制度としてではなく、まったく逆に、職務が変わらないならば賃金は上げないという賃下げの道具として利用されるようになってきた、という問題があります。

ここで明らかになったことは、従来、語られてきた濱口先生が批判されている解釈が職能資格給そのものを正確に説明するものではなかったということです。職能資格給は、濱口先生が従来、批判されてきたような解釈のように運用することも出来るし、まったく逆に、能力とは関係なく仕事の配置という意味で、賃下げに利用することも出来ることが確認されたということです。私が変な形で小池先生の議論を擁護したので話がややこしくなりましたが、それは切り離しておきましょう。ここでのポイントは、現在、職能資格給として考えるべきポイントは後者の方で、前者の方については放っておいていい(鉄鋼はじめこうした制度を維持しているところももちろんあります)というのが私の考えです。ただ、ここで前者の性格を批判すると、後者の性格が見えにくくなる。そうすると、結果的に、職能資格給の従来の運用を改め、職務給化=賃下げあるいは賃金ストップをバックアップすることになっている。

濱口先生の議論のフォロワーはここくらいまでしかついてこないで、メンバーシップ型社会からジョブ型社会への転換というところで留まってしまう。いや、ご本人の意図がそこにないことは分かってますよ。昔、議論したように『新しい労働社会』のなかでも重要な点は書かれていて、それをめぐって議論したわけですから。

簡単に言えば、労使関係論抜きの職務型・職種型賃金やジョブ型社会への移行すべき論というのはダメであるということです。ここは評価が難しいところですが、たしかに濱口先生がメンバーシップ型とジョブ型という言い方で、昔ながらの議論をリニューアルしたことで、労働関連の議論は活発になったと思います。ただ、それがあまり深まる方向に行かなかったのではないか、やはり分かりやすいキャッチフレーズは功罪相半ばするのではないか、という気持ちが私の方にはあるんですね。それを活発にするのは労働法の濱口先生ではなく、我々だろうという批判ももちろん、甘んじて受けます。

というか、そもそも論でいうと、濱口先生とはここ数年、何度も議論して、問題提起をしてきました。それを読んでいますという人にはよくお会いするんですが、正直、いやいやあんたは発信しろよ、と思う人もいるわけです。私が一番、最初にあの論争を始めたときも、あの頃、濱口先生は池田信夫氏の分析をいっぱいやっていたのですが、そんなことよりももっと大事なことがあるだろうと思って仕掛けたのです。それに当時博士論文を書き終わったくらいの私がそういうことを始めたら、私でさえ出来るのだから、ハードルが下がって、もっと同じようなことがたくさん起きると思っていたのですが、これは完全に当てが外れました。今回の『労働情報』だって、そういう論争の活発化を狙ったんでしょうけれども、なかなか難しいですね。

第三に、ここから、私が歴史をやっているからこそ、濱口先生に歴史の話をさせてしまったのですが、正味のところ、今、歴史なんかはどうでもいいです。それよりも現在が熱い。多くの皆さんに読んで欲しいのは情報労連のReportに濱口先生が書かれた最新の論稿をはじめとした特集記事です。産業別最賃が重要であるということは既に指摘されていましたが、今回の論稿は働き方改革に絡めて、それをさらに踏み込んで書いています。というか、私、これを読んで、結構、驚いたのですが、情報労連の戦略にかかわるようなことを具体的に指摘されています。おそらく、濱口先生の読みもこのタイミングが一つの勝負どころだということでしょう。

その話の前に、上の話の整理をもう少ししておきましょう。結局、ジョブ型社会論は労使関係論と不可分にあるということです。もちろん、『新しい労働社会』の第4章で私たちが論争したように、というより、私かどうかはともかく、濱口先生は最初から労使関係についての論争になり得る種をあの章に仕込んでいました。それが上からの組織化の話です。しかし、それがあまりにもジョブ型社会ということで、労使関係とは切り離される形で人口に膾炙してしまった。私が本の中でジョブ型をトレード型と言い換えたのにはそういう含意がありました。ただ、一方で、トレードは中核的労働者なので、大企業正社員から零れ落ちる層を捉えるという濱口先生の問題意識からすると、ジョブ型しか表現しようがないかもしれません。

そうはいっても、実は私も現在の労使関係でもっとも重要な論点については濱口先生とまったく同じ考えで、直近でもっとも労使関係の再活性化を行う可能性があるホット・トピックは産別最賃の利用だと思っています。これを労組が戦略としてどう考えていくのか。正直に言うと、今の情報労連には結構、期待しています。機関誌Reportは2016年10月の産別最賃に続いて、2017年6月に再び最賃特集の中で産別最賃を取り上げて特集しています。10月には私もインタビューを受けて、濱口先生と一緒に並びましたが、組織的に産別最賃を戦略的に取り上げようという感じではありませんでした。しかし、今回の特集は、情報労連全体かどうかはともかく、少なくとも機関誌編集部は勝負をかけて来たなと感じています。先ほどのリンクを貼った濱口先生の記事の横のバナーに特集記事が読めるようにリンクされていますので、そちらも全部、読んでください。どれも重要な記事です。

特集の解説を書こうとすると、また時間がかかってしまうので、ここではこの特集の持つ可能性だけ触れておきます。正直な話、ここ数か月は日本の組合の情宣はなぜこんなにダメなのかという話を多くの人に問いかけ、意見交換してきたりしたんですが、今回の情報労連Reportはひょっとしたら、面白いことになるかもしれません。この特集には単に組合員や一般読者だけではなく、執行部、その他産別、連合への問題提起の意図もかなり入っている。しかも、それがWEBの媒体で読める、というのは大きいです。情宣が問題提起して、それを運動に反映させるということが起こり得るのか。今後の情報労連をはじめとした産別の動きにも注目です。こういう問題に関心があるマニアックな方は、つしまさんのツイートもフォローしてください(まあ、でもあんまり注目されると、彼が動きにくくなるかもしれないので、本当に関心のある方だけでお願いします)。
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2017/06/20(Tue) 06:20:10 |