2017年08月05日 (土)
朴さんから著書『外国人をつくりだす』をいただきました。ありがとうございます。研究会などで部分的なお話しは伺っていたりしたのですが、今回、まとまった形で、読むことが出来ました。いろいろと考えるきっかけを与えられる本で、とても刺激的だと思います。2週間くらい前にはほとんど書いていたのですが、すっかり遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。
この本は、入国管理とその制度を前提として成立する「密航」に注目して、いかに在日朝鮮人(日本帝国において朝鮮人として戸籍に登録され、日本に居住していた人々)が戦後いかに外国人として登録されるようになったのか、という問題に迫ろうとしています。とりわけ、朴さんの研究の他の人が真似できない特長は何と言っても関係者へのインタビュー調査でしょう。これは二重の意味で、半分は朴さん自身の出自とそれが可能にしたインタビュイーとの調査で、もう一つは単純に彼女個人の人柄です。後者は完全に私の主観的な印象ですが、朴さんは格好つけないで、まっすぐに悩んでいることは悩んでいるという人で、大きく見せようとかそういうところがないので、話し手が自然と話しちゃうということはあるんじゃないかなという気がします。このあたりが天才と呼ばれる所以でしょうか。こういう調査は、実際のものを読んでみることでしかその魅力が分からないので、ここで引用したりはしません。私には引用によって、それを伝える力などありません。
ただ、正直に言うと、私は朴さんの研究の核がどこにあるのかがよく理解できていないなという気がします。まず、なぜそう思ったのかというと、戦前との関係がよく分からないからです。そもそも朝鮮半島からの流入については三・一運動以降、日本政府は一貫して何とか制限しようとしてきました。ということは、戦争が厳しくなった一時期を除けば、ほとんど日本政府は朝鮮半島からの流入に否定的でした(が、これが当時から一般的に知られていたかどうかはよく分かりません。審議会等も機密扱いが多いので、知られていなかった可能性も高いです)。外国人登録制度と、そういう政策との連続性がどう関係するのか、それから朝鮮半島の戦後情勢とどう関係するのか、詳しい考証は出来ないにしても、どういう風に考えればよいのかがよく分からなかったというのが一点です。
もう一つ、戦後の労働運動、社会運動、政治運動のなかで、朝鮮人が果たした意義は少なくありません。このことは少なくとも戦後の労働運動史について多少とも勉強したものにとっては常識的なことです。冷戦体制が構築されていく中で、どうやって日本政府も含めて西側が外国人登録制度を作っていったのか、ということはやはり知りたいところです。台湾は台湾で大陸中国との関係がありますからね。
事実関係で言うと、こういう大きな政治構造というか、安全保障というか、それらとの関係がよく見えなかったということがありますが、そのことと、おそらく第1章がなんで必要なのか門外漢には分かりづらいということと関係します。そして、この分かりづらさは何重にも複雑に絡み合っています。まず、形式的なことだけ言うと、序章で在日朝鮮人についての歴史研究について先行研究が紹介され、それに対する朴さんの研究の位置づけがなされています。私の感覚だと、この後、第2章以降の本論に入ればいいんですが、なぜかその後に資料(データ)論と社会学についての第1章があって、ここが私にはさっぱり分からなかったんです。というか、書いてしまうと、データ論と、後ろの考証がどう関係あるのかということが問われてしまうわけですが、うーん、そこがどう決着しているのか見えない。
資料(文書かオーラルか)そのもの論よりも、構築主義をどう取り入れていくのか、あるいはエスノメソドロジーをどう利用していくのか、という詳しい説明があった方が良かったんじゃないかなと思います。あとがきにはというのも、歴史学にしても、社会学にしても、昔から文書とヒヤリングは、研究成果として出すかどうかは別にして、併用していたわけです。たとえば、有賀喜左衛門は日本資本主義論争の文脈では講座派として消費されていたわけですが、本人の書いたものを読む限り、そういう図式的な方法には懐疑的な、ヒヤリングを含む資料主義でした。でも、有賀喜左衛門の家研究と、朴さんの研究は方法的に全く違う。有賀は一人の例ですが、そういう過去の社会学の方法とどう違うのか、ということの方が重要だったのではないかと思います。単純に、現在の社会学的分析の意義を説明するのに、なぜ社会学の先行研究との違いよりも、現在(かどうかも微妙ですが)の歴史研究との違いを一生懸命、説明しなければならないのか、門外漢には本当に謎です。
なぜ、戦前の問題を持ち出して、朴さんの研究の分からない点を述べているかというと、この研究では制度としての登録制度の説明をして、しかし、その制度の運用およびその網の目をくぐり抜けようとする人たちの姿が活写されているわけですが、その背後には戦前以来の日本国家や社会のなかで朝鮮半島出身者とどのような経験を積み重ねてきたのかということが、制度設計や彼らの行動の背後にあると思うからです。といっても、こういう問題は考証するのが難しい。とくに個々人の経験を語るインタビューのリアリティ(事実じゃなくて、あくまでリアリティですよ、ここは)と同じ密度で考証するのは不可能でしょう。それに、インタビューから垣間見えてくるのは中央で政策を決めていた人ではなく、あくまでローカルな役人(警察を含めて)の姿で、そこにはローカル・ガバナンスを見る際の高い価値があります。逆に言えば、大きな話に繋がっていかないのは、対象の性質の問題も大いに関係あります。ただ、「朝鮮人はいかにして、戦後日本における外国人になったのか」という大きなストーリーには、もう少しレイヤーを分けて、考証する必要があるようには感じました。
なぜ、私は大きい話と結びつけて考えるのかというと、ある集団の排除はその集団全体そのものよりも、その集団に属する(属していない場合もありますが)特定の人たちを排除するために利用されている可能性があるからです。レッド・パージがそうなんですが、あれは共産主義者の排除を目的とされていたのですが、共産主義とは関係ない人でも会社に都合が悪い人が一緒にパージされたりしていて、それが後年まで争われていたことはよく知られています。しかも、在日朝鮮人の場合、韓国や北朝鮮という国家との関係もあるのでさらに複雑です。
というようなことを、もちろん、一人が出来るわけもなく、今後、政治学方面からも学際的に研究されるといいなあと希望しています。研究が進んだら、様々な分野でいろいろとひっくり返るかもしれないし、それはまた楽しみですね。
この本は、入国管理とその制度を前提として成立する「密航」に注目して、いかに在日朝鮮人(日本帝国において朝鮮人として戸籍に登録され、日本に居住していた人々)が戦後いかに外国人として登録されるようになったのか、という問題に迫ろうとしています。とりわけ、朴さんの研究の他の人が真似できない特長は何と言っても関係者へのインタビュー調査でしょう。これは二重の意味で、半分は朴さん自身の出自とそれが可能にしたインタビュイーとの調査で、もう一つは単純に彼女個人の人柄です。後者は完全に私の主観的な印象ですが、朴さんは格好つけないで、まっすぐに悩んでいることは悩んでいるという人で、大きく見せようとかそういうところがないので、話し手が自然と話しちゃうということはあるんじゃないかなという気がします。このあたりが天才と呼ばれる所以でしょうか。こういう調査は、実際のものを読んでみることでしかその魅力が分からないので、ここで引用したりはしません。私には引用によって、それを伝える力などありません。
ただ、正直に言うと、私は朴さんの研究の核がどこにあるのかがよく理解できていないなという気がします。まず、なぜそう思ったのかというと、戦前との関係がよく分からないからです。そもそも朝鮮半島からの流入については三・一運動以降、日本政府は一貫して何とか制限しようとしてきました。ということは、戦争が厳しくなった一時期を除けば、ほとんど日本政府は朝鮮半島からの流入に否定的でした(が、これが当時から一般的に知られていたかどうかはよく分かりません。審議会等も機密扱いが多いので、知られていなかった可能性も高いです)。外国人登録制度と、そういう政策との連続性がどう関係するのか、それから朝鮮半島の戦後情勢とどう関係するのか、詳しい考証は出来ないにしても、どういう風に考えればよいのかがよく分からなかったというのが一点です。
もう一つ、戦後の労働運動、社会運動、政治運動のなかで、朝鮮人が果たした意義は少なくありません。このことは少なくとも戦後の労働運動史について多少とも勉強したものにとっては常識的なことです。冷戦体制が構築されていく中で、どうやって日本政府も含めて西側が外国人登録制度を作っていったのか、ということはやはり知りたいところです。台湾は台湾で大陸中国との関係がありますからね。
事実関係で言うと、こういう大きな政治構造というか、安全保障というか、それらとの関係がよく見えなかったということがありますが、そのことと、おそらく第1章がなんで必要なのか門外漢には分かりづらいということと関係します。そして、この分かりづらさは何重にも複雑に絡み合っています。まず、形式的なことだけ言うと、序章で在日朝鮮人についての歴史研究について先行研究が紹介され、それに対する朴さんの研究の位置づけがなされています。私の感覚だと、この後、第2章以降の本論に入ればいいんですが、なぜかその後に資料(データ)論と社会学についての第1章があって、ここが私にはさっぱり分からなかったんです。というか、書いてしまうと、データ論と、後ろの考証がどう関係あるのかということが問われてしまうわけですが、うーん、そこがどう決着しているのか見えない。
資料(文書かオーラルか)そのもの論よりも、構築主義をどう取り入れていくのか、あるいはエスノメソドロジーをどう利用していくのか、という詳しい説明があった方が良かったんじゃないかなと思います。あとがきにはというのも、歴史学にしても、社会学にしても、昔から文書とヒヤリングは、研究成果として出すかどうかは別にして、併用していたわけです。たとえば、有賀喜左衛門は日本資本主義論争の文脈では講座派として消費されていたわけですが、本人の書いたものを読む限り、そういう図式的な方法には懐疑的な、ヒヤリングを含む資料主義でした。でも、有賀喜左衛門の家研究と、朴さんの研究は方法的に全く違う。有賀は一人の例ですが、そういう過去の社会学の方法とどう違うのか、ということの方が重要だったのではないかと思います。単純に、現在の社会学的分析の意義を説明するのに、なぜ社会学の先行研究との違いよりも、現在(かどうかも微妙ですが)の歴史研究との違いを一生懸命、説明しなければならないのか、門外漢には本当に謎です。
なぜ、戦前の問題を持ち出して、朴さんの研究の分からない点を述べているかというと、この研究では制度としての登録制度の説明をして、しかし、その制度の運用およびその網の目をくぐり抜けようとする人たちの姿が活写されているわけですが、その背後には戦前以来の日本国家や社会のなかで朝鮮半島出身者とどのような経験を積み重ねてきたのかということが、制度設計や彼らの行動の背後にあると思うからです。といっても、こういう問題は考証するのが難しい。とくに個々人の経験を語るインタビューのリアリティ(事実じゃなくて、あくまでリアリティですよ、ここは)と同じ密度で考証するのは不可能でしょう。それに、インタビューから垣間見えてくるのは中央で政策を決めていた人ではなく、あくまでローカルな役人(警察を含めて)の姿で、そこにはローカル・ガバナンスを見る際の高い価値があります。逆に言えば、大きな話に繋がっていかないのは、対象の性質の問題も大いに関係あります。ただ、「朝鮮人はいかにして、戦後日本における外国人になったのか」という大きなストーリーには、もう少しレイヤーを分けて、考証する必要があるようには感じました。
なぜ、私は大きい話と結びつけて考えるのかというと、ある集団の排除はその集団全体そのものよりも、その集団に属する(属していない場合もありますが)特定の人たちを排除するために利用されている可能性があるからです。レッド・パージがそうなんですが、あれは共産主義者の排除を目的とされていたのですが、共産主義とは関係ない人でも会社に都合が悪い人が一緒にパージされたりしていて、それが後年まで争われていたことはよく知られています。しかも、在日朝鮮人の場合、韓国や北朝鮮という国家との関係もあるのでさらに複雑です。
というようなことを、もちろん、一人が出来るわけもなく、今後、政治学方面からも学際的に研究されるといいなあと希望しています。研究が進んだら、様々な分野でいろいろとひっくり返るかもしれないし、それはまた楽しみですね。
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