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田中萬年先生からコメントをいただきました。先生からは外在的な批判ではないかという趣旨をいただき、その限りでは「その通りです、すみません」というお答えしかできないのですが、そうなった理由もそれなりにあって、そして、そのことを説明することが、萬年先生が一番気にされている先生と私の意思疎通の問題に答えることにもなるのではないか、と思います。

運動としてなのか、研究としての評価なのか、ということで、そこはたしかにきれいには線引きしていません。ただ、私から見ると、田中先生の問題設定自体が極めて、学問的というよりは、職業教育の今日的立場を明らかにするという実際的な、それ自体は切実な問題意識に基づいていると思っています。そして、佐々木先生ほど田中先生の書かれるものは、そこが線引きされていない、というのが私の印象なのです。

ここでは研究として、ということで、書いておきましょう。私は先生の研究アプローチ自体に大きな疑問を持っていて、政策理念についての分析はその当事者がどう考えていたかを明らかにすることは出来ても、日本全体で職業教育、職業訓練、教育(いずれでも構いませんが)を論じるには適当な素材ではないと考えています。そうしたテーマであれば、代表的な論者の議論を検討するだけでは明らかに不足しており、より広範な雑誌、新聞、その他での意見などを精査して、実際の教育が日本においてどのように受け取られていたのかということを明らかにすべきでしょう。端的に言って、もっと考証すべき事柄が多いと思います。だから、私の田中先生の御著書への評価は、歴史研究の考証作業としての貢献には興味深い点が多くあり、かつ学ぶべきことも多いが、その成果は必ずしも先生の主張をサポートしていないということです。言い換えれば、問題設定と方法が必ずしも一致しているとは言えない、そういう判断です。

その上で、田中先生の質問に答えるならば、「教育勅語」についてどう思うかですが、端的に教育勅語についての私の見解を述べよという意味ならば、答えは「分かりません」です。少なくとも帝国日本における憲政のあり方、皇室制度の位置づけを理解しているとは言えませんし、さらに、ある種のナショナリズム的高揚がどのように起こったのか、そのなかで教育勅語はどう利用されたのか、あるいはどう受容されたのかについて、研究史を精査した上で、どのように考えているとは言えません。さらに、教育勅語廃止に関連しても、日本国憲法の成り立ち、その思想的背景、とりわけ若き日の稲垣良典先生が研究されたらしいカトリック思想の寄与について、あるいはそれらの事柄を踏まえた田中耕太郎の思想を検討して、国体レベルでの連続性をどう考えるのかということも分かりません。こちらは上の方の議論なので、それと受け止められ方はまた別に考える必要があります。それに皇室あるいは共産党流にいう天皇制と教育との関係でいえば、戦前には教育勅語だけでなく、戊申詔書を中心とした地方改良運動、その後の明治神宮設営における青年団の活躍、1920年代の日本主義の興隆などをトータルに考えなければならないのは言うまでもありません。

加えて、戦前の実業教育で教育勅語が問題になるのは1920年代に公民科を作るときくらいで、それ以外の時にはいろんな審議会等の速記録を読んでいますが、教育勅語との関係を踏まえて議論するなどということはほとんどないのではないでしょうか。だから、そもそも学校以外での狭義の職業訓練、普通教育ではない学校で行われる実業教育のいずれにしても、教育勅語と組み合わせて考えなければならないという局面はほとんどないと考えています。具体的に言えば、実業教育史研究のなかで、三好信浩さんの産業教育史研究、小路行彦さんの『技手の時代』にも私の記憶する限り教育勅語は出て来ません。そもそも、教育勅語をどう考えるのかは大して重要ではありません。それよりも、戦後の教育学界隈を縛ったのは戦時総力戦体制の中で学校がどう組み込まれていったのか、そこで産業とどう関係していたのかということであって、この文脈において教育勅語が果たした役割は、あったとしても限りなく周辺的なものであっただろうというのが私の見通しです。とはいえ、私は「勤労新体制」でさえもただのキャンペーンで大して重視していないので、そのあたりはそれぞれで割り引いて受け取ってください。

田中先生の職業訓練の概念は、通常の職業訓練だけでなく、私が実業教育と呼ぶものから、普通教育のなかで教えられる一部にも及んでおります。私は概念を拡張する試みを中身としては別に否定しませんが(そういう解釈もあり得るとは思います)、実践的にも研究的にもあまり意味がないのではないかと思っています。読み書きそろばんも職業訓練そのものだという考え方も、実際にはそのような職業訓練を拡張する考え方を提示することは別段、何をもたらすこともないでしょう。この限りでは以前、『非教育の論理』の合評会をやった頃から私は何も変わっていません。今読み返すと、内容は別に変らないのですが、自分の青臭い感じが恥ずかしくて、わああああという気分なので、リンクは貼りません。なお、この段落だけ部分引用禁止です。

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コメント
金子さんの広く深い学識は認めますが、今回の反コメントにも納得できません。研究アプローチの疑問は、研究は発展するのであり、私のが永遠に正しいとは思いませんが、研究視座、視覚、視点との違いなのでしょう。例えば「教育勅語」の捉え方もそうですし、「職業訓練」の捉え方にも関連しますね。
2017/08/15(Tue) 07:29 | URL | 田中萬年 | 【編集
コメント、ありがとうございます。「教育勅語」「職業訓練」の捉え方が違うというのはその通りですが、そのことと、歴史研究として方法的に明らかに出来ないことを論じているという批判は別次元だと考えています。多くの人がどう考えていたのかということと、田中先生がどう考えるかということはまったく別の次元で、前者については一部の著名な論者のものだけ取り上げても明らかにできない、というのが私の意見です。それから「教育勅語」に関しては、田中先生の議論はほぼ教育学界隈の意見を踏襲しているように見えました。
2017/08/15(Tue) 11:55 | URL | 金子良事 | 【編集
教育界と職業訓練界との二領域で仕事をされてきたNさんは、次のような私信を田中に寄せてくれました。
……………
(前略)
ある意味ではその限界というか、私自身の説明能力の不足もあったと思いますが、私自身の携わった職業訓練の仕事の意味や意義について、周囲の多くの方は、関心をもたない、関心をもっても理解しない、しえないのだ、と解釈せざるを得ないような状況をまのあたりに体験しました。それがなんだろうか、が〝学習論〟の考察の中には含まれていたと思うのですが、結局のところ、その後、発展・展開しえぬまま、今を迎えてしまっています。
(後略)
……………
 教育界の人々は、今でこそ公言はしなくなりましたが、今でも職業訓練への蔑視観を抱いている人が多いことを意味しているようです。
 このような人たちの“教育”を受けて子供達、青年達は社会に巣立って行っています。
 これらの人たちに職業訓練の意義をいくら唱えても馬耳東風でしょう。私が「教育」の諸問題を説く意味はここにあります。
2017/09/08(Fri) 20:47 | URL | 田中萬年 | 【編集
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