ここ数週間、濱口さんのブログで、御自身が一生懸命、探して紹介している(本当の意味でインタラクティブ!)『新しい労働社会』の書評を楽しみに読んでいると、彼のメンバーシップの議論に蒙を啓かれたという人が結構、いるらしいことが分かった。どうも誤解しているのか、あるいは、よく分かっていないのか、方法論上の基本的な話をちょっと書いておこうと思う。

濱口さんが現実感覚のある方であることは特に議論せずに認めてしまってよいと考えている。ただ、その現実感覚がどういうものかはもうちょっと、踏み込んでみた方がよい。普通の人は、現実感覚というと、現場感覚とほぼ同じように考えてしまい、労働の現場についてよく知っているという程度で理解してしまう。これが誤りのもとだ。

現実というのは、当たり前だが、いろいろなフェーズを持っている。単純な労働の現場、それを論じる場と色々だ。濱口さんがすごいのはそのそれぞれにある程度、通じているというところだ。「それを論じる場」とこれまた一括りにしてしまったが、大きく分ければ、ジャーナリズムと学界(両方とも偽者と本物)の二つがある。普通の人はそのどこかの世界に引っかかってればよいのだが、濱口さんは義理堅いのか、どの分野にも目配りをしている。ただし、濱口さんご本人が使っているリアルな感覚は、こういうものは全部背景にしまっても構わなくて、最終的に然るべき事実認識に基づいた現実的な政策提言をすることに尽きる。

ただ、この本を読む前提として、社会科学の基本的なルールを知っておくのは便宜的であろう。私の独断と偏見では、社会科学の理論は、純度の高いものであっても、前回までのシリーズで書いた賃金のような実践的な性格を色濃くもったものであっても、同じように現実を直接、説明するわけではない。現実の断面を理解するための手立てなのだ。他の人はどうか知らないが、私の場合、歴史的事実を調べるために資料を読み込むための頭の使い方と、それがいったいどういう性格であるのか、ないしどういう意味を持っているのかを分析するときの頭の使い方は根本的に違う(もうちょっと精確に言うと、資料を読むのには頭だけを使っているわけではない。ここを参照)。昔の段階論がこういう事実を説明していないとか、そういう野暮な批判は言わない方がいい。そういう大まかな理論はいわば地図であって、大体、分かればよいのだ。

ここ数回書いたエントリがすんなり分かった人には言わずもがなの説明だが(すなわち、前提として書いてしまった)、『新しい労働社会』の序章の背景にあるのは、ご本人のペーストが乗せられているものの、基本的には日本的経営論などで論じられてきた、クラシカルな議論だ。何を言いたいかというと、この部分は現場感覚などなくても書ける、ということだ。むしろ、必要なのは学説の相場についてのバランス感覚、という意味での現実感覚といえるだろう。

こういう分かりやすい構図で描く利点はいくつか考えられる。第一に、読者に分かってもらうことである。これも二つに割っておこう。まず、初心者に分かったと思ってもらうである。第二に、もう少し邪推すれば、単純化は論点を明確にする。第三に、事実を詳しく説明する労を省く。

この本全編にたしかに、濱口さん一流の現場感覚は埋め込まれていると思うが、正直に言うと、相当に背景に隠されていて、私の感覚ではそれを読み取るのは相当に難しいだろうと思う。たとえば、昔からこのクラシカルな議論は大企業モデルで、中小企業には当て嵌まらないではないか、という批判があった。濱口さんもそのことは承知しているから、きちんとエクスキューズを書いている。そして、中小企業が重要でないとは思っていない。ただし、大企業における過労死の問題、非正規問題など、論点を絞って政策を提言する分には、たとえ中小企業の問題を捨象したとしても、それはそれで有効なフレームワークなのだ。したがって、「日本は~」と書いてあるからと言って、日本全体のことを説明しているなどと早合点してはいけない。極めてピンポイントを狙い済ました叙述なのである。

私の言っていることが間違っているかどうか検証したければ、濱口さんが私を紹介してくれたエントリに貼られた彼の古い文章と第4章の叙述を比べてみればよい。どちらが具体的な事実を詳しく述べているかよく分かるだろう。このような多様な抽象次元の議論を自由に駆使して、説得できることこそが、私の言う現実感覚なのである。

政策は設計する段階では、いろいろと複雑な事情をそれこそ十重二十重に考える必要があるが、訴える段になったら、単純でなければならない。その意味で本来、政策提言はその内容を問うまでもなく、少なからずプロパガンダ的性格を持たざるを得ないのである。まず、政策提言を読むときには、こうした性格を知る必要があるだろう。

ただ、ここで書いた注意事項は優れた現実感覚を持つ人の政策提言を読むときに限る。この点を次回、もう一つ、詳しく書いてみよう。
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