武田晴人先生が『異端の試み』を公刊された。この研究は1990年代に行わた講義をもとに先生のホームページ上で公開されていたもので、00年代に日本経済史研究に何らかの関心をもって勉強した人はおそらく繰り返し読んだのではないかと思われる。少なくとも、私にとっては二村一夫先生のホームページと同じくらい意味があった。単著になって公開が終わってしまったので、将来的に継承されにくくなったのではないかと思うと、かなり残念だが、いずれ武田先生を知らない世代になれば、ウェブにあってもきっと読まれなくなるだろうから、それもまた仕方ないことなのだろう。

このタイトルを見たときに、まっ先に思い浮かんだのは、天野郁夫先生の教育社会学研究に書かれた論文のことで、私はこれを「異端」論文だと思ったら、こちらは「辺境性と境界人性」というタイトルであった。ただ、実際には言葉遣いが違うだけで、言っていることはきわめて似ていると思う。武田先生の場合、日本経済史研究には日本の資本主義を明らかにするという課題があって、いかにもその中心であった繊維産業をやっている石井寛治先生や高村直助先生にはそうした逡巡はないけれども、周辺的な産業である産銅業史をやっていたために、日本資本主義という正統との関係で自分を問い直す必要があった。天野先生の場合、教育領域には「正統的な教育学」との対比においてアイデンティティを論じられている。教育社会学の方は、私は社会福祉学と似ているという認識をもっていて、社会福祉学はそれ自体は今は崩壊してなくなったかつてのマルクス経済学にもとづく社会政策学を正統とし(その根拠は極めて怪しいと私は思っているが)、そこから独立した「固有性」を明らかにすることを長い間、課題にしてきた。社会福祉の歴史研究の中では、今でも具体的な人物を消して科学化することを重視する姿勢があることを聞くが、半世紀の間、昭和史論争の影響もなく、古い社会科学観を継承していると思うと、柳田国男の方言周圏論が思い起こされる。

異端であるには正統の存在が欠かせない。武田先生の本を通じて感じるのは「正統」をどう理解するのか、という徹底的な研究であり、これこそが先行研究を学習することの正道ではないか、と思う。そして、残念なことに、このような正道はどの分野においても踏襲されているわけではない、ということである。なぜ、このようなことが可能な領域と、難しい領域があるのかと考えると、私は抽象レベルの高い理論的なコア(時代によっては本質論)があるかどうかが重要な気がしている。

かつての日本経済史研究では、それは間違いなく、日本資本主義の構造的理解だった。少なくとも、東大経済では私たちの上の世代までは山田盛太郎の『日本資本主義分析』をよく読んでいて、一次史料を使い、史料の中に埋没しがちな研究の中で、結果的に抽象的な思考法を身につけていたように思う。比較制度分析は、それ自体が異端の試みであったが、従来の日本資本主義に代替するモデルを示し得たかというと、示せなかったのではないだろうか。これは、別にそこに可能性がなかったというわけではなく、いわゆる今の主流派経済学の学説史的な流れを踏まえなければならず、そこには制度学派との対立や、そこから新たに出てくる新制度学派的な立ち位置などを見通す必要があり、それはそれで結構、学説史を勉強しなければならないし、そういう意味での海図になるような研究もない。日本では速水先生たちが始めた人口関連の計量経済史もそうだが、新しい分野を始めようとすると、理論、一次史料、分析を揃えるところまでは行くのだが、その後、それを螺旋の様に発展させるのは難しい。比較制度分析は、既に発展した一次史料と分析が蓄積されており、理論の部分だけを置き換えようとしたのだが、このアンバランスさのなかで発展させていくのは非常に難しいことだったんだろうなと今では思う。しかも、用語が違うだけで、マルクス経済学と主流派経済学には経済学として共通する考え方もあるので、全部を置き換えるということにもならず、それだったら、新しくしなくてもいいんじゃないか、というようなことも起こった。青木先生も基本的にはマルクス経済学出身なわけだし。全然違うと言えば、旧制度学派の方だけれども、こちらは帰納型だから、純度の高い理論足り得ないし、そこに良い点もあるので、難しいし、法とかは国ごとに違うし、あまり現実的ではない(ことはないかもしれないが、私には分からない)。

ここらあたりになると、小西甚一先生の「雅」と「俗」のバランスを描いたことと通じており、日本文藝史を睥睨して盛衰があるのだから、人文社会科学に盛衰があるのも仕方ないという気もしてくる。ただ、天野先生が論じているのは「俗」の部分、形式が整っておらず、だからこそ豊かな可能性があるという話で、これは非常に分かりやすいのだが、武田先生の方は「雅」を一方で極めながら、「俗」たらんことを重視している点が面白い。比較制度分析は一つの「雅」を代替する試みだったが、そういうものが出ること自体、一つの歴史(研究史)の転換であったのだろうと思う。ここらあたりは武田先生の岡崎先生評価に関するところを読むと示唆深い。
スポンサーサイト
コメント
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事へのトラックバック