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この一年間、明らかに比重が教育よりになりました。それは私の大阪での人脈がそこから始まったということも大きいと思います。ただ、ここに高齢者問題以外の多くの問題が集約されているなあとも思いました。同時に、やはり教育機関に勤めていることもあり、ここで実践として何が出来るのか、ということを考えているからでもあります(それはまだお話しする時期ではありませんが)。

現場に出て行って、大学の先生という形でお話しするのではなく(あまりこういうのは好きではないのです)、一参加者として話すという段になると、やはり自分の来し方、そう学校生活とは何であったのかということを考えざるを得ません。自分だけそこから逃げるというわけにもいかないからです。

私は今は特に高校までの学校生活に思い残しのようなものはありません。楽しい思い出もないではないですが、どちらかというと、気持ち的にはしんどかったなあという思いがあります。良かったのはこんなに適当でもいいんだというのを同級生と一部の先生が実践してくれていたことでしょうか。ただ、ゲームにはのめりこんでたし、あれは今から考えてもあまりよかったとは思えません。

今のゲームと昔のゲームでは全然違います。ちょうど、1990年代に格闘ゲームがゲーセンで流行って、私はその最後の世代でしたが、ゲーセン自体がその後、アミューズメントパーク化していきます。プリクラとかが出てくる時期です。その頃の家庭用ゲームはあくまでゲーセンの練習用でした(言い過ぎですが、私たちにとっては)。私は大学に入ってから、ほとんどゲームをやらない時期が長かったので、その後の経過はよく分かりません。やめたのはなんでこんなことやってるんだろう、勉強しなきゃと思ったからです。古い世代の私からすると、たとえばRPGでグラフィックがきれいになっても、プレイよりもエンディング時間がやたらと長いとかに違和感も出てきました。その後、世の中はインターネット、というより、回線が強化されたので、オンラインゲームがはやります。オンラインゲームは、単にゲームとしての機能だけではなく、そこに付随する人間関係のコミュニケーションもあります。

私自身、ネットの世界も長いですし、オンラインゲームをやっていたこともあるので、多少は分かりますが、ネットの人間関係はオフラインの人間関係とは違います。あえて、リアルという言葉を使わずに、オフラインという言葉を使ったのは、私は現実の世界の人間関係がリアルだとはあまり思ってないからです。というよりは、むしろ、虚飾にまみれていると言った方がよいでしょうか。きれいな言い方をすれば、オブラートに包む、ということが美徳とされる世界です。学者の世界はそれでも多少、少ない領域があるかなとも思いますが、そうでない汚い世界もたくさんあります。でも、ネットの世界はテキスト情報がメインなので、その細やかなやり取りで、オフラインの世界だと騙されてしまうようないろんな情報がない分、その人の本質的な部分が見えてしまうことがあると私は実感として思っています。その人の汚い本性も、時には普通の社会では素直になれないその人の良質な部分も、ネットを通じて垣間見ることがあるでしょう。

子どもの話を聞くと、大人よりもよく人を観察しているなと思うことがあります。それはあくまでネットという環境が与えたものでもあります。こういう、インフラが全然違う世界の中で、今の子どもたちと私たちは生きているんだということからしかスタートできない。私はまだ何が正しいのかということを断言できるほど、自分のもとに情報量があるとは思っていません。複雑な状況のなかで物事を考えていかなければならないなと思いを新たにしました。
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