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友人の武田緑さんが、今、School Voice Projectという新しい取り組みにチャレンジしています。私は久しぶりに書くこのエントリで、みなさんにこの試みへの応援をお願いしたいと思っています。それはもちろん、友人として彼女を応援したいという気持ちもあるのですが、それよりもこの試みが日本の労働運動にとっても新しい可能性があるのではないか、と感じています。今日はそのことについて書いてみようと思います。

教職員の労働運動と言えば、私たちはすぐに日教組やそこから分かれた全教を思い出すわけですが、なぜ武田さんは日教組ではなく、新しい形での取り組みを始めるようになったのか、という疑問がまず浮かびます。というのも、武田さんは大阪の人権教育の盛んな地域出身で、社会運動や労働運動をよく知っていて、日教組の運動を知らないわけではないからです。日教組というのは、戦後の労働組合運動揺籃期の1947年に結成され、総評の中では自治労とともに官公労運動の雄であり、総評議長も送り出している伝統を持つ組合です(念のため、総評は今の連合になる前、4つに分かれていたナショナル・センターの最大の組織でした)。長く文部省や自民党と対立してきましたが、1990年代の歴史的和解以降は、自民党の一部からの硬直的な非難を別にすれば、是々非々で活動を展開しています。

労働組合運動での核の一つに労働相談があります(ここからは日教組のことをいったん忘れて、労働組合一般の議論として読んでください)。個人的には、単組レベルではこの機能がもっとも大きいのではないかと思います。私はこの間、あるプロジェクトで久しぶりに労働相談の重要性を再確認する機会がありました(そのうち、成果を発表できる機会があれば、また紹介します)。労働組合というのは民主的な組織で、一人一人の構成員の声を蔑ろにせず、その人たちの労働環境を良くすることを目的としています。ここでいう民主的は、トップダウンの対極と考えてもらえれば良いです。古い言葉では、草の根、英語でグラスルーツと言います(今の人はあまり使わないですよね、たぶん)。

ただ、この労働相談での相談内容がより大きな、たとえば運動方針等に取り入れられるかというと、必ずしもそうなっていないところがあります。というのは、労働相談はあくまでその相談事を現場で解決することが第一で、それを集約して新しい運動にするというのは大変な労力のかかることだからです。現場でやっていることを中央が統制も管理もせず、その場で解決しているということが結構見られるのです。これは日本的組織の得意な現場主義でもあります。

今回のこのプロジェクトは、この声を集める、ということに特化しています。声を集めて、それを社会に届ける。組合は民主的とはいえ、組織なので、下からだけでなく、上からの力も強く働きます。そして、そのこと自体は決して悪いことではありません。ただ、今回のこの試みは完全に下からの、参加したい、声を上げたい、そういう意欲だけで成立しています。また、労働組合ではないので、管理職も入ることができます。

2014年に官製春闘という形で、春闘が復活した際、私はちょうどその直前のタイミングで賃金の本を書いていたため、多くの組合関係の人と話す機会を持つことが出来ました。その際、「賃金を上げて欲しい」という要求を出せない、声を上げられない、という話をよく聞きました。歴戦のベテランからすれば、信じられないようなことだけれども、教員だけではなく、私たちはいつしか社会の中で声をあげるという習慣が少なくなってきたんだと思います。もちろん、東日本大震災以降、デモが復活し、様々なデモがある風景は見られるようになりましたが、それでもまだ声を上げられない、という習慣は根強くあるのではないか、というのが実感です。

そして、一見、気が弱いようなそういう小さき声を大切にする、ということはかつての運動でもしばしば等閑視されてきたことです。世界の歴史で見れば、オキュパイ・ウォールストリート運動のときに、参加者の声を拾う草の根運動が展開したことがありました。ただ、日本ではまだ十分に古い運動と新しい運動を融合させて、次に向かっていくというのが見えないのではないかと私は思っています(念のために言っておくと、それがダメなのではなく、ある程度今までのやり方でちゃんと機能しているがゆえに、大胆なイノベーションが出てこないということなんだろうと思います)。

正直、私自身、声を上げられない声を大事にするということを大事にしてきませんでした。個人的には、このブログの古くからの読者の方ならばご記憶かと思いますが、私は初期から言いたいことを言ってきました。その頃、いくつかの非常勤講師を掛け持ちしながら、正規のポストを探す上で、敵を作りかねない言動が不利に働くということは分かっていましたが(助言してくれる友人たちもいました)、それでも学者としていったん書いたことをなかったことにするかのような卑怯なマネをするなら、(少なくとも学者としては)死んだ方がマシだと思っていました。そのことは今も後悔していません。しかし、声を上げられない、その奥にある声に耳を傾けるそういうことはしてこなかったし、関心も持ってきませんでした。

緑さんが自分の体験を基盤において、こういう運動を展開したのは本当に素晴らしいことだと思います。すべての運動はコンパッション、共感がその基底にあります。そして、このプロジェクトはテクニカルに、ウェブアンケートや動画など、様々なツールを駆使して展開されていて、その点も日本では従来の運動になかった可能性を感じさせます。

学校を支えるのは、誰にとっても大切なことです。ぜひ、みなさん、ご支援いただけると幸いです。どうぞよろしくお願いします。

追記
もう既に長くなったので、いったん終わりますが、もう少し別の角度からもこのプロジェクトの意義を考察したいと考えています。
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