マシナリさんから非常に実務的に有意義なご批判をいただけたので、あらためて、お答えしようと思います。その前に一言だけ。このような応酬ができて大変、光栄に思っております。というのも、一連のやり取りは、基本的に私の机上の空論に現実的な観点から疑問が投げかけられ、それを修正していくというプロセスになっていると考えているからです。ですから、どちらかというと、私の方が勉強させていただいております。ありがとうございます。

「両極端が必要」という意味はまさにご指摘の通りで、実際の現実はその真ん中なのです。ただ、その議論の舞台の上では、非正規も組織化したほうが良い、という考え方が前提になっています。この舞台では、非正規を組織化すべきかどうかという点は論じられず、どう組織化するのがよいのか、という次元で論じられるようになるのです。それは濱口さんも、マシナリさんも、私も共有しているわけです。そういう意味で、濱口さんの議論と私の議論は両側から舞台を支える柱なのです。

私のパターンは簡単に言うと、次の三つです。
① 労働組合が機能しているところ
② 労働組合があるけど、かえって邪魔して機能していないところ
③ 労働組合がそもそもないところ

一般には左派のやり方が汚いとか、逆に、右派がそれを利用して「左派に組合を作られる前に、うちで作りませんか」と組織化戦術に使ったりとか、そういう話はエピソードとしてはよく聞きますが、全体に適用して一般化できるような証拠はありませんので、とりあえず、抽象レベルをあげて②に含むということにしておきます。私の議論では、②と③は強制代表制を作っても問題は大きくないだろうと一応、考えてあります。ただ、今日はそういうまどろっこしいことよりもまず、ずばり、本質的なことから書き始めることにしましょう。

マシナリさんのお話を乱暴にまとめると、今の組合じゃ大部分はダメだ。組合なんかあろうとなかろうと、職場のリーダーがしっかりしているところは、ちゃんとできる。まず、飛んで、飛びながら勉強しよう、といったところでしょうか。

私が心配しているのは、最後の部分です。マシナリさんは、箱物でもないと、勉強もできないじゃないか、というご意見だと思います。この部分で前の前のエントリの主張を繰り返します。勉強している間に、新しくできた制度を利用して「団結権の人権的把握による弊害」を齎してきた連中にうまいようにやられてしまう危険がありますよ。そうなったら、もう救済できません、ということです。本当に心配しているのは②の状態なのです。エクスキューズに使う、というより、もっと強く、悪用されたら困る、と思っているのです。民主主義というのはそういう脆弱性を抱えているのです。

①が失敗したら、廃案にすべきは言い過ぎかもしれませんが、一番労使関係の上手なところでさえ、うまく行かないのだったら、制度設計に問題あり、と考えるのが自然ではないでしょうか。そういう状況に陥ったときに、はたして他のところでもっとうまく行くという算段が立つのかどうか。ある程度の見通しがなければ、ゴーサインは出せない、という判断なのです。何ができて、何ができないかを考えること、それから、有限である出来ることに優先順位をつけること、この二つが肝要ではないかと考えます。

私の意見が弱者切捨てに読めるというお話でしたが、それは行論の限りでは正しいです。少なくともここまでのディスカッションにおいて、私はこの制度によって弱者を救えるとは思っていないし、さりとて、私自身それに対する代替案を提出していないからです。ただ、あくまで労使関係マターでなんとかなると楽観的に思えないだけで、弱者を切り捨ててといいと考えているわけではありません。何かしら別の政策が必要だとは思いますが、私は今現在、起こっている出来事について、事実収集もやってませんし、したがって、本質も見えていませんので、代替案を出せないのです。それだけのことです。

なお、産別とかナショナルセンターの話は、実はここまでの一連のやり取りのなかでは捨象されていた論点なんです。なぜ捨象されたかといえば、それは濱口先生の本の序章の枠組みを前提にしていたからです。マシナリさんが仰りたい思いというのは、労働組合が現場の労働者を救わず、組織の論理で動いているじゃないか、ということだと推察します。これは、実は古くて新しい組織規模の統治の問題でもあります。事実レベルでいえば、左派の中にもそういう問題意識を持っている人はいて、というより、戦後の総評ラインを作るのに寄与した細谷松太さんは、まさに共産党内からそういう反省の声をあげ、結果的に除名されました。

細かいことを言うと、いろいろ議論の余地があるんですが、教科書風に大まかにいってしまえば、日本では産業民主主義の考え方は社民右派と呼ばれてきた人たちが堅持しようとしてきたといってよいでしょう。同盟系も途中、揺れる時期もあるので、なんとも言い難いですが、大まかに言って、鈴木文治・松岡駒吉以来の伝統を持っています。ただ、産業民主主義を称揚しているとはいえ、私自身の思想信条は、左とか右とかではちょっと分類できません。
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再度お答えいただきこちらこそありがとうございます。 「成功する算段(2009年08月14日 (金) )」 ※ 前回の拙ブログのトラバが飛んでないよう...
2009/08/14(Fri) 21:16:28 |  machineryの日々