もう、半世紀以上も前の話だが、戦後、社会政策研究は労働問題研究へと転換していったといわれている。その直接のきっかけとなったのは、いわゆる社会政策本質論争であった。社会政策本質論争の意義を学説史上にどのように位置づけるかという問題はあるけれども、1940年代後半から50年代にかけてのこの論争が大きな流れを作ったことに異論がある人はいないだろう。

 論争の主役は大河内一男先生、というより、いわゆる大河内理論だが、大河内先生自身は戦前から既に社会政策についての論争を行っていた。現時点から振り返ってみると、大河内社会政策論が批判すべき対象としてではあっても、あれほどまでに輝きを放ったのは、戦争が終わった後で社会科学としてマルクスの後光が差した、ある一時代の特殊現象であったようにしか見えない。もし、この論争を振り返りたいのならば、今でも中西洋『日本における「社会政策」「労働問題」研究』東大出版会、を紐解かれるのがよいだろう。実は中西先生の本では、高田保馬先生との論争などは全く検討されていない。高田-大河内論争こそは真に重要な論争だと私は考えているが、言及されることはあっても、中西先生が他の論争を扱ったような形で丁寧に解析したものはない。ただ、神代和欣先生が退官なさった前後の頃の文章を読んだときに、近経の先駆者としての高田先生に注目してなぜこの論争が展開しなかったのかという問題提起をされていて重要だなと思ったのだが、肝心の論文をどこかにしまってしまったため、細かいことが分からなくなってしまった。ちなみに、この世代で本質論争にまったくタッチしていないのは小池先生と神代先生の二人である。

 稲葉さんは中西先生があまり取り上げられていないことを折に触れて述べており、たしかに、そういう傾向もあるのかもしれないとも思う。しかし、必ずしも直接的に言及されることはなくとも、稲葉さんも含めてある世代以後の東大経済出身者に対する中西先生のインパクトは計り知れないものがあると思う(多分、私の五つ以上上の人たちくらいまで)。たとえば、調査研究の原点を氏原先生に置く学説史理解の方法があるが、私はこれは中西先生の創作だと思っている。「制度派労働研究の現代的価値」の中で佐口先生が生活分野に重きを置く貧困調査に注目している背景には、1950年代に社研調査が労働の現場研究と貧困研究に分かれていったという事実認識がある。言うまでもなく、その後、貧困研究の流れを発展させたのは江口英一先生とその門下生である。佐口先生もさらっと一行書いているけれども、小池先生やそのすぐ下の山本先生の世代まではいわゆる労働問題研究者たちの間で「生活」が意識されていた。あまり知られていないような気もするが、小池先生は実際に貧困調査をなさっている。

 いわゆる戦後直後の社研調査の系譜を貧困調査という点から辿っていけば、ブースやロウントリィーを持ち出すまでもなく、日本にだって古い伝統がある。学問的には主に二つの系譜である。一つは工場法の予備調査であったいわゆる「職工事情」である。これには窪田静太郎の盟友、桑田熊蔵が参加している。もう一つは、高野岩三郎に端を発する家計調査である。高野はILO労働代表事件で東大を辞めた後、大原社研に移り、そこで調査研究の伝統を作る。若き日の宇野弘蔵も調査に携わっていたのは有名な話だ。他にもいわゆる社会調査の伝統がある。実は江口一門は後に自分たちの先駆者に敬意を示し、『日本社会調査の水脈』という本を書いている(ただ、私はあまりこの本が全体としてよいとは思わない。玉石混淆である)。戦後編については岩田正美先生が編集をなさった『戦後日本の家計調査』があって連綿と続いている。なお、戦前に関してさらに本格的に知りたい人には、小島勝治の著作及び多田吉三『日本家計研究史』がある。ちなみに、日本の研究にも大いなる影響を与えたウェブ夫妻だって文句なしの社会調査の先駆者である。以上のような流れを見ると、取り立てて氏原先生を調査研究の元祖とする必要はないように思う。

 稲葉さんは氏原山脈の研究者は英国の影響が大きく、米国の影響は受けていないというのだが、私はにわかに信じがたい見解だと思っている。たしかに、氏原先生や小池先生は1950年代当時、ダンロップの影響を必ずしも受けていないが、氏原先生に近い仁田道夫先生、法政の萩原進先生、同志社の石田光男先生、佐口先生といった1970年代以降の研究者たちはアメリカ制度学派(ウィスコンシン・スクール)を潜り抜けている。事実、仁田先生は労使関係の淵源をウェブ夫妻とコモンズにおいているし(『変化のなかの雇用システム』185頁)、萩原先生はコーフマンの本の書評において自分自身をウィスコンシン学派の一員と規定されている。また、佐口先生の『産業民主主義の前提』にしろ、石田先生の『仕事の社会科学』にしろ、正面からダンロップをどう批判的に受容するかという問題意識で貫かれている。ただし、社会政策との関連でいえば、政策と労使関係研究(ないし制度派労働研究)のブリッジをどう考えるか、という点についてはなかなか共通了解がない。そもそも、労使関係研究自体がかなり職人的な領域であって、各自が一家言があるどころではなく、それぞれが自分なりのやり方で自分のスタイルを築いていくため、目に見える形で共通了解を示すことが難しい。にもかかわらず、各自が高度なスタイルを持っている場合が多いがゆえに、さらに、他分野とのブリッジが困難になっている。この分野は何でも自由に出来るので、一見、参入障壁が低そうに見えるのだが、実はかなり(見えない)参入障壁が高いことが愚鈍な私にもようやく分かってきた。
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コメント
その理解で問題はないと思います。
僕があそこで「氏原シューレ」と言ったときに念頭に置いていたのは小池先生前後です。
この世代では神代先生、津田先生がアメリカを参照してはいる他、実は中西先生も修論でアメリカを扱っているんですが、どうもアメリカにおける労働研究の考え方自体はどれくらい摂取されたのかが今一つ分からない。
それに比べると70年代以降は事情がかなり変わっていますね。
2009/06/28(Sun) 01:08 | URL | 稲葉 | 【編集
神代先生
神代先生は微妙ですね。アメリカをご専門にされていたので、もちろん、勉強はされているんですが、アメリカの制度学派は面白くなかったと書かれています。ちょうど島田先生が人的資本論を日本に紹介し始めた時期のことで、島田先生の『労働経済学のフロンティア』の書評かなんかだったと思います。ちなみに、その中で神代先生がアメリカを評価しているのは人的資本論以降です。また、「産業民主制」については繰り返しその意義を述べられているので、稲葉さんの仰るように、おそらくイギリスの影響が強かったのでしょう。

ちなみに、津田先生と中西先生については私も分かりません。
2009/06/28(Sun) 03:03 | URL | 金子良事 | 【編集
津田先生には一応丸々1冊アメリカ労働組合の研究にあてた本がありますね。
中西先生の修論は、先生の言を信用するなら失われています。先生自身が他人に読まれたなくなくて図書館から借りだして隠匿しているうちに行方不明になったとか。
推測するにかなりストレートに「独占段階照応説」に沿った議論であったようです。
2009/06/28(Sun) 07:25 | URL | 稲葉 | 【編集
Re: タイトルなし
修論を書くときに調べてみようと思ったことがあるんですが、あの世代の修論は実は小池先生以外、すべて失われています。小池先生のものは綺麗な字で、先生曰く、修論と『賃金』の原稿が生涯でもっとも丁寧な字で書かれたものだそうです。
津田先生の赤い本は前に読んだんですが、何が書いてあったか覚えてないんです(今、どこに置いたか見当たりません)。津田先生はその後、日本的経営論の方にシフトされましたけど、1950年代に経営学の世界で力を持っていたのはアメリカの人間関係学派でしたので、その筋の影響を受けている場合もあるかもしれません。
2009/06/28(Sun) 10:01 | URL | 金子良事 | 【編集
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