企業別組合がどのように作り上げられたのかについては、管見の限り、説得的なよい論文がない。現在のところ、二村先生がかつて書かれた論文「企業別組合の歴史的背景」が相場となっているようだ。有名なクラフトユニオンの不在説である。しかし、なにかがない、ということはそれ自体、本来、何かを作り上げたというロジックとしては成立しない。もし、二村説が正しいとするならば、クラフトユニオンがなかったことによって(条件が制御されることによって)、展開した論理を明らかにする必要があるのだ(二村先生は「不当な差別への憤怒」として触れられている)。しかし、この説には、なぜ組織形態として企業別が採用されるのかが論じられていない点に目を瞑って最大限譲歩しても、事業所別組合と企業別組合の区別をしていないという問題がある。

周知の通り、戦前の組合は事業所別組合ないし地域別組合である。そうした個別の各組合がさらに、上位の一般組合に加入するか、何れにせよ、属しているという形であった。ここで注意しないといけないと、事業所別組合は企業別組合とは必ずしも同じではないことだ。具体的に言えば、八幡製鐵(昔は単に製鉄所といった)が事業所別組合であれば企業別組合といっていいかもしれないが、各地に工場を持っている東洋紡の四貫島工場に組合があったとしてもそれは企業別組合とはいえない。企業がブランチを持っているかどうかが重要なのである。

私の見る限り、日鉄機関方争議を例外として、1910年代までの組合活動は工場間ないし企業内の連携をとる戦略は稀だった。といっても、友愛会の幹部が支部の活動を抑えきれずに、争議活動を徐々に認めていくのが1917年であるから、そこから数年はまだ黎明期である。私はこの時期の争議がかなり、二村先生の強調される「不当な扱いへの憤怒」であったという見通しを正しいと思っている。実際、経営者側にもこの点を強調しているものがいた(鐘紡の藤正純など)。こうした考え方の背景に温情主義があったというのも事実であり、それがまた、国鉄一家みたいな話と繋がっていると考えるのも無理ではない。とはいえ、企業における一体感みたいな話と企業別組合にはまだ距離がある。

例によって長くなりそうなので、また、続きは次回。
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