稲葉さんところのエントリ(職場というマジックワード/パスワード)にコメントしようとしたけど、入力欄が見にくいので、こっちでエントリを立てることにしました。せっかくですから、少し詳しく書いときましょ。

この話、私も森先生から直接、構想の段階でお話を聞いたし、そのときも申し上げたんですが、経営学関係の人はそもそもそんな枠に捉われてなかったと思います。具体例として『現代技術と企業労働』という論文集をあげてみましょう。この本は石田和夫・大橋昭一編となっていますが、執筆者を拝見すると西日本の批判派経営学の方たちです。あまりにも個別論文の差があるので、とりあえずどれだけ実証的かという点を今、措くならば、この本は技術者・労働者を含めた全企業を視野に収めて研究しています。

批判派経営学という言葉に馴染みのない方もいらっしゃると思いますので、一応説明しますと、経営学におけるマルクス派です。戦後の代表的論者をあげるとすれば、古林喜楽先生でしょう。古林先生の賃金論は名著と言われていますが、私はあんまり買いません。しかし、私は文章が好きで、全集も持っています。ただ、あまりに前に読んだので内容をまったく覚えていませんが(汗)。

労働問題研究という言葉は、東大の身内を表すようで、私自身はあまり好きじゃないし、事実、労働に関する研究をやっていたのは東大関係者に限られるわけじゃありません。ただ、私が数人からうかがった印象では、不世出の高宮誠を例外としてあまり古い経営学の研究に高い評価ないし関心を与えている方はいませんでした(森先生はこの数人に含まれていません)。

もうちょっと東大出身者の研究に内在的に見てみましょうか。たとえば、小池先生の『職場の労働組合と参加』は中では事業所単位、部門単位を分けて、書かれています。この本の中では、管理ルールを上から附与する『経営』と慣行によってルールを作り上げる場としての『職場』を対比して描いています。ちなみに、アメリカ鉄鋼業でのインタビュー対象者は労務課長、労務係長、工場別組合の半専従の執行委員となっていますから、森先生の「職長(作業長)といった第一線の監督者に率いられた職場単位に目を向けて」という批判は該当しません。

念のために、もう一人、あげておきますが、中村圭介先生の『日本の職場と生産システム』は技術者レベルの仕事内容も分析しています。小池先生は一緒に調査をしたことがないという意味でも氏原先生の直系ではありませんが、中村先生は間違いなく氏原先生のお弟子さんです。あんまり、系譜論をやっても生産的ではないと思いますが、野次馬的関心を持つ方もいらっしゃるかもしれないので、書いておきます。

中村先生の場合の「職場」は氏原先生の使い方と違いますね。多分、古い「職場」は「作業組織」に読み替えることが出来ると思います。中村先生が対象にされてる「作業組織論」はいわゆるタビストック学派の考えがネタ元です。これはもともと炭坑の技術の機械化が人々の組織行動にどう影響を齎すかというところからスタートしている。中村先生の研究史批判を約めて言うと、作業組織(技術、社会)という関数に、管理という変数を一個はっきり加えろ、ということです。この場合、技術者が工場で働いている日本では、当然、彼らも職場のプレイヤーに入るわけです。製造業を対象として諸研究においては、職場はオフィスの反対概念という程度でしょうか。語感としては「もの(製品)を造っている現場」に近いのかもしれませんね。

というわけで、私はあんまり興味がありませんが、このあたりを整理すれば、まぁ、適当に決着が付くんじゃないでしょうか。ちなみに、当然、参照すべき研究は他にもあるでしょうけれども、偶々、この二冊は私の目の前の本棚の取りやすいところにあっただけで、他意はありません。
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