例によって徘徊していたら、こんな対談を見つけました。菊池光造先生と玉井金五先生が社会政策の範囲や歴史、2003年現在の大阪の雇用政策などを語り合っています。こういうのっていいですね。

歴史の部分の内容的には賛成しかねるところも多々あります。たとえば、宇野利右衛門の位置づけとか、繊維企業の労務管理とかです。よく紡績会社は大阪が主体ということを言われますが、もう明治末期以降は鐘紡とか、東洋紡(が出来るのは大正ですが)とか、全国企業ですからね。地方という視点で考えるのがどれくらい意味があるのか。それと、宇野利右衛門についてはこの前、間先生関連で書きましたけど、実は彼が活躍したのは基本的には工場法が施行される前の一時期なんですね。特に工場法施行時にいろんなところで説明会を開く、その準備には貢献したと思います。それから、紡績会社で言えば、倉紡、大原さんは影響を受けていますが、それ以外はどれくらい影響があったのかよく分かっていません。特に、彼自身は破産するわけですからね。そのあたりをどう考えるかが必要になります。

もう一つはロバート・オーウェンの影響の話。日本の紡績業の場合はもうかなりの部分、労働市場で説明できます。要するに、人が足りなくなったから労働条件をあげなきゃならなかった。それだけのことです。理念先行でやっていたのは、オーナー企業に近かった倉紡くらいだと思います。クラボウは大原さんの関係で大原社研も労研も作ったし、実際の企業への影響という意味では、戦時中から1950年代前半くらいまで労研はすごい力を持っていました。でも、クラボウ自体の労務管理が影響を与えたかどうかは疑問です。大正期には大きい紡績会社は独自の労務管理をそれぞれ作っていますからね。それに、倉敷はそもそも地理的に大阪や東京のように競合工場が濫立していないのも大きいです。

玉井先生の「労働と生活」を社会政策の両輪として考えていこうという方向は基本的に正しいと思っています。細かいこというと、社会政策の学術的定義でいえば、そりゃドイツ型と呼ぶべきだった時代も長いと思いますけど、実際に行われていた政策等を見ていくと、日本だって結構、両方やってきたよという気もしています。戦後だって社会福祉の人たちがしっかりやってきたんだもの。方向としては積極的にそういう方向に教えを請いながら、労働重視してきた従来の遺産も継承するということでしょうか。もっとも、もちろん個人レベルではずっとそういう風にやられてきた方はいました。

でも、こういう方たちが学界展望の対談をしてくださるのは、とてもいいことだと思います。喋り言葉だから簡単な言葉遣いなので、かえって本質が分かるし、そこからいろいろ考える手掛かりになります。特に、菊池先生のベヴァリッジの話を受けて玉井先生が問題にした、実際の学界での広まり方という論点、面白いだけでなく重要です。みんなが読む文献はありますけれども、それをどういう風に受容されかというような話は必ずしも書かれるわけではないですし、実際には研究会や学会、飲み会等で聞いてみるしかないというところがあります。そんなことは論文などにも書けません。逆に言えば、だからこそ回顧録みたいなのは面白いんですよね。何れにせよ、いろいろな場面で考えておくべき視点だと思います。

ぜひ、興味のある方はどうぞ。
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