実は12月に濱口さんがこのエントリを書かれたときから、ちゃんと何か考えておきたいと思っていたのだが、忙しさに任せてこんなに遅れてしまった。なお、濱口先生のエントリの先にリンクされてるけれども、この議論は基本的には内田樹さんの議論を踏まえて論じられている。

働くことは大事である。だからこそ働くことを報酬にしてはならない。

なぜ、この問題が引っかかっていたかと言うと、濱口さんとYさんが夏の飲み会のときになんだか熱い議論をしていて、酔っても素面でも熱っぽく議論することが嫌いな私は何か最後に一言挟んだけれども、基本的にはただ聞き流していた。しかし、これはいろいろな意味で、大切な問題なのである。途中、難しい箇所もあると思うが、平易に言い換えながら、分かりやすくを心がけるので、ぜひ、読んでいただきたい。

まず、本論の前に、濱口先生と私の立場は根本的に異なっている、ということを確認しておこう。私は議論を収拾させる必要がまったくない。よく分からないならば、分かったつもりにならず、分からないままの方がいい。そういう立場だ。これはまったくの経験則からそう考えているだけで、私の見るところ、一流の学者は自分が何が分からないかということにこだわり、そうでない者は自分が分かっていないことを誰かに知られるのではないかという点にこだわる。なぜ、一流の学者が分からないことにこだわるのかといえば、それは夢かもしれないけれども、いつかは解き明かしたい問題だからである。

これに対して濱口先生は一言一言が影響力があるし、それを発揮するために発信されているわけだから、なんらかの政策目的がある、と基本的には考えてよいだろう。実際に政策に携わる人が政策が実行されることによって影響を受ける人々のことを第一に考え、どういう風になればいいのか熟慮に熟慮を重ねるるのは、人間としてもっとも真っ当な、しかし、だからこそ難しい姿勢である。困難な姿勢はいろいろなことを犠牲にしなければならない。どういうことだろうか?

敵対する相手と論戦をする際、まず、土俵をどこに設定するか、ということを考えなくてはならない。この場合、土俵というのは世界観である。この場合、自分の世界観で勝負したいところだが、その場合、往々にして、負けるのではなく、試合不成立になってしまう。だが、こちらの最終目的はあくまで自分の世界観を認めさせることではなく、論戦に勝ったり、あるいは有利な形で終わらせることによって、なんらかの譲歩を勝ち取る、ということが必要になる。ということは、まず、相手の世界観の中で試合(議論)をしましょう、というのが有効な選択なのである。これが基本的な原理原則である。

今日の本題の話で当てはめてみるならば、効用と不効用の対立構造を前提にしている、伝統的な経済学の世界観である。いわゆる市場主義の人たちも伝統的な経済学の訓練を受けている限りにおいてこの世界観を継承している(と思う)。それがhamachanの対戦相手だ。そこでは賃金をどうやって考えるのだろう。まず、難しく言ってみよう。労働の報酬は不効用の補償である。賃金は労働という反対給付に対する給付である。分かりやすく言い換えたら、何のことはない話だ。試しにやってみよう。

伝統的な経済学は「こんだけ嫌なのに頑張って働いたんだから、その分、金貰わなきゃやってらんねぇよ」という世界である。濱口さんの意見を意訳すると、こんだけ辛い思いして働いている人に向って「お前は楽しくて働いてるんだから、賃金安くていいよな」と言うとは「ふざけんな、バカヤロー」ということだ(多分)。「『お前は楽しくて働いているんだから』なんて理屈は経済学の世界でさえ成り立たないんだよ」ということが、相手の世界観に乗っかって意見をいうという例である。これはあくまで戦いを前提とした世界である。

これに対して内田さんがいっている世界は全然違う。次の二つのエントリを読まれるとよく分かると思う。
人はどうして労働するのか
教育=贈与論

学術用語に惑わされる必要はない。「教育=贈与論」のエントリを、一切説明の箇所を抜きにして、エピソードだけ読まれるといい。人によくしてもらったら、何かお返しをしたい。それが人情である。それだけの話だ。逆に言えば、相手に何かお返しをしたいという気持ちにさせる行為が贈与なのである。雇っている人は「今月も一生懸命働いてくれて、ありがとう」といって気持ちよく給料を出し、受け取る側は「ありがとうございます」と応える。こういう世界である。これは極めて日本人にはフィットしやすい話なのだ。実は我々は贈与を前提とした世界にいるからである。だから、本当は「贈与」というのは、一方通行ではないのだ。これを互酬という。ここが濱口さんの議論で触れられていない点であり、実は核心部分なのである。

しかし、実はこの話は単純に美しい話で終わらない。そこがまたややこしい。具体的には、贈り物をもらったときに、お返ししなきゃなという、面倒くささを思い浮かべてくれればいい。ここのところの微妙な雰囲気を内田さんは「お返し」を「反対給付の義務」といううまい表現で言い尽くしている(ちなみに、ここでは先ほどの経済学的世界と価値観、あるいは方向が逆になっていることに気づいて欲しい)。この続きはまたの機会にしよう。

話を濱口さんの議論、あるいは政策という視点に戻してみよう。平たく言ったら、うまくいっているところは口出しする必要はない。強いて言えば、うまくいっていないところのためにこうやったらいいですね、と紹介するくらいであろう。だから、ターゲットはあくまで「お前が好きで働いてるんだから、賃金は安くていいよな」と考える人なのである。そして、そのことが分かれば、普通の人は「働くことは大事である。だからこそ働くことを報酬にしてはならない」という考え方に付き合う必要はないのである。

私信

そういえば、書いている途中で思い出しましたが、実は携帯のデータを去年の8月に飛ばしてしまったので、Yさんもその一人ですが、ここ2年間で連絡先を交換した方のデータが分からなくなって困っています。もし、見てる方がいらっしゃったら、電話かメールをください。
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