濱口先生からリプライをいただきました。ありがとうございます。本当はトラックバックを打ったはずなんですが、うまく送信されず。すみません。前は出来たんですが。

二つを読み比べてみるときに、一番大事な視点は

> どちらが正しいとか間違っているという話ではないのです。

と濱口先生が念を押しているところです。二人の間にほとんど根本のところで認識の違いはないと思います。私は一番、大事なことはバランス感覚だと常日頃、考えています。たとえて考えてみると、今、濱口先生と私が海岸の岩場に並んで立っているとします。二人とも転ばないようにするためには、バランスをとらないといけない。海岸にまったく同じ岩が転がっているとは思えませんね。だから、濱口先生は右側に体重をかけ、私は後ろに体重をかける必要があるかもしれません。そういうことなんです。まず、正しいか間違っているかと考える前に、どんな岩場に立ってるんだろうと想像してみることは重要になっていきます。

今回の私のエントリで言うと、意識的にちょっと反対側に重心を傾けました。「政策実践であるという点をちゃんと意識して読むのが必要です」という注意を促したかったからです。濱口先生の意見の大半に実は私はほとんど賛成なんですが、それでも全部、乗っかってはいけない。それぞれがどの岩場に立っているのかを意識することが大事です。ちなみに、私の立ち位置は極端なことを言うと、エントリごとに変わってます。重心の傾け方を調整したいからです。

ただ、違いについて一点だけ書いておきますと、労働=贈与論の立場を採っていても、報酬を支払わないことに対して批判を加えることは出来ます。それがすなわち、互酬の論理、です。つまり、受け取った側は必ず返さなければならない、という論理です。ですが、こういう互酬の論理は、私が先に書いた「感謝」の交歓である際はいいですが、容易に強請りの論理に転化し得るので、そこが本当に危険です。いいときはいいけれども、悪いときはとことん悪くなる。そういう振れ幅が大きくなる可能性が高い議論なのです。そのことはよくよく理解しておく必要があります。

仮に、今書いたような、プラスの気持ちと言うかそういうものの交歓であればいいけれども、そうじゃないときには困る。こういう目に見えないものは、いざ議論にしようとなると、言った者勝ちということになりかねない。何と言っても「形」がないわけですから、管理するのは難しい。そういう観点から見ると、濱口先生とは経路が多少違うと思いますが、結果においては、私も次善策として、対立的な世界観に乗っかるのは、少なくとも政策に携わるという立場に立つ限りにおいて戦術的に正しいと考えます。振れ幅を小さくする=リスクを少なくするというのは大事な考え方です。

不用意にも前エントリでは「普通の人には濱口先生の議論に乗る必要がない」と書いてしまいましたが、多分、割合から言うと労働とその報酬の関係が「感謝」の交歓でありうるケースは稀でしょうね。だからこそ、多くのの人にこうした(濱口先生自身もそう考えている)歪んだ考え方の方の中へ諦めて入っていかないで欲しい、そういう思いはありました。私は逆に、原点は互酬にこそあるんだ、ということを強調したかったのです。言い換えれば、すぐに実現するものではないかもしれないけれども、そういう世界はたしかにあると感じて欲しかったということかもしれません。

ボランタリー労働の話は別に書きましょう。
スポンサーサイト
コメント
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事へのトラックバック