労働経済論ともろに関係あるので、大学と職業との接続検討分科会の審議経過をちょっと検討しようと思い立った。だが、今回のエントリは分からないことが多すぎて、自信がない。

とりあえず、二回分、資料と議事録を読んでみた。ただし、この議論の前提として中央教育審議会の答申がある。審議経過を記述したのが「学士課程教育の再構築について」(PDFファイル)である。文科省のHP内でもリンク切れしているところがあるので、直接、貼っておくが、PDFファイルだから気をつけて飛んで欲しい。

産業界と教育界との認識ギャップというのはここまで違うのか、というのが率直な感想である。考えれば考えるほど恐ろしいのだが、まず、教育界の中に入り込んでいる成果主義的傾向が気になった。コンピテンシー論は、私はアメリカ初のグローバル展開するような人事コンサルが90年代に作り出した商売用のキャッチコピーで、それが一部の学者の間に流行したものだと思っていたのだが、そんなにも普及しているのだろうか。しかも、企業は失敗したというのが営業成績という形ではっきりと出るので、痛みを伴うものの、そこから修正を図ることが容易だが(いわゆるlan→o→heck→ctionサイクル)、いったい、この審議会の議論はどこで自浄作用を担保しているのだろうか。一般論として、各論をやっているうちに、重要な論点が出てきて、総論を修正する必要が出てくることもあると思う。

中教審答申について細部を検討しようとは思わないが、疑問点をメモしておきたい。大学教育の国際比較を軸にいろいろな改革を提言している部分がかなりあるのだが、実際の大学教育が抱えている問題は中等ないし高等教育までの課題が持ち越されているものもあり、もちろん、議論もこの点が意識されてなされている。そこで疑問なのだが、国際比較をするときに、大学だけでなく、それ以前の教育を含めたトータルな教育制度との比較を行う必要があるのではないか、ということだ。

さて資料の方を見ていこう。経済同友会の提言「18歳までに社会人としての基礎を学ぶ―大切な将来世代の育成に向けて中等教育、大学への期待と企業がなすべきこと―」ではタイトルが表しているように、答申で「学士力」に求められているものは大学に入学する以前で身につけるものであるとされていると読める。正確に言えば、同友会提言の中でもこういう「18歳までに社会人として身につけるべき基礎力」を大学でさらに磨くことが期待されている。

それにしても、同友会提言は面白い。特に、後半の「パネル討議」は秀逸である。印象的なのは、このパネル討議に出席している大学関係者がすべてキャリアセンター(昔の就職部)の人たちで、こういう人たちは「大学と職業との接続検討分科会」の中には入っていないことだ。キャリアセンターの人たちは面白い視点から問題提起をしている。たとえば、エントリーシートをめぐって大学生たちがどう考えているのか、企業側がどう考えているのか、そのあたりのミス・マッチが明らかになって大変、参考になった。就活中の学生は必読。そもそも、このパネルに大学の先生がまったく呼ばれていないこと自体、企業の方たちが「大学と企業の接続」について本当は誰の話を一番、聞きたいかを表しているようにも思える。

第1回と第2回も同様の発言をされているのだが、議事録(PDF)の中で私がもっとも興味を引かれたのはオリンパスの唐木さんの発言である(彼女が第2回ではオリンパスと名乗っているし、その立場が重要なので、実名を推測であげておく)。ただし、こういう発言をどういう文脈で捉えるのかは微妙なところだ。つまり、卒業生へのニーズがある企業人という立場からの意見なのか、あるいは、就活という窓を通して大学の外から大学生を観察している第三者の意見として考えるのか、である。実際のところ、この二つが分かちがたく結びついているのは百も承知なのだが、後者の視点がないと、貴重な意見をうまく活かせないのではないかと思っている。

さて、その発言の趣旨だが、大学は親切に過ぎて、学生にあれやこれやの道を示しすぎている。だから、学生は選択に疲れ、十分にコミュニケーション能力があるにもかかわらず、それ以上のコミュニケーション能力を磨こうとしたりする羽目に陥る。実はこれは本田さんの考え方と真っ向から対立している。本田さんの方は大学で学ぶことは可視化できるし、するべきだという考えがちらついているように思う。

そこでちょっと読みきれないのが日本ユニシス社長・籾井さん(推測)の発言だ。成績表を高く評価している話は本田さんに対する皮肉だろうか、それとも真剣なんだろうか。勉強を一生懸命することで、人間形成が出来るという内容の限りでは、学校の勉強を重視しているので真剣といってよさそうだが、一方で、ユニシスはIT企業だが、内定式ではITを学ぶよりも沢山の本を読み、沢山の人に会って、勉強するように発破をかけたという。常識的に考えても、まんべんなくどの科目も好成績を獲得することに4年間をかけることが奨励されるとも思えない。これは職業教育論へのアンチテーゼだろうか。

濱口さんも職業レリバンスの点については本田さんにやや近いと思うが、一方で哲学については職業レリバンスの及ぶところではないとずっと仰ってるし、そもそも誰かが反論してくれて、議論が深まりそうなところへ発言している嫌いがなきにしもあらずなので、真意はいつも謎だ。なお、濱口さんの発言で、違和感を感じたので引いておくと、

日本の雇用システムは基本的にjob ではなくて、会社の一員になるということである。会社の一員というのは、会社がこれをやれと言ったことを必死の努力をしてやる、ということが最大の課題である。大学で何を勉強したか、ということよりも、何を言われてもそれをやりぬくだけの素材であることが必要である。それは何で分かるかというと、広い意味で人間力、地頭の良さというのは、ある部分は大学で4 年生の時に何を勉強したかではなくて、4 年前に入試でどれだけ点を取ったか、ということである。

とあり、こういう側面があることは否定すべくもないが、同じ大学の中でもいくつも内定をとる者とまったく決まらない者の差がなんであるか、ということを説明できないのではないだろうか。

実は、そもそも人間力が受験で決まるという発想がいかにも東大的に私には感じられる。別に悪い意味でも揶揄しているわけでもないが、これは私個人の感覚的問題なのだ。法政から東大大学院に進学したとき、最初にもっとも違和感を覚えた感覚がこれであり、東大の学部からあがっていた人たちは持っていて、外部入学者の友人たちもほとんど持っていなかったと思われるものである(東大出身で実は学部に入ったときに同じ違和感をもったと話してくれた人が一人だけいたが)。個人的には、学校間の差は試験そのものだけではなく、OBその他のコネも含めて複合的だろうと思う。→濱口先生から誤解である点を丁寧にご説明いただきました。

この点では京大工学部の北村先生の発言(推測)に好感を持つ。つまり、学部を一緒くたにするのも、大学全体を一緒くたにするのも大雑把に過ぎるというわけだ。こういう発言はとても危うく、エリート主義のように受け取られかねないが、実際、エリートとノン・エリートという差は存在するのであり、そのことを否定するより、お互いの立ち位置をしっかり確認する方がどちらにとってもハッピーだと思う。当然のことながら、京大や東大はペーパー・エリートだけではなく、真のエリートも抱えているのだから、そういう国家の宝をどう大事にするかは大問題である。

唐木さんや籾井さん、その他、産業界の人の意見の中には、迷うくらいなら、大学なんだからそこで教わることを一生懸命、勉強しろ、というメッセージが通底している気がする。そこには、やや大げさに言えば、従来の大学に対する信頼感と職業学校化しようとする将来の大学への不安を感じる。実は、同友会提言の中でも卒業認定の厳格化ということが言われており、中教審答申の中にも盛り込まれているのだが、それが同じ文脈かどうかは微妙である。同友会のパネル討議の発言を見ていると、これは単に内定が早まったため、卒業までの間を無為に過ごさせないための方策であるように感じられた。答申の方は大学教育の質を保証するものに見える。この意味では、先ほどの成績表発言の真意が重要なのだ(私には分からないけど)。

ちなみに、唐木さんは別の点でも面白いことを話している。面接のとき、研究の自分と人事と他の専門の三人でやって、評価基準がまったく違うにもかかわらず、不思議と評価が一致する。これは自分にも説明がつかないし、むしろ、これからの中で解き明かしたいという。こういう感覚はきっと重要だと思うが、論理的に説明できないので、きっと消えていってしまうだろう。だが、いろいろと示唆に富む発言である。

追記1

はてブコメント面白い。そんな読み方もあるんだ。でも、ちょっと勘違いだと思います。唐木さんの話は、評価基準が曖昧なのではなく、別様の評価基準があるにもかかわらず、それが結果において一緒である、ということです。評価してないわけじゃない。ということは、少なくとも入試の結果だけではないんです(含まれる可能性は大いにあります、もちろん)。
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