というわけで、かどうか分かんないけど、木村元『学校の戦後史』を読んでる。森さんたちの反応を見ているととても重要そうな本なので。


学校の戦後史 (岩波新書)学校の戦後史 (岩波新書)
(2015/03/21)
木村 元

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結果から言うと、とても面白かった。一番、面白かった点はこの本のディシプリンがなんだか分からないくらいにいろんなことが書いてあることだと思う。学校の社会史でもあるし、社会の中の学校史でもある。教育内容(カリキュラム)に踏み込んでいるところは教育プロパーという感じで、教育社会学っぽい雰囲気ではない。

その上で、もっと社会政策史研究がしっかりしていたものが出ていたら、この本はきっともっと豊かになっていただろうなと感じるところが多くあった。これはどう考えても著者の責任ではなく、社会政策研究者の方の責任だろう。こういう立派な本が出たのだから、我々はこれをどうやって摂取して、豊かなものを書けるかということを考えていかなければならないだろう。

現代を考える上で必読と言いたいけれども、新書として予備知識のない人に分かりやすい内容なのかどうかはよく分からない。分かんないけど、学校って卒業した後、どう変わってるかってよく知らないので、私には4章の現代の動向も新鮮で、断片的に聞いてた話が、ああそういうことなのかと教わることしきり。

個人的には、

・人口問題と社会政策(都市計画ないし国土計画の展開も視野に入れて)を考えること。それを踏まえて、『人口と教育の動態史』の成果を摂取すること。この作業において、地域と人口の動向は重要だが、そもそもこういう掘り下げ方が必ずしも社会政策分野でなされてきたわけではないので、そういう意味でも、まずは木村の研究から直接、学ぶことが多すぎる。あと、地域教育計画も出てたけど、越川さんの研究も大事。


人口と教育の動態史―一九三〇年代の教育と社会人口と教育の動態史―一九三〇年代の教育と社会
(2005/03)
木村 元

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戦後日本における地域教育計画論の研究―矢口新の構想と実践戦後日本における地域教育計画論の研究―矢口新の構想と実践
(2014/02)
越川 求

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・戦前、教育の位置づけを捉え直すこと。そんなに簡単に国家統制の一語で片付けられない。具体的には、地方改良運動の位置づけ、教育勅語の位置づけ、国家神道との関わり(近年の神道研究を踏まえて)、文部省の新教育の摂取(特に澤柳政太郎の試み)、成城学園での実験的授業とプラグマティズム、義務教育延長(4→6年)のタイミングでの成人教育の隆盛とそれを受けての義務教育延長(吉田熊次の18歳理想論)、阿部重孝だけではなく昭和研究会とりわけ内務省関係者の教育論、青年学校とは何か、学校の社会化と公民教育の隆盛と普選など、ちゃんと自分で同時代の文献などを見て、確認しないと何とも言えない。

・逆に言うと、戦前をわりと単線的に捉える「常識」の上に形成されてきた戦後の教育とは何かを考えること。

・やっぱり日教組研究は重要。特に労働運動史との関係で位置づけること(これ、そもそもTU研で私に課せられた課題だった・・・)

・ヨーロッパが近世の職業社会を作り替えて今のジョブ型社会を作ったことと、それとは別の形で、日本のメンバーシップ型社会を形成したことをちゃんと位置づけてから、職業教育や教育の職業的レリバンスを考えたいところ。ただ、これ、何年も前からやろうやろうと言っていて、放ってあるので、たぶん、やらない。大事な問題だけど。

・でも、それとたぶん関係あるんだけど、アメリカの専門職論、とりわけフレックスナーのそれは、近代学校による伝達可能な知識であることを成立要件の1つに数えていた。しかし、そういう専門職は1970年代に徹底的に批判され、固定的な知識よりも、いろんな状況に対応できる知、そのものが注目されるようになった。たぶん、この事情をよく反映したのが澤田さんご推薦のドナルド・ショーンの『省察的実践とは何か』。ショーン自身コンサルも経験しているのでこの本の中にはそういうことも含まれているが、経営学における組織学習のような話もここと関連する。そういう社会構造の変化の中で生まれてきた知と、その変化は経験してないけども、そこで生まれてきた知は輸入して、何らかの影響を受けている日本では、この問題をどう考えればよいのだろうか(ということを二宮さんのような経験と学識のある人に論じて欲しいし、それに対する教育の澤田さんからのコメントが聞きたい)。


省察的実践とは何か―プロフェッショナルの行為と思考省察的実践とは何か―プロフェッショナルの行為と思考
(2007/11/15)
ドナルド・A. ショーン

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・「ケア」という論点は、教師の専門職性、福祉と教育との関係などを結ぶだけでなく、70年代以降の専門職全般の問い直しとも関係している。どこから手をつければいいのかまったく分からん。

・産業社会、消費社会、情報社会というような大雑把な言い方はいかがなものか、といつも思う。ただ、70年代が1つの画期だよねというのは、どうもいろんなところで、みんなが感じていると思うんだけど、どうやって表現すればいいんだろう。私はオイルショックで語ってるけど、それは賃金を語るときの狭いスコープだよね。産業社会から消費社会へというのは、二次産業と三次産業の逆転のことかな。

・学校の教育史の裏面史として塾の歴史も知りたい。学校以前の私塾。それを予備校がどう引き継いだのかとか。あと斎藤秀三郎の正則英語学校とかは学校化するけど、塾的雰囲気もあるし、というか、初期の私学はみんなそうか。もう少し後の時代だと協調会の研究にある農村の塾風教育。戦後の予備校の歴史(と変遷)。

・情報産業も歴史的変遷があって大量の情報処理という側面と、プロセス・イノベーションを伴うようなものと両方がある。偏差値が可能になったこと、共通一次試験によるマークシートテストなどは前者の文脈で考えなきゃいけないけど、それ以外のICT教育等はまったく別次元で考えることのように思う。よく分かんないけど、教育管理手法と、教育内容およびその手段という感じかな。

・外国人教育の問題は、外国人労働者問題と切り離すべからざる問題だけど、この分野は社会政策的にも重要テーマであっても、なかなか包括的なものがなくて難儀していました。最近、上林先生が『外国人労働者受け入れと日本社会』を出されたので、とっかかりにはなるかな。これまた、重要テーマだけど、勉強しなきゃならないなあ。


外国人労働者受け入れと日本社会: 技能実習制度の展開とジレンマ外国人労働者受け入れと日本社会: 技能実習制度の展開とジレンマ
(2015/03/31)
上林 千恵子

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といったところかな、これを読んで考えたこと。いずれにせよ、こんな薄い一冊なのに、すごく内容が濃くなっています。何より同時代史でもあり、今後どうなるのかということを示唆する内容も4章には散りばめられている。よく歴史研究に現代とどう繋がるのかという問いを投げかける人がいるけれども、現代というのは現代という一時代であって、たとえば、戦前の研究からそこまでつなげるのは本当に至難の業なんですよ。そういう意味で、歴史研究者(教育史)でここまで日本近代教育の来し方行く末を照らすというのはすんごいことです。折に触れて読み返したい本です。

ところで、上に書いたことを踏まえて、A4で15枚弱、1章で近代教育と社会政策の関係を論じたいんだけれども、無理なんじゃないかという気がしてきた。この本のあわせ鏡になるように書くというのはひとつのあり得べき方法だよな。
濱口先生にアンサーエントリをいただきました。ありがとうございます。私も色々と考えを深めることが出来ました。

私の書き方が悪かったのと、少し考えが足りなかったせいで、ちょっとした誤解を与えてしまいました。チャート式が嫌いというのは、それはそうなんですが、別に不要であるという意味ではありません。ただ、今回の社会政策・労働問題チャート式への不満は内容がやや古いということです。逆に言うと、これはこの分野が学問的にほとんど見るべき進展を見せずに、停滞していることを意味しているのでしょう。それならば、むしろ、その責任は濱口さんではなく、教科書を書くと言って書かない某S先生に全部押し付けたいところですが、私も含めて学会員は等しく少なくともその一端を担うべきでしょう。

ただ、チャート式の存在意義の話とは別に、入門書でメンバーシップ契約という単純な理念型を使うことについて、私は『新しい労働社会』から懐疑的です。同じく教科書として書かれた『労働法政策』は内容の詳細さからいってもさすがに東大法学部の学生相手ですから初学者から中級者向きとはいえ、一生懸命読めば、実はそんなに難しくない(と私は思います)。そういう意味では『新しい労働社会』以降のある種の冒険が私には失敗しているように思えるということです。

チャート式で勉強することの意義は、当該分野について体系的な知識を獲得するということであって、その内容を薄めることではありません。この点については、小西甚一先生がたしか古文の参考書で明確に書いてあります。平易に書いたけれども、1ミリも学問的水準を下げてない、と。もちろん、それが困難なことはよく分かっています(し、そういうものならば喜んで読みます)。だから、個別論点の上層に単純な理念型を置くことのリスクは問われるべきですし、逆に言えば、その理念型を設定するというのは、極めて学問的に深い行為のはずなんです。まして、初学者はそれを批判的に読む能力がないわけですから。だからこそ、私は日本的雇用=メンバーシップ契約論に焦点を絞って反論したんです。

私自身に社会政策学徒という言葉を使っていただいて大変光栄なんですが、社会政策学徒というのは今ではほとんどいません。少なくとも新しい世代で労使関係研究者、制度学派的労働経済学者というのは辛うじて再生産されているかもしれませんが、それも少数派ですし、ましてそこから社会福祉領域をカバーするような研究者は若手ではほとんどいないんじゃないでしょうか。逆に、福祉の方たちは労使関係に暗いし、社会政策学徒と思っていないでしょう。後は武川さんたちのようなイギリス流ソーシャル・ポリシー学派がいますが、彼らには私の前エントリも、濱口さんのエントリの「身分から契約へ」「契約から身分へ」「身分から契約へ」などというテーゼも、理解してもらえるとは期待しておりません(本当は「シチズンシップ(市民権)」を考えるときに決定的に重要ですけどね)。むしろ、法律の解釈だけでなく、法学をちゃんと勉強した人にこそ分かってもらえると思っています。というか、私の書評は濱口先生本人に向けて書いたものであって、まぁいろんな捻じれがあることを知っている人にはああそうだったと思い出していただく程度で、後の核心の部分は濱口先生に伝わればいいんですよ。

「契約」と「身分」の揺れの話はなかなか拡がりを持っていますね。個人→団体→個人と関心の変遷を示唆しています。この点は水町先生の入門書を読んで非常に刺激を受けました。我妻先生の大論文が書かれた1920年代というのは、個人から団体(法人)へという時代でした。経済学の世界では1932年のバーリー&ミーンズの本によって所有と経営の分離が発見されたと思っている人もいるかもしれませんが、そんなものは法学の世界では1920年代、早ければ1910年代から議論されているんです。だから、企業論は当時のホットトピックなんです。ただ、レンジを拡げると、書かれなかった第三部は企業論もそうなんだけど、組合も含めた法人論になったかもしれない。企業論自体は西山忠範や奥村宏といった人に引き継がれましたが、組合論になるとどうかな。同じ水準のものがあるのかな(不勉強ですみません)。何れにせよ、我妻先生が続きを完成させていたら読みたかったなぁ。そして、現代(団体→個人)はまた、別の枠組みで語られなければならないですね。ちなみに、入学者はいいですが、さすがに出るときまで我妻論文は読んで欲しいものです。

団結の力というのは労働運動に関して言えば、1940年代がピークで後は下っていくのみです。それは左翼が三池、スト権スト、国労で三度の敗戦をして、どんどん弱体化していったことからも分かります。ただ、安保だとか、学生運動だとかの社会運動ということで言うと、もう少し後においてもいいかもしれません。ちなみに、そういう点から言うと、1975年が国際婦人年でそこから10年間は女性運動が盛んになり、85年の均等法に繋がります。なかなか興味深いです。その女性の社会参加=社会教育運動が段々その頃から下火になってくる、というのも極めて面白い現象ですが、このあたりのことはそのうち、考えましょう。

後、ブラック企業を近代と脱近代の文脈だけで捉えるのは誤りです。もちろん、そういう側面もあるでしょうが、元々住込み奉公というのは昔(前近代)から苛酷なのです。「ALWAYS」は2000年代だから描けるので、1980年代には「おしん」だったんです。昔は労働の歴史を描く人たちはそういう残酷物語ばかり書いたものです。現代の人にそういう思いを伝えなきゃいけないなどという使命感は持ち合わせていませんが(どちらかと言うと、専門の内容を話すと「女工哀史ですね」などという挨拶をされて、一々そこから説明してきたので)、先達の研究(および素晴らしいルポ)の蓄積というものもありますので。ここは主としてKousyouさんに向けて(笑)。

参考
Kousyoublog 暗黒企業の原初形態
私が前に書いたエントリ もう一つの女工の歴史
を両方、読んで、バランスをとりつつ、楽しんでいただければ。
皆さま、お久しぶりです。いろいろと公募関係の書類を書いていたり、業務の進め方を考えていたり、研究会に出ていたり、バタバタしつつ、twitterなんてものを始めちゃったら、ついにブログまで書かなくなっちゃった。あ、でも、来月は『社会政策』に論文が出ますから、まったく書いてないわけじゃないので、そこんとこはよろしくお願いします。また、近くになったら宣伝します。

さて、例の「非教育の論理懇親会」あたりから、というか、本当のことを言うと、博論の一部で藤本隆宏先生と小池先生の議論を使いながら論じてたりもするんですが、技能についての話を考える機会がバーっとありました。この前の理論科研の矢野先生へのコメントで書いた「人間力戦略研究会ってひょっとしたらいいんじゃないか」については、あっという間に皆から詰めて仕舞われた次第でございます。なんというか、こちらも詰めて考えられていないし、あんなにみんなが「人間力」に迷惑しているとは知らなかったし。ここ数日は森班長殿と戸高七奈さんとツイートでやりとりしていて、きっと行きつく先は同じであろうと、思っています。

ざっくりと私の個人的印象ですが、学校知だとか(そんなもん社会科学の概念としてはどうしようもなくて、ツイッターはお遊びですから別に構わない)そのあたりで考えようとしていることって、意外と私たち労働(あるいは技能形成)の領域とも近いんじゃないかなと思ったりしています。それは言い換えれば、学校で身につけることだって、社会に出たって役に立つということなんです。非常に単純にいえば、読み書き算盤ですね。ここまで否定する人はいない。ただ、学校知で語りたいことはもっと広いでしょう。

私が技能形成論で考えたいたのは、形式知と非形式知をまずは区別しよう。そして、非形式知であっても、完全にブラックボックスじゃなくて、なんとなく現場の人は一挙手一投足のアルゴリズムまでは解析できなくとも、ああやればこうなる、くらいの緩い管理は出来るし、現にやってるだろう、ということでした。こういう場合、私は論理仮説的に考えていくから、一方の極に完全に形式化された知を置いて、もう一方の極に形式化されることは絶対にない知を置くんですね。そうそして、すべての知はこの間にある。もちろん、本当はその間の判定こそが知りたいところであり、分類が難しいわけです。

たとえば、ここ数日、試験知が役に立つか、というようなことを議論していたわけです。森さんと私はたぶん、役立つと思ってる。私なんかは非常に単純に天野郁夫先生の試験化した社会を想定して、学校出たって試験が続く社会になってんだから、学校で受けた試験のトレーニング(あるいは自分で身に付けたスキル)って役立つでしょ、という論理なんです。じゃ、ここでの試験知ってなんですか、ということになると分からない。高校の国語でやった漢字のテストが採用試験の常識問題で出たとしたら、これは役立ってるといえる(笑)。非常に即物的な形式知ね。

でも、矢野先生の議論になると、もうちょっと汎用性がある話になる。「学ぶ習慣」みたいなものは学校、出ても役立つんだよ、と。習慣?ハビット?ハビトゥス?ハビトゥス、いただきました、みたいな感じですかね。すみません、ネタです。これはもうある意味では形式知を超えている。前に濱口先生が矢野先生に専門教育の意義を言う時に「いやなんでもいいんです、じゃそれぞれの専門分野のレーゾンデートルを示しにくいから、まずいんじゃないの?(大意)」と突っ込まれてましたが、まさに形式知ではないんですね。強いて言えば、形式知そのものじゃなくて、それを獲得するプロセスを重視した議論になっている。何かの知識を獲得するプロセス、ということになってくると、非常にプリミティブなレベルで認知心理学、そしてそれをベースにした教育心理学とも領域が重なってくる。で、ごりごり押し込んでいくと、この領域での狭い意味で実証、ということになって、手も足も動かなくなるでしょう。

で、技能形成論では、と、考えてみると、また時間が掛かりそうだから、また近いうちに考えてみたいと思います。ということで、たぶん、続きます。
登場人物が多くて、煩雑になりましたので、敬称はすべて省略します。

戦後、1951年に雑誌『教育社会学研究』が刊行されます。巻頭論文は海後宗臣の「わが国教育社会学の課題」でした。そこでは教育領域の社会科学を確立させなきゃならない、そういう問題意識が充満しています。というか、実証的すべき領域はこの論文でほとんど明らかにされています。海後は職業社会学とのブリッジも言及しています。

海後は吉野作造の有名な明治文化研究会に参加され、そこから明治教育史研究を始められます。より広範な範囲をカバーした上で、教育史に取り組まれていったのです。実は、同じようなことは石川謙にもいえます。石川はもちろん『石門心学史の研究』の著者です。その石川の師匠は誰かといえば三上参次です。三上は有名な歴史学者。私は法制史的な研究を何篇か読みました。『石門心学史の研究』は扱っている時代が江戸時代ということもありますが、単純な学校の社会史ではありません。社会全体の広い教化が扱われているわけです。海後先生の研究もそういう広い視野を持っているはずです(何せ読んだのが10年近く前なので、自信がない)。結局、彼らの研究は事実上、教育社会学の史的研究とでも呼ぶべき性格を持っていたといえるのではないでしょうか。

教育社会学は戦前からその受け入れ土壌があったものの、基本的には戦後に本格的に導入されています。はっきりいえば、占領軍の支援が大きかった。清水義弘ははっきり「幸運なる出発」と記し、「獲得したものではなく、与えられたものであることを忘れてはなるまい。そして、与えられたものはいつまでも手に残るとは限らない」と書かれています(「教育社会学論」1958年10月)。

門外漢の私の見るところ、1970年代の後半までは基本的には日本の教育社会学の黎明期です。そこで議論されていたことは、ざっくり言ってしまえば、教育社会学が教育学や社会学から独立した社会科学足り得るためにはいかにあるべきかという問題です。もちろん、これはあくまでもざっくりなので、実際には歴史学や哲学など、その他の境界領域との関係も論じられますが、しかし、象徴的に捉えるならば、教育的社会学か教育の社会学かといった捉え方、教育学と社会学の関係が大事でした。

1954年の名古屋大会は重要でその主役は清水義弘、新堀通也、渡辺洋二の三者でした。それぞれが清水「教育社会学の構造」、新堀「教育学と教育社会学」、渡辺「曖昧な教育社会学;その曖昧性を除くために」となります。このうち、「曖昧性」は一つのキーワードになるわけです。

翻って、1977年の東京大会は教育社会学の固有性という問題関心の終焉を示す場でもありました。渡辺洋二「2つのシンポジウム「教育社会学の性格」を顧みて」の最後に「討論者の天野は世代による意識の「ずれ」を指摘し、この種の論議(引用者注;教育社会学のアイデンティティ)が他部門から教育社会学者に転じてきた第一世代に特有なもので、はじめから教育社会学を専攻し、「教育社会学の高度成長期」に育った第二世代にとっては、教育社会学が独自の学問であることを疑うこともなかったし、その性格が問題に成ることもなかったと主張した。顧みると、学会も30年の歳月を重ねているのである」と記しています。一応、厳密に言うならば、当事者であった佐々木徹郎は、第一世代は学会創設期に指導的役割を担った世代、第二世代はその下で育ちながら、教育社会学を育てた世代と分類しています(「何のための教育社会学論か」72-73頁)。考証チックに言うならば、この論文は先の引用の天野発言(これ自体が佐々木の問題提起に対するリアクションであった)に対して、自分達の世代的なアイデンティティを示したものと理解すべきでしょう。おそらく、最初の指導的な立場にあった方たち、たとえば、先ほどの海後先生などは教育社会学の存立基盤によって、自分の学者としてのアイデンティティ問題に悩むなどということは別になかったでしょう。その意味では、学会開始時にキャリアをスタートさせた研究者とは微妙に違うのかもしれません。しかし、教育社会学をテイクオフさせようとした、という問題意識を共有した点において、二つを一緒の世代にするのもよいかもしれません。

この時期までにあった議論に秘められた対立構造は、実践(主観容認)と価値中立的な科学(客観性の追及)の二つを軸にしており、実は、この二つは戦後の一時期、それこそほとんどの学問分野で問題にされていました。一番、大きいのは、マルクスをめぐる実践運動と研究の分立でしょう。日本の講座派は当初、共産党活動と密接に結びついており、だからこそ、今から見ればほとんど読む価値のない野呂栄太郎の『日本資本主義発達史』でさえ賞賛されていました(さすがに今はこんなことを言っても怒られないでしょう)。これに対し、講座派と労農派のいわゆる日本資本主義論争を見ながら、価値中立的なマルクス経済学を目指したのが宇野弘蔵でした。宇野は運動家たちにも社会主義にもシンパシーを感じていましたが、研究は価値中立を掲げ、それが一方で当時の若者をひきつけました。わが社会政策においても、河合栄治郎と大河内一男の対立は、平賀粛清をオミットしたら、哲学ないし思想と社会科学の何れを根本に据えるかという問題であったといえるでしょう。

教育社会学の中でも実践に役立つ科学か、価値中立的な科学か、というところで、前者が優勢であった情勢のなかで徐々に後者も認められてきたといえるでしょう。私自身は何度も言うように、実践に役立つ科学という温い考えは嫌いです。実は、その後の教育社会学の大きな枠組みは既にこの時期までに全部、出揃っていたといえるでしょう。私が読んだところでは、以下の論文が今でも(初学者にとって)読む価値があると思われます。

海後宗臣「わが国教育社会学の課題」『教育社会学』1、1951年5月。
清水義弘「教育社会学の構造」『教育社会学研究』6、1954年10月。
渡辺洋二「曖昧な教育社会学;その曖昧性を除くために」『教育社会学研究』6、1954年10月。
清水義弘「教育社会学論」『教育社会学研究』13、1958年10月。
池田秀男「教育制度の社会学としての教育社会学:教育社会学理論の体系化を目指して」『教育社会学研究』19、1964年7月
青井和夫「教育社会学方法論の根本問題」『教育社会学研究』34,1979年9月。

最初の清水論文には臨床社会学という立場が既に見られます。教育病理-臨床の関係は古くから教育の世界にはあったわけですから、当然といえば当然ですね。前回書いた志水はほぼこの路線に近い。清水論文と渡辺論文は、積極的か消極的かという方向の違いであって、内容はかなり一致していたと23年後のシンポジウムでは当事者の渡辺が振り返っています。

池田論文、青井論文は社会学を足場に教育社会学を展望しようとしたものです。青井論文にいたっては現象学どころか、ユング心理学や禅の悟りの話まで出てくる始末で、ここまでぶっ飛んだのはその後もないでしょう。逆に言うと、行き着くところまで行ったという感じがしないでもありません。ただ、それ以外のマトリックスの描き方などは今にも通じると思います。次のエントリで扱う予定の90年代以降の研究潮流もおそらく、このなかにほぼ落着く場所があるんじゃないでしょうか。
長めのエントリを書いたものの、誤って消してしまったため、しばらくやる気がなくなっていました。お待たせしました。第二段を書きます。ちなみに、タイトルですが、一般論では答えはイエスです。ただ、私の能力でそれができるかどうかわからないので、?を附しています。

私は前々から言っているように、学校でエントリレベルを超える技能教育が出来るという主張については非常に懐疑的です。おそらく、現在、理論的な意味で取り上げるに足るのは芦田さんの議論だと考えます。いや、他にもいらっしゃる可能性も高いのですが、あんまり本格的に調べるつもりはないので、悪しからず、ご了承ください。

前回、引用しておいて引き取らなかったので、そこから始めましょう。念のため。

> 現在の専門学校の出口像は、就職して短くて半年くらい、長くて2、3年の業務をこなす「即戦力」に過ぎない。時間が経てばすぐに消耗し摩滅する。何度も指摘しているように「資格」教育と「技能」教育の限界が露呈している。

理屈で考えた場合、最初の数年の仕事経験がその後のキャリアに繋がる形が望ましいのです。ただ、その後のキャリア全体を学校教育者が見通して設計する(カリキュラムを作る)というのは事実上、不可能です。ここでは二点を確認してきましょう。

第一に、前も触れましたが、技術革新の問題があります。戦前、日本の実業学校の重要な部分に繊維系の工業学校がありました。これは明治以来、産地とともに育まれていき、あるものは戦後に大学の工学部に組み込まれ、あるものはそのまま残っています。1950年代で既に往時の興隆がなくなったのは否定すべくもありません。この変革を起こした具体的な技術革新は化繊です。そういう大きい時代の変化の中で学校も変わって行かざるを得ません。たとえば、東京農工大は歴史的に蚕糸試験所から専門学校に転換、さらに戦後大学の繊維学部になって、それが今の工学部になっています。ちなみに、東京農工大は今でもトヨタの産業技術博物館と並ぶ繊維博物館を持っていますが、学部としては廃れてしまったわけです。学校法人としては継続しているけれども、内容は大きく変わっている。変わることは悪くないのですが、学校自身も変わらざるを得ない状況の中で、学生に教えているキャリアおよびその内容が変わらないとは限らない。

もちろん、看護職のようなものは継続しています。しかし、その内容が同じかどうか、医療の発展とともに変わっている部分もあるのではないか、という気もします。別の例ですが、アメリカにおいては戦前、専門職(少なくとも准専門職として認められていた)ソーシャルワーカーの今で言うカウンセリング技術は、今のものとは違っていました。要するに、戦後、ロジャースが出て一変した。19世紀以来、経験的なソーシャル・ダイアローグ(マニアの皆さん、これは有名な書名ですね)が中心で、その後、フロイドの精神分析が大きい影響力を持ちます。ロジャースはフロイトをひっくり返すわけです。ただし、古き社会事業のなかで経験的に蓄積されてきた技術はひょっとしたら、ロジャースと近かったかもしれません。

第二に、学校内だけで完結したカリキュラムは危険です。私は前々から内部労働市場の二つのタイプを考えるべきだと繰り返し説明しています。今、メンバーシップ型を否定して、ジョブ型で行きたい、そしてその中で長期キャリアを作りたいと考えているとしましょう。そのとき、まずクラフト型の労働市場を前提としなければなりません。市場の形態に合わせて学校との連携を考えないと話しにならない。明治以来の実業学校はその地域地域に学校に対する需要が先にあったわけで、そういう意味で学校が孤立していませんでした(それでも初期は卒業生に職を見つけるのに苦労していますが)。はっきり言って、内輪もめで、あっちがダメだからこっちがいいぞ程度の薄っぺらの議論じゃ、役に立たないだろうと思います。

学校内で完結するカリキュラムの危険の例として、行きつけの床屋の親父さんの話があります。彼は学校の先生の技術は試験を合格するためのもので、現場では役に立たないと言うのです。彼の経験談は床屋の現場で修行しながらさらに勉強をするために美容師の専門学校に夜学で学んだときのことで、彼から言わせれば、学校の先生の技術では現場で役に立たないとのことです。そして、この前は更に続けて、都内で厳密なカリキュラム作って教えている学校があるそうなんですが、そこの方がかえって余計な型を覚えてしまい性質が悪い。何もやらないでボーっと遊んでいたやつの方がかえっていい、ということでした。

この話は正に芦田さんが常に警告する「資格の学校」としての専門学校の限界なんですね。これを打破しなくてはならない。いずれにしても学校内で完結したカリキュラムを作るというのは、かなり困難であるといわざるを得ない。それは端的に現場から離れている学校での技能形成の困難を物語っています。実際、企業内であっても技能形成をどう効率的にやるかは常に工夫を重ねているわけで、それを学校が出来るんだと考える方が非現実的です。

こうした困難な状況にもかかわらず、芦田さんが作り出したWEBデザイナーのカリキュラムは成功を収めたとのことです。私が芦田さんの議論を信頼するのはこの点です。大学の教育にも職業的レリバンスが必要だと主張するのならば、ご自身の講義がいかにして学生にそういうものを与えているか、かつ、どうやって設計しているのか示すべきです。もちろん、その経験を一般化することは出来ないでしょうけれども、大学の教員には自分の講義を自分で設計することが許されているのですから、最低限、その範囲のことは語れるし、誰からも干渉されないという意味で言い訳は許されないわけです。まず隗より始めるべきですね。

なお、もちろん、芦田さんの作ったカリキュラムも技術革新によって今後陳腐化する可能性は否定できません。それは将来のことですから、誰にも分からない。ただ、否定できない可能性として存在はしています。しかし、実際には、別のフェーズから、そういう危機が来てもある程度、対応できるかもしれないという気がします。が、そこから先はまた、次回ということで。

1時間くらいで書いたので、荒いかもしれませんが、とりあえず公開します。