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名著『技手の時代』を読んで、その書評を書いていたんですが、小路さんが描く実業教育史のなかで一つのひっかりがありました。小路さんは、資料ベースで飛んだ議論をなさらない方なので、あまり掘り下げておられないのですが、実業教育のもう一つの重要なテーマは倫理でした。もちろん、1910年代から20年代にかけて、実業補習教育から出た公民教育が重要な役割を果たし、それが普通教育のなかに浸透していったことは小路さんもよく分かっていて、安岡正篤らの職分論なんかも検討しているのですが、なかなかその先まで突っ込んで行ってくれない。

なぜ、この時期に実業教育から公民教育が重要になったのかにはざっと考えると、いくつかのフェーズが考えられます。まず、大正期には学校制度があんまり社会から遊離していて、このままじゃダメだろうという反省が起こったこと。ちゃんと社会と結びつくという意味で実業教育の重要性がクローズアップされました。もうひとつは、時期的に普通選挙が実施されるようになると、公民(国民、ないし、市民)教育が重要になってきました。さらに、普通教育の最高機関の学生たちが軒並み左傾化するなかで、倫理が重要になってきたわけです。

小路さんは由井常彦先生の研究を引いて西田哲学と倫理の関係なんかも触れているので、この重要な問題をよくご存じなんですよね。由井先生の経営思想史研究って、私も直接先生からお話を聞いて、禅の重要性とかを教わったわけですが、ほとんどの人は注目していないんじゃないかと思います。それがさらっと書いてある。

なんでこの話を書くかというと、中澤二朗さんの『働く。なぜ?』はそういう忘れられた仕事と倫理の問題の探求の書ではないかと感じていたからです。これ自体が修養の書と言ってもよいでしょう。

この本を取り上げるにあたって、マシナリさんが「会社の仕事の土台は「行動量」」ということで、仕事の「量」が大事だという話に注目されているのは興味深いですね。これは研究も同じ事がいえるので、とくに歴史研究であれば見た資料の数であったり、あるいは読んだ本の数(ちゃんと自分の糧にしたという意味ですが)が研究に奥行きを与えるんだろうなと私も思います。どんなに若い頃、評判を取って、その後大家になった人でもその遺産を食いつぶしている人というのはいるわけで、それは見る人が見れば分かります。

マシナリさんも引用されている加賀乙彦がラッシュの新宿の群衆をして「非常招集された兵隊」と描いたという話ですが、1960年代の会社人、特に戦争を経験した世代はそういう意識を持っていたと思います。というのは、少なからぬ人が若くして戦争で死んだ友人たちを安心させるために復興し、経済大国を作ろうとしたわけですから、文字通り、戦争の延長戦という意味があったわけです。だけど、その経験は中澤さんなどの戦後世代では共有されていないし、共有する必要もないと思います。それとは別の何を作るべきなのかなのです。

これだけ過労死やメンタル・ヘルスが注目を集める時代になると、はっきり言って、仕事を中核にだけではなかなか難しいなと感じました。たとえば、キャリア論なんかは人生全体をキャリアと見立てて構想されているわけで、そういうものが入り込んでいます。仕事か趣味かというつまらない二項対立は論外にしても、地域社会のなかでどう生きるのかは退職後の人生の中でも重要なことですし、無視し得ない。

この本を著者から恵贈された労務屋さんがやはり、長期雇用・長期育成に対する堅固な精神で書かれた本と紹介されており、それはそのまま、新日鉄住金だけでなく、トヨタ自動車の哲学もそうなんだろうと思いますが、一番大事なところはそこではなく、仕事観と人生観に触れる部分なんだろうという風に感じました。

私、学生に話そうと思って、わりとすぐにこの本を読みました。しかし、読み終わって、この本は使えないなと思いました。これはちょうど私やもう少し若い20代後半から30代前半の人にこそ大事な本ではないかと思うのです。若いうちはがむしゃらに仕事をして、少し余裕が出て、次に忙しくなっていくその間にふと立ち止まって読むといいんじゃないでしょうか。

でも、結局は人と人のリレーの話なんだと思います。私の心に残ったのは中澤さんの上司の大江さんの話です。それは結局、長期雇用や長期育成ということではなく、ただコツコツと小さな作業を積み上げて、大きな仕事を成し遂げるということに尽きると思います。藤田若雄の影響を受けた大江さんについて、大江さんの部下だった中澤さんが無教会派・藤田の源流である内村鑑三の言葉で語るのもなかなか粋です。

考えてみれば、『技手の時代』というのはそうやって働いてきた日本人を描き出そうとした本で、そのことは何より著者の小路さんが奥田健二さんの研究を継承したいと願い、そうして、大江さんの翻訳のように、自身が30数年かけて大成させた本なんです。数ページずつでいいので、ぜひ読んで欲しいですね。

いつだったか、小池先生が何かの折に、ともに働くことを通じてしか倫理は生まれないというようなことをおっしゃったことがあって、いつも折に触れて思い出しては考えてみるんですが、『働く。なぜ?』はそのときのことをまた思い出して考えさせる本でした。
先日、数年ぶりに孫田良平先生とお会いしてお話ししました(お会いした理由はもう少ししたら、ちゃんとこのブログでもご報告します)。すこし体調を崩されているとお伺いしていたのですが、結構、長い時間、お話しました。そんななかでまた貴重なお話をお伺いしました。孫田先生は佐々木孝男さんとは盟友で、私が佐々木さんのことを『日本の賃金を歴史から考える』のなかで取り上げたことをすごく喜んで下さっているのですが、同時に、生産性基準原理の問題で、私も知らなかったことを教えていただきました。それは、生産性基準原理は熊谷委員会以前にある労働組合が既に労使交渉のなかで使っていたということでした。そして、日経連に生産性基準原理として利用されるときに、実質賃金を名目賃金には変えられてしまったとのことでした。

今、手許にあった労働省編『最新労働用語辞典』(1993年版)の生産性基準原理の項目を改めて調べてみると、さらに59年(1984年)に同盟の研究機関である経済、社会政策研究会が実質国民経済生産性に対しては名目賃金ではなくその年の物価上昇分を差し引いた実質賃金を比較の対象にして考えなくてはならないとする「逆生産性基準原理」を提唱した、とされています。

私は佐々木孝男さんの逆生産性基準原理の論文も読みましたが、あの話は物価が安定しているんだから、むしろ、消費を活発化させるためには賃金を上げた方が良いというのがその趣旨で、つまり、物価の上昇を抑える時期と安定している時期ではマクロ経済政策が変わってくるのは当たり前だというところがポイントだと思っていました。しかし、これが実質か名目かというポイントで議論しているのだとすると、議論の本丸はこちらですね。

これは深い議論ですね(用語辞典として分かりやすいのかという問題は別にありますが)。最近、議論していないから頭の回転が落ちてると言いながら、さらっと一言でポイントを教えて下さる孫田先生。そして、そのポイントを余すことなく短い文章のなかで書いている労働省編の用語辞典。濱口先生いわく、内務省社会局以来の伝統、畏るべしです(ただ、厳密には後藤新平の衛生局まで辿った方がよいんじゃないかという気もしないでもないですが)。
小池和男先生が文化功労者に選ばれました。おめでとうございます。今回の賞は、先生の学問的な業績ということもありますが、先生は政府委員も長く務められて来ましたし、そういう総合的な評価でしょう。

濱口先生が知的熟練の功罪というエントリで取り上げていますが、小池先生については本当に多くの誤解があります。小池先生の学問的なスタートは『日本の賃金交渉』で、世間で考えられていることとはまったく逆の主張をなさっています。このときの一般的な議論は日本の労働組合は企業別組合で、労働市場は企業封鎖市場であるというものです。これに対して、小池先生は鉄鋼、全繊、私鉄労連などを取り上げて、事実上、産別が各企業をコントロールしながら、産業ごとの相場を作っているというものでした。小池先生は1950年代から日本がもっとも合理的という主張でしたが、後にそれはドア先生などが言う後発効果で説明されていました。

小池先生の1960年代の重要なお仕事はじつは二つあります。有名なのは『賃金』というテキストを書いたことです。『賃金』のテキストというのは、それこそ20世紀の最初あたりからありますが、経営工学系(当時の言葉で言えば工場管理)の経営学のテキスト、それからマルクス経済学系統の本など、どれも固くて面白くなかった。あの本は、小池先生の社会科学の考え方(類型論的な発想)が書かれていますし、何より幅広くいろんな考え方を紹介している。ただ、当時は若者の多くを捉えた宇野経済学の段階論が使われていたことがインパクトが大きかったと仰っていた先生もいらっしゃいました。この段階論はわりと、丁寧に宇野経済学を踏襲しており、その後の小池先生の議論は馬場宏二先生なんかに影響を与えています。あと、濱口先生の『日本の雇用と労働法』も驚くほど、小池先生の『賃金』と構成が似ていると思います。

もう一つの重要な仕事は、先ほど書いた産別関連の仕事です。佐野陽子先生をキャップにした『賃金交渉の行動科学』ですね。慶応大学というのは、藤林敬三、西村俊作、佐野陽子という藤林先生はともかく、近代経済学系の労働市場論の伝統があったんですね。それを引き継がなかったのは誰かというと島田晴雄先生です。ただ、これは世代的な問題もあり、つまりベッカーの『人的資本』は佐野先生が訳されますが、1970年代の人的資本論革命が直撃したそのアメリカの様子をレポートしたのは島田先生なんですね。これはもう巡り合わせとしかいいようがありません。『賃金交渉の行動科学』は今でも示唆深いよい本だと思いますが、経済学的に詰めて行って、それで説明できないところをあぶり出して、それを行動科学で取り組もうとした。ただ、これはアイディアでその後、深められませんでした。産別の研究も、じつはその後、あまりやられていませんでした。最近になって名古屋の松村文人グループが『企業の枠を超えた賃金交渉』を出版して、小池先生の『日本の賃金交渉』は言及されていたと思います。ただ、今、産別自体がよく分からなくなってしまって、今の産別をやるのはとても難しいですね。松村先生たちの研究も歴史研究としての戦後の研究ですから。

1970年代の小池先生の代表作と言えば、1978年の『職場の労働組合と参加』ですね。この研究が高く評価されたのは、アメリカと日本の鉄鋼業を比較した点にあります。一つのポイントは国際比較なんですね。この本を読めば分かりますが、濱口先生の知的熟練の定義のように「たまたま今やっている仕事のスキルじゃなく、会社のいろんな仕事を何でもやれるだけの幅広い能力」ではまったくなく、具体的に日本の鉄鋼業ブルーカラーとアメリカの鉄鋼業ブルーカラーを比較して、日本の方が仕事の幅が広いということを言っているのです。欧米の製造業ブルーカラーでは、1980年代以降、ブロードバンディングという職務を拡大するという動きが見られるようになります。ちなみに、変化と異常への対処という知的熟練のコアの概念をつかんだのも、東南アジアの企業を調査した国際比較です。

もう一つ、この時期の小池先生の重要なお仕事は『日本の熟練』のなかの「ブルーカラーのホワイトカラー化」というテーゼです。小池先生ご自身は自分の説がどういう風に影響を与えたのかということはあまり御関心がないのですが、少なくともこのテーゼは1980年代以降の労働史の中で大きな影響力を持つことになります。ただし、もともとの小池先生の話は、ECの統計と日本の統計を比べて、ブルーカラーの賃金カーブが日本の方があがっていく、これはホワイトカラーでは各国でも見られることだから、日本のブルーカラーはホワイトカラー化しているのではないか、ということでした。ところが、この議論は二村一夫先生が取り上げるんですね。二村先生は日本の企業別労働組合について独自に考察を進められていて、そのなかでホワイトカラーとブルーカラーの混合組合であるということを重視されていた。その観点から小池先生の議論を高く評価したんです。「日本労使関係の歴史的特質」にそのことが書いてあります。戦後の労働史の研究は二村先生とともにあったといっていい。それくらい影響力がありました。この頃の二村先生の影響を受けた代表的な研究者はアンドルー・ゴードン、市原博、菅山真次などです。ゴードン先生の『日本労使関係史』は原題が『日本における労働関係の展開』であまりにも兵藤先生の『日本における労資関係の展開』に似ているので、兵藤先生の影響が大きいと見られた。しかし、実際には労働関係(ないし労使関係、ここで労使関係と訳さなかったのはindustrial relationsではなくlabor relationsだからで、労働関係調整法以来、労働関係という訳語があります。が、実際には労使関係とした方が適切でしょう)と労資関係は全然、違った。ということは10年くらい勉強して初めて気づいた。ゴードン先生の議論は二村先生の影響と、実は小池先生の影響が結構、あるように思っています。

小池先生がご自身でご自分の考えをもっとも典型的に整理したのは、Koike, Kazuo, "Skill Formation Systems in the U.S. and Japan: A Comparative Study," in Aoki, Masahiko ed., The Economic Analysis of the Japanese Firm, ELSEVIER SCIENCE PUBLISHERS B.V., Amsterdam, 1984です。小池先生の基本的なアイディアの一つは、技能形成の段階論で、19世紀はクラフト・ユニオンによる技能形成が合理的だったが、20世紀は企業が配置を自由に行えるために、技能形成にもっとも有利だということです(これはこの論文には出て来ませんが、『賃金』から『仕事の経済学』まで一貫しています)。ここで「組織」ということが重要視されていた。このあたりは内部労働市場論の構成要素で企業特殊熟練を前提にする人的資本論が重要だと言いながら、クラフトも内部労働市場だと言ってみたり、アドミニストレーションが重要といいつつ、では人的資本論とは何かといって機械のくせというような、ドリンジャー・ピオリとどちらが優れているか明らかなわけです(とはいえ、公平を期せば、ブルーカラーを組織的に育成している日本をフィールドにしていた小池先生の方がダンロップ以来の旧制度派よりも有利だったんですが)。この論文にはリチャード・フリーマンのコメントがついていて、日本の製造業の強さを文化論や精神論ではなく、経済的に説明したことを、demysitfy、脱神話化と評価しています。ただ、この「組織」という論点は少なくとも、その後、深められたとは言えないんですね。

というか、1980年代以降の小池先生は知的熟練で有名になるわけですが、知的熟練はそれだけではかなり扱いにくい概念になってしまったと思います。この知的熟練論の限界は、むしろ、ホワイトカラー研究に進んだときに起こったと言えます。小池先生のホワイトカラー研究はそれ以前のもののようなインパクトを持っていません。ここからは私の意見ですが、知的熟練で「変化への対応」というのが重要なポイントで、不確実性ということも重視されました。しかし、小池先生ご自身はホワイトカラー研究でもわりと比較しやすい、つまりある程度、他の変数をコントロールされたと見なしてもよいだろうという対象が多かったと思います。そこにはかえって「組織」の観点はなかった。で、私も最近までそれがなんだかよく分かってなかったのですが、私たちの仲間の高橋弘幸さんという方が戦前の三井物産の研究でこの問題を取り上げたんです。そこで、彼はブルーカラーの技能形成は生産設備などに規定されるために高度に組織的にコントロールされているが、ホワイトカラーはそんなことは期待できない、として、戦前の三井物産の全仕事とその技能形成を検討するという膨大な仕事をします。まあ、このあたりは私の書評に書いてあるので読んで下さい。もう一つは、小池先生の議論の特徴は、長期の競争を重視するというところにあると思いますが、小池先生の研究手法は基本的に調査研究でした。調査研究はどうしてもスポットですから、長期の実証となると、歴史研究的にやるしかないですよね。そうなると、なかなか三井物産のように、占領軍が無理矢理作った三井文庫のような資料的条件がないと、この日本ではなかなか難しい。そういう問題もあると思います。

小池先生の真骨頂は調査研究で、その意味で迫真の技能研究は『ものづくりの技能』ですね。というか、そう思う根拠を、書いていいのか微妙なので、書きませんが。。。まあ、全部、具体的です。

ただ、根本的に、技能と賃金は全然、別の話として成り立ち得るんですよ。それはもちろん、リンクさせた方がよいに決まっていますが、そこにはいろんなパス・インディペンデンスもあって、難しい。教科書とはいえ、『仕事の経済学』で知的熟練論を人的資本論や職能資格給と結びつけて説明する必要があったのかなと個人的には今では思います。ちなみに、年功賃金と職能資格給を一緒くたにする議論がありますが、職能資格給は本来、職務分析を前提にしていて、つまり本来は無限定の能力という話では全然、ありません。そうなっているのは、導入に失敗したケースです。

あと、小池先生は二年赤字で解雇が始まる、終身雇用は幻想という立場だったと思うのですが、いつの間にか終身雇用の擁護者みたいな位置づけにされていて、そこは前から謎でした。

2000年代に入ってじつは『ものづくりの技能』を深めた『海外企業の人材育成』がすごく重要だと思うんですが、私はまだここら辺になると、消化し切れてません。差し当たり、藤本先生の書評と、座談会の記録1記録2がありますので、紹介だけしておきます。実は、このあたりになってくると、「組織」の問題がダイレクトに取り扱えるようになってきます。とくに、ブルーカラーの上位の人たちが設計などに関わるようになってくる。これは2000年代以降の傾向なんですが、コンピュータ・グラフィックの進化の影響です。設計図を読めなくても、コメントすることが出来るようになる。もちろん、これは全員ではなく、小池先生はトップ10%と言います。

小池先生は90年代のご研究のなかで日本企業の特徴として「遅い選抜」ということを主張されていました。小池先生の議論は、日本はトップエリートはともかく中間層が優秀なんだということが前提にあって、「遅い選抜」はそれに見合った制度でした。しかし、濱口先生がいう90年代、実際には1980年代の前半から中高年層の処遇問題がありました。これは知的熟練論よりも1970年代に奥田健二先生が提起していたラインを重視する人材育成の方がマッチします。実際、これは広く受け入れられていた。ところが、管理職ポストの問題が出てくる。80年代以降の分社化の流れには、表向きは多角化ですが、この処遇問題、分かりやすく言ってしまえば、分社すれば社長の椅子が一つできる、という管理職ポスト問題が裏テーマとしてありました。しかし、結果としてこの多角化はあまり成功したとは言えませんでした。それから、日米貿易摩擦とその帰結としてのプラザ合意に単を発する円高問題で、海外現地生産が増えます。これらによって日本の製造業の前提条件が大きく変わりつつあります。私はこの前提条件が変わる中で、日本企業の強さは後退するのではないか、少なくとも継承できなくなるのではないかと思っていますが、それはまた別の話ですね。

「遅い選抜」というのはファスト・トラックを作らないで、多くの人にチャンスを与えるということですが、それだけ正社員が確保される必要があります。ところが、非正規雇用が増大している現実を前にそうした制度が維持されるのか、というところに疑問があって、労働問題ではそういうことが議論されて来たわけです。まあ、しかし、一人に期待しすぎてもどうしようもないので、ちゃんとした代替案を自分たちが出せばいいだけだと思いますが。

小池先生のご研究は結果的に1970年代後半に指摘されていた「組織」の問題に帰って行きました。ただし、それはあくまでも結果的にです。もともと持っていた日本企業の競争力という御関心がそこにはありました。

私は日本企業が海外進出を進めると、日本企業の生産方式を学んだ海外の人が強くなって、日本人は負けて行くのではないか、という疑問を持っていて、それを先生にお伺いしたことがあるんですが、その可能性(高いと思われているのか、低いと思われてるのかは分かりません)は認められて、しかし、それが問題であるという感じではなかったように思います。たぶん、本当は現に経済競争が行われているのだから、それは所与なんだ、というだけのことでしょうが、私は別の希望的解釈をしています。先生は愛国者という側面が左系の研究者との対比でも際立って来ましたが、じつはそれと同じくらい、あるいはそれ以上にサッカーを愛されていて、同じルールのもとで競争するのは当然、ということなんだろうな、と個人的には思うことにしています。これだけ真面目にエントリを書いて来て、オチがひどくてすみません。。。
『デモクラティック・スクール』に出ていたコンテンツからコンピテンシーへというのは、労働の世界で言えば、職務から職能へとう変化と同じである。最近の動向で言えば、職務から役割へ、ということである。

この前、ある研究会で議論になったが、制度というのは100点のものを作れるわけではないので、80点くらい取れれば上出来で(そうはいっても初期設計は大事なので)、あとは運用で修正して、加点して行く。こう書くと、PDCAサイクルのように思われるかもしれないが、別にPに戻らなくてよい。Aまでを集積させて、10年くらい経ったら、大きい制度改定をすればよい。というのは、人がそれくらい経つと、入れ代わるし、制度設計は教育効果が高いからである。

その意味で、なんだ昔と同じことをやってるじゃないか、ということになるが、それが成功していたならば、昔と同じ経験をした方が良いのである。とはいえ、技術革新で、たとえば今は1960年代になかったパソコンなどがあり、まったく同じではない。この前、雑談で、賃上げノウハウが必要だけれども、今の時代にあったパソコンを使ったハウツウなどがすごく必要になっているという話になった。ディテールは異なる。だから、奉じる必要はないが、原理原則は知っておいた方がよい。

職務から役割への変化は、昔と同じ、人を動かすのに自由度が高いからである。これは日本企業を真似して、欧米で1980年代にブロードバンドが重視されたのを繰り返している。これは経験する必要はなかったなとは思う。

教育に戻すと、日本の学校教育って現場では一度もコンテンツ・ベースであったことないのではないか。多分、ずっと生活指導的なものが重要な位置を占めていた。これは一概に言えないけれども、儒教的な伝統の影響が下地にあって、それがいつかやまびこ学校的な何かに転換して行ったような気がする。いずれにせよ、生徒の面倒、みるよね。ここのところは平田満先生から頂いた「僕の教師修行」が理論的に優れていたと思う。
連合総研の市川さんから「ストライキ権があるかどうかは組合運動に関しては重要ではありません」というのはいくらなんでも言い過ぎか、あるいは言葉が足りないでしょう、というご指摘をいただきました。そうですね、労使関係を勉強したことがない学生さんへのお返事としてはたしかに少し行き過ぎていたのかもしれません。

2012年の国際労働会議で雇用主側からスト権への攻撃があったことは有名で、労働組合側がそれに対して、団結権・団体交渉権を担保しているのはスト権に他ならない、と主張しているのはまことにその通りです。連合でさえもそこは共通了解になっている、というお話でした。法、権利をめぐる対応としては、まことに労働官僚組織たる連合はまったくお手本通りの正しい主張をしていると言えましょう。

日本国内の話で言うと、戦前はスト権、団結権、団体交渉権、どれも法認されていませんでした。そういうなかで労働組合はストライキを打ったりして、その解決を模索するプロセスを通じて、ようやく交渉のテーブルにつくことが出来ました。そのうちに、労働組合側や争議団が無理な要求をしていない限りにおいては、司法省も内務省(戦前の警察の主管官庁です)も争議を認めるようになりました。実質上はストライキ権が認められるようになったのです。戦後、憲法で団体行動権が明文化されました(これはスト権も含まれます)。しかし、この点だけを強調しすぎると、かえって戦前からの伝統を見失ってしまいます。

たしかに、ストライキ権の有無と、ストライキが行われているかどうかは関係ありません。しかし、ストライキが行われていないという状況は二つに分ける必要があります。ストライキを担保とした団体交渉、すなわち、交渉の切り札としてのストライキです。戦わずして人の兵を屈するは善の善なり、です。もうひとつは、単にストライキを行っておらず、その意味さえも忘れている場合です。

ストライキの重要性は長い間、忘れ去られて来たのではないですか。今年の春闘で関東バスと相鉄がストをやりました。新聞も少しそのことを取り上げましたが、ストライキが交渉の一手段であることが社会的に周知された久しぶりの機会です。その最終手段があるから、団体交渉、労使協議も活きて、抑止効果になる。そういうことも起こり得ます。ところが、連合傘下の組合の一部ではストライキどころか、賃金交渉のノウハウさえも失われかけていたのです。このような状況でストライキに意味があることを、ストライキ権の重要性という教科書的な知識だけで伝えて行けるのでしょうか?

世界には伝統的なストライキとそれを前提にした交渉をやっている国があります。しかし、日本ではどうでしょうか。日本は過去の伝統を継承しているのでしょうか。こたえはほとんど否です。ストライキ権があるかどうかはひとつの基準ですが、さりとて、今の組合活動が市川さんがおっしゃるように、団結権・団体交渉権の担保としてのスト権という形になっているか。相鉄などの例外はあるにしても、大半はそうではないのです。団結権、団体交渉権、団体行動権を担保しているのはいずれも憲法です。そこに相互関係はありません。全部一律に憲法です。

もしストライキ権で戦うとしたら、公務員労働だけです。ILOに何度も勧告されながら、まったく無視している日本政府。これはいくらでも戦う余地があります。しかし、先にも書きましたが、公共労働は一回失敗しているのです。それは単に敗れたというだけにとどまらず、大衆からも味方されなかった歴史があります。まずは多くの人を味方に引き入れなければなりません。今回の震災はそういう意味ではチャンスでした。震災からこの方、一番、割を食ったのは地方公務員です。被災地だけではありません。もう解除されましたが、給与も一時的に下げられていました。

そして、何より今なお、多くの公務員が被災地に派遣されています。岩手、宮城、福島の沿岸地域以外ではほとんど意識的に遠ざけられている観のある震災ですが、公務員だけは少なくとも、派遣されている人たちと彼らを送り出している職場はいまだにその渦中にいます(もちろん、家族も)。その彼ら、彼女たちは大変な労働条件で働いている。しかし、労働組合はその支援もしなかったし、する気もない。自治労や自治労連、連合、全労連だといっている場合ではないのです。本当はここを起点に公務員労働に対するイメージを一新し、それを橋頭堡にスト権まで行けば良かったのです。でも、始まってさえいません。これだけ懸命に働いている人々を助けず、しかも、千載一遇のチャンスを活かさないとは、ほとんど言葉を失います。

もちろん、国際会議で攻勢を受ければ、それに応じなければならない。その意味での連帯は重要でしょう。しかし、国内に関して言えば、今は何も心配する情勢はありません。経営者をどんなに最悪の人間たちであると想定したとしても、彼らに憲法を変えて、団体行動権を剥奪するほどの力はないし、そのインセンティブもないでしょう。日本ではストライキを前提にした交渉を戦術的に行っているところが少ない以上、そんなことをする必要さえないのです。日本はILOが公務員のストライキ権を付与せよと勧告しても聞かないし、逆に、民間のストライキ権を剥奪せよと勧告して来ても、多分聞かないでしょう。そんな弾圧する必要もないところにエネルギーを注いで、わざわざいらない反感を買うインセンティブは経営者にありません。まったくの無駄だからです。金持ち喧嘩せずです。

たとえば、半世紀前の労働組合だったら、総評であろうと、総同盟であろうと、昨年度、話題になったブラック企業と徹底的に対決し、ストライキを打ったり、それを支援したりしたでしょう。2013年はそういうことは起きませんでした。かつて生産性運動が始まったとき、月刊総評で、全労会議の和田さんと総評の岩井さんが対決しました。岩井さんは絶対反対、和田さんは反対したくても無理矢理進められるのだから、むしろ、なかに入っていって監視すべきだということで、結論は相容れないのですが、しかし、お互いとことんやろうというそういう信頼関係、心理的な同志意識はありました。それに比べれば、今は組織は同じでも、労働者は連帯していないと言わざるを得ない。

そろそろまとめましょう。日本では民間企業ではストライキ権が認められています。これを規定しているのが憲法なので、今の時点では剥奪される心配はまったくありません。剥奪される心配もないので、それを阻止するために連帯する運動も生まれません。公務員はストライキ権が認められていません。当事者は問題にしていますが、それ以外のところはどう発言しているにせよ、実質的にはサポートできていません。これだけひどい状況に置かれている公務員を助けない人たちに期待をするだけ無駄でしょう。今後はひょっとしたら、ILOの外圧を受け入れる形で公務員改革のなかに盛り込まれるかもしれません。でも、そのようなことが起こったからといって、かつての総同盟や総評のような、ストライキを切り札とした交渉は行われないでしょう。ストライキ権を獲得しても今のままじゃ、うまく使いこなせないんじゃないでしょうか。

ただ、争いはつづめると、裁判になります。ですから、ストライキ権が認められていれば、裁判を通じて、支払わなければならない損害賠償などを避けられるでしょう。それはそれで大事なことです。しかし、本当に最後はとことんまで戦う覚悟を決める人にはストライキ権の有無は関係ないでしょう。ストライキ権が付与されるよりも、かえってそういう覚悟こそがストライキの重要性を伝えて行くように思います。むしろ、今は権利が保障されていることに安住しているのではないでしょうか。

とはいえ、今年の春闘も昨年末の時点ではほとんど私は絶望していましたが、現場の労働者たちの声で息を吹き返しました。これから課題は山積みであるとはいえ、うれしい誤算、頼もしいことです。ストライキについても、あるいは公務労働についても、私の考えがみな吹き飛ぶようなエネルギーを労働運動が発揮してくれることを祈るばかりです。