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明日の理論科研の全体会での宿題(森班長からの依頼)。そもそもはいろんな角度からつっ込みどころがあるから、議論が活発になるだろうという広田先生の発案。この本は民主党のスズカンこと鈴木寛文部科学副大臣とゆとり教育で勇名を馳せた寺脇研氏の対談。それにしても、教育の人はみんな自分のことを語りたがるんだな(笑)。ちなみに、私は政治的にはニュートラルで、ぜひ民主党がいいとも思わないし、ぜひ自民党がいいとも思わない。いい政策を出せば、その限りでは党派を超えて応援すべきだと考えている。

スズカンと寺脇さんはカタリバ大学の同志でもあるらしい。教育理念や何かでは結構通じるものがあるのだろう。理念、思想のレベルでは、私は彼らが考えている方向に大きな違和感を持っていないし、大筋では結構であるとさえ思う。ただし、その改革の進め方、現状認識の仕方は、これがアジビラであることを差し引いても、というか、もっと根本的なレベルでダメだと思う。それは80年代以降のポストモダン思想の流れの浅薄さと軌を一にしているような気がする。

大雑把に問題を指摘すると、大枠で進歩史観を取っていることがあげられる。進歩史観のいかがわしさというのは、自分達は新しいからよくて、それが分からないやつらは古いからダメだという発想に結びつきやすいことだ。実際、この本で述べられている二つのパターンは、工場型から劇場型へというテーゼとモダンからポストモダンであり、いたるところで工場型思考から抜け出ていないなどという表現が出てきている。そして、残念なのは、工場型という理屈が、通俗的な大量生産概念を一歩も抜け出ておらず、したがって、非常にチャップリン的であり、実際の工場システムの進展とはかけ離れているということである。しかし、こうした理解に見られる特徴は、ただ残念というだけではなく、非常に根本的なレベルで教育改革を混乱に陥れかねない、その予兆であるように思われるのである。

あえて意地悪く言えば、右か左かの当てはめの挑発にのらないのは結構だが、工場型か劇場型か、近代型かポスト近代型かという当てはめはそれとどの程度違うのだろうか?人に当てはめられるのは嫌だけど、自分たちは同じように他人を当てはめるのは構わないのか。ダブル・スタンダードといわずして何と言おう。

端的に言って「工場型」という理解は、家内工業の発展形態である集団作業場レベルの話である。それは現代でもなくなったわけではないが、近代以前からある形態である。工場が非常に単純な仕事しかやっていない、あるいは、職務分析に帰すような単純作業に解体できるという理解は根本的に間違っている。工場制度に関する最初の本格的な考察をしたのはバベッジとユアである。ユアはむしろエンジニアによる技術革新を重視している。近代工場のモデルは19世紀を通じて紡績工場であった。それは一言で言えば、装置産業である。だからこそ、マルクスは機械に従属する労働、いわゆる労働疎外を問題にしたのである。しかし、結局、熟練(最近の言葉で言えば技能)は現在に至るまで消滅することはなく、その内容を変化させただけである。この「工場型」の理解は19世紀末から20世紀初頭の文明批評にでも出てくる通俗レベルではないか。そして、こうした複雑さを理解していないことは「管理」の意味を全く解しないということとほぼ等しい。十分な訓練を受ける機会を与えられない非正規だけで、工場が回ってるとでも思っているのだろうか?

一番の疑問は、そんなに自発が好きなら、なぜ研修というのか。あえて挑発的に言えば、教員資格など全部、廃棄してしまえばいいじゃないか。カタリバ大学のボランティアたちの教育力を高く評価するというのは、私は正しい道だと思うが、そういう機会を専門職大学院における研修制度の充実という形で上から与えるというのは、曽野綾子が唱えた奉仕の義務化と同じではないのか。はっきり言って、理念と政策が矛盾しているのである。別にそのこと自体は取り立てて特別なことではないが、理念が大事だと言って理念を大いに啓蒙しておいて、やっていることは理念と必ずしも一致していないのである。つまり、二人が語る理念をもっともよく実現するためには、カタリバ大学の教育ボランティアに教員資格を発行すればいいのである。何も現行の教員資格の改良に拘る必要などないのである。これは実は彼らの理念からすれば、まったく矛盾していない。教育が学校教育だけで済んでいた時代は学校の中で教師を育てればよかったが、社会教育も重要になるということになると、別に教師は学校以外から調達してもいい。ダブルメジャーで教育を絡ませる必要さえもない。

本来、専門職というのはその技能の専門性によって成立しているものなのである。しかし、現状の日本の教員資格は必ずしもそのような専門性の保証になっていない。鈴木さんが指摘するように、緩くていくらでも取れるからである。にもかかわらず、資格がなければ教員が出来ないというのは、正規の徒弟制度を経ていないで徒弟になるのは違法である、というくらいの意味しかないではないか。普通の職業であったら、市場原理が働くのでアウトサイダーを雇用するところが出てくる。しかし、教育市場ではそれが出来ていない。なぜなら、国家統制が効いているからである。要するに、ギルドの正当性を国家が担保しているのである。だが、国家自体がどのように正当性を担保し続けることが出来るのか、という点については誰も言っていない。

古くは、臨時工から本工の登用、今風に言えば、非正規から正規への登用といったように、教育ボランティアから正規教員を登用するのは、教員資格という縛りを外せば、労務管理的には非常に現実的、かついい制度である。一月未満の教育実習を経ただけの新米教員よりも、数年単位で一緒に働き、人柄も信用できるということになれば、それだけで教員に値するではないか。もう少し、現実的なことをいえば、いきなり正規採用とすることは出来なくても、それまでのキャリアが信頼に値するものと判断されれば、教員資格がなくとも臨時教員として働くことを許可し(その判定は教育現場である学校の裁量)、さらに、たとえば3年間、問題なければ、資格なしで正規教員への登用を許可、さらに正規採用後、2年勤務で普通の教員資格(別の学校でもいきなり正規に教壇に立つことが保証される)が自動的に附与されるという風にすればいい。これさえもあえて資格に拘るならばの話である。

このような案を書くと、現場の教師に対する攻撃であると早とちりする方もいらっしゃるかもしれないが、話はまったく逆である。今までは何の根拠もなく現場の教師が攻撃されてきたのであって、資格もなく横一線になったら、そのときにこそ蓄積されてきた経験の差が彼らこそ教育に本当に必要な存在であることを示してくれるだろう。

それに私は揚げ足取りだけでこんなことを書いているわけではない。彼らが言うように、教育者が「ティーチャー」であるより、「エデュケーター」であるように役割を転換していくならば、それは「メンター」や「セラピスト」という側面を強くせざるを得ない。そうであるならば、セラピストの資格が百花繚乱の態をなしている現状をよく考えるべきである。多様性を許容するということは、標準化の逆であり、したがって、教員の資格が混乱していく方が自然なのである。それを国家が統制するならば、それこそ富国強兵時代の、彼らが言うところの「工場型」発想である。

それにしても完全に自由なコミュニティ・スクールの運営を任すプロフェッショナルを専門職大学院で作るというのは人材育成としてはとても筋が悪いプランではないか。その目的でやるならば、現場経験10年程度の優秀な教員に1年、出来れば2年の監督者教育(再訓練ともいう)を受ける機会を与える方がよい。その教育の場は国内の大学でもいいが、そういうプロフェッショナルを育てるコミュニティ・スクールでもいいし、海外の大学でもいい。もちろん、給与保証、学費免除である。

というわけで、明日のレジュメにしなきゃ。3行くらいでいいか。

追記

あ、そうそう、この本では、民主党が大正デモクラシーから昭和初期の軍国時代への流れと同じ道に行くのを食い止めたというようなことを書いてあったが、その昭和初期に国会で統帥権干犯を主張し、軍部の暴走をリードした代議士の名前が書いていなかったので、念のために記しておこう。

鳩山一郎。
昨日、予習したスミスの読書会に出てきました。なんというか、ものすごい会でした。2時間ほどみな喋りたいことを喋って、1時間ほどは少し反省して(?)次回以降の方向を考えたという感じでしょうか。規範理論班から宮寺先生、現代社会班からイギリス史の岩下さんを加え、さらに稲葉さんも参戦されました。歴史班では私が好き勝手に喋り過ぎた感は否めず、あまり反省していませんが、反省が必要かもしれません。

実況中継的に言えば、森さんと吉田さんがレジュメに沿ってお話されて、その後はフリーディスカッションでした。その場でもその後も言わなかったですが、吉田さんがスミスを評価するときに「すごい作業量」という点に触れていたのを聞いて、やっぱり歴史の人は分野が違っても同じなんだなと感じました。まず信用するか否かは作業量(笑)。それにしても、誰もが実況中継を諦めるほど、話が拡散しました。収拾させる気もなかったというところでしょうか。

理論科研全体のことを考えると、宮寺先生が規範班からいらして、様々な議論を振ってくださったのは大変、有難かったと思います。先生からは、思想をやっていると現代思想から直輸入で現在の社会構想を考える傾向があるけれども、徳川時代から現在に続いている日本的な固有性は何かという問題提起がありました。これはスミスの権利論の日英米比較を受けての話です。そこから、そもそも大陸法と英米法は違うし、英米だけでいいのかというような議論を私が出したら、それを受けて稲葉さんからアメリカはコンスティチューション・ローを最初に作ったし、いろいろな意味で特別という話を出されました。それにしても、イロコイの話を出したとき、打てば響くように返されたのには驚きました。でも、おそらくイロコイの話は他の人があまり議論していないので、多分、色物ではない、まともな研究ではありそうだけれども、稲葉さんも私もまだちょっとどう捉えてよいのかすわりが悪いという感じでしょうか。

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岩下さんからスミスはE・P・トムソン批判を念頭においているが、トムソンの初期工場の時代に労働者階級が出来たという話は今は見直されてきているというご指摘がありました。どういう風に見直されているかといえば、それは一部の労働貴族みたいな話ではないか、という感じだそうです(うろ覚えですみません)。実証的な作業としては、組織のコアになる部分を扱っているけれども、それで全体が見えるのかという問題は残っている、と私も話しました。この点に関連してもう一つ、宮寺先生から出された問題で重要なのは、面白いエピソードが綴られているけれども、これは本当に繋がっているのか、ということでした。この点は稲葉さんが、経済史等の研究成果をお話されて、そういうバックグラウンドがあれば、繋げて読むことは可能だというフォローをされました。ただし、宮寺先生の批判は社会史研究の本質的な問題を突いています。

我々歴史の人間がその研究を信用するか否かは、作業の量と質、のような気がします。はっきりいえば、考証レベルの工夫などはいくらでもあり得るのですが、それ以前に前提として、誠実に作業しているかどうかをやはり歴史を勉強した人間は見ると思います。その基準で行けば、少なくともスミスの研究に文句はありません。にもかかわらず、話が大きいだけにアナザーストーリーもあり得たのではないか、という疑問は出てきます。そこで完全に不毛な議論にしないために、とりあえずの足場を確保しておくという必要があるのですが、その一つの方法が稲葉さんのフォローと見ることも出来るでしょう。私個人は歴史には断絶と連続の両側面があって、先行研究の立ち位置によって、強調の度合いが変わってこざるを得ない、と考えています。

教育と労働の肌合いの差、というのは、細かいところでお互いに感じることが出来たような気もします。稲葉さんや私からすると、戦時労働から戦後への歴史はまだ信頼できる通史と呼べるようなものが出されていない、というのは常識です。が、教育社会学の歴史の方ではとりあえずの説明が出来ている?そうです。この点はカルチャーショックだったようです。私には、教育は労働と違って、ひとつの制度を変更すると、その影響がすごい大きい、というような話が印象的でした。宮寺先生の小学校体験のお話も面白かった(笑)。

そうそう、大正期というのは、労働の世界では戦争の影響で組合の発言権が強くなり、それによって様々なことが変わっていく大変革期であるわけですが、その一方で教育分野でも新教育運動(大正自由教育運動)が起こってくる。で、宮寺先生はデューイ来日、日本を諦め、中国に渡っていった、そんな話を紹介され、それと日本の西洋概念の受容過程との関係を問題提起されたんですが、結局、そこは詰められなかった。また、この時代をどう捉えるか、ということも議論が不十分でしたね。仕方ないけど、話が大きすぎるので。

そういえば、中西先生の影響力の話を少し稲葉さんと議論しましたが、小谷さんのお名前を出し忘れ、したがって、必然的に「レールム・ノヴァールム」の存在もすっかり忘れてました。日本の道徳問題を考える際に、西洋を比較軸として出すならば、これを忘れてはなりませんでしたが、何をボーっとしていたんだろう。

書き忘れたことも多いかもしれませんが、とりあえず、このあたりで。ちなみに、私から出した問題提起はあげてません。当たり前ですが、私の中で新鮮味がないからです。さて、次回はいよいよ戦後の教育社会学、清水義弘に入っていきます。どうなるか乞うご期待。
明日の歴史班研究会の予習として久しぶりにスミスを読む。何度読んでもトマス・C・スミスはすごい。改めてその構想力の大きさに感じ入った次第である。ちなみに、ここに書いても、明日のレジュメは切らないので、関係者の皆さん、悪しからずよろしくお願いします。

序章で本人が書いている通り、この本の大きいテーマは日本の近代化がいかに達成されたのかである。スミス本人の歴史観は大きく言って、江戸時代に明治以降の日本の近代化が準備されていた、といってよいだろう。私も大枠ではこの意見に賛成である。

今回、読み直して得心したのはスミスがヴェーバーの官僚制論を下敷きにしていることである。具体的には、第5章の武士階級が農村から切り離され、その結果、官僚化し、必然的にメリトクラシーが出てくるというロジックである。こういう現象が進展すると、大名家そのものよりも実務を担当する武士の方が重要になる。トクヴィルの絶対王政下の官僚制の観察に似ている。また、スミスの議論と関連する本として笠谷和比古の『主君「押込」の構造』があげられるだろう(講談社学術文庫に入った)。スミスの武士論は第5章から第7章で読める。私が官僚化を重視するのは、武士の官僚化が必然的に、その事務の相手方の一部にも官僚化を促すと考えられるからである。その一つの具体例は農村の富裕層に年貢に関わる事務手続きのノウハウが蓄積されることである。この点で第2章の記述が示唆的である。また、商人たちと取引することでもやはり同じことが起きよう。

ただし、よく考えなければならない点は、官僚制論の中でヴェーバーが指摘した非人格的性質の理解である。この場合、対比語は「人格」であろう。ただし、ここで気をつけておく必要があるのは、スミスの考えている非人格的性質はある組織の中で「属人」的評価がなされないということではない。むしろ、力点はある組織の中の属人的評価が他の所属組織(家格、社会的身分など)に規定されないということにある。したがって、その組織限りでの個人ごとのメリット評価は、通常の言葉でいうところの身分制度を打ち壊していくものということが出来る。逆に言うと、スミスはこの問題には触れていないが、学校という別組織の属性が次の組織でのキャリアを決めていくという点を強調するならば、学歴社会を新しい身分社会と捉える古典的な議論は立派に成立するのである。しかし、その問題は差当り、スミスを考える際にはどうでもいい、ないし、重要度が低いように私には思える。

スミスの議論にもし、問題点があるとしたら、彼の分析対象の多くが社会(における)組織の中の枢要な部分を担う人々であることかもしれない。つまり、武士にしても、農家にしても、商人にしても、実際に彼らの生業を動かしていく主要な部分に光が当っているのである。それはある意味では実証手続き上、当然のことでもある。

だが、そのためにもっとも違和感を覚える点もある。具体的にはE.P.トムソンの有名な時間論文への反論になっている第9章である。その意味を説明するには、そもそもトムソンの議論が古典的なマルクスの議論をどれだけ超えているのか、という点に立ち戻って考える必要があるのかもしれない。私の印象では産業化初期の工場では、日本でもイギリスでも、必ずしもチャップリン的な規律ある時間管理が貫徹されていない。なぜなら、そこでいう多くの工場は、マルクス経済学用語でいうところの工場制手工業であったりするので、機械制大工場段階ではないのである。機械制大工場では機械体系が成立することによって労働が機械に規定される形で行われるので、人間の判断する余地が狭くなっていってしまう、と普通は考えられてきた。労働規律も機械に規定されるのである。俗に言う労働疎外論である。こういう見解をマテリアルな次元から解放し、思想や人々の規範にまで拡大しようとしたのがいわゆるマルクス主義社会史であり、トムソンはまさにその代表選手の一人であったといってよいだろう。初期の工場はアメリカでもイギリスでもドイツでも、もちろん、日本でも見られた、親方請負制のように、いわゆる労働者の裁量の余地は意外と大きかった。そこでの職長は彼らなりの方法で時間管理も行うだろうし、それは農村の指導者が志向していたことと似ていたかもしれない。だが、一般に信じられる単調な仕事を繰り返し行うという意味での労働(時間)規律と同一視できるだろうか。この意味での規律を身につけるには、やはり、近世とは切り離された形で労務管理が必要であったのである。トムソンの議論が日本には必ずしも当てはまらないということを論じるために、かえって彼が作った枠組みに引っ張られてしまったのだろう。

そして、もう一つ、スミスがインプリシットに、しかし、おそらくは意識して論じているのは日本における「公共性」の問題である。ここに踏み込めないと、自然法との対比、近代立憲君主制国家、恩恵の権利の意味などなど、解き明かすことが出来ないであろう。しかし・・・、問題の大きさと眠さから考えて、このあたりで諦めよう。

ちなみに、レジュメを切らない理由は、教育制度との関係で論点を作るのが差当り面倒だからである。その場の流れの中であわせていこう。
前のエントリで私が書いた、
わずか10年ちょっとの間で忘れ去られたということでしょうか。しかし、こういうことを踏まえないで議論するというのは、意図してやっているならば、伝統的左派運動への裏切りであり、意図せずにやっているならば、深刻な学力低下と言わざるを得ません。

を森さんが拾ってくれました(ねじれの補足)。しかし、適当に書いただけなのに、そんなに実証的に(?)リアルに語られるくらい当っているらしいとは驚きです(苦笑)。私が揶揄したのは、むしろ前者です。後者は論理の必然からそうなるというだけに過ぎませんでした。というか、森さん、通り一本、渡ってくればよかったのに。その頃の労働はおそらく近年では(といってももう随分前ですが)、議論するにはかなりのタレントが揃っていたと思います。残念。埼玉の禹さんとか、福島の熊沢さんとか、信州の井上さんとか、岩手の藤原さんとか、一橋の猪飼さんとか。本当はもうちょっといらっしゃるんですが、以上は学会で大体、お会いするメンバーで、多分、書いても怒られない方々です。
だからこそ,この共同研究だということです。教育研究と労働研究とでは,この間の知的な「断層」と呼ばれるものの深甚さには大きな違いがあるかもしれないとは思うのですが,教育研究における“議論の足場の再構築”に関与していただくことは,おそらく労働研究にとっても無駄ではなかろう,と。

労働部門にポストモダンの波がやってこなかったのは、これも人物で説明できます(笑)。熊沢誠先生という大スターがいらしたからです。別にカタカナが混じった厚い本を読まなくとも、みんな、お話を聞きたい欲求を解消できたわけですね。あとはちょっと人気は落ちますが、栗田先生の『日本の労働社会』でしょうか。マニアは石田光男先生の『賃金の社会科学』と『仕事の社会科学』も好きかもしれません。かつて日本の文学青年には左翼が多く、右の人よりも柔らかい読みやすい文章を書いた(そのもう片方で中西先生のような、お世辞にも読みやすいとは言えない文章をお書きになる方がいらした)。というか、ある時期までの日本の近代文学の主要な部分をプロレタリア文学が支えたという事情もあるので、そのあたりの特殊事情が大きいんじゃないでしょうか。何しろ読み口はいいし、分かった気分に浸れます。ただ同じ左といっても、熊沢さんは相当に厳しい批判の矢面に立ってきました。それはかつてタレントが豊富であった時代の左派的労働研究者の健全さであったかもしれません(あれ、これやばいかな)。現在、左系にめぼしい人がいないのは労働も同じじゃないでしょうか。中西先生や二村先生のように、その立場を肯定するか否かは問わず、とにかく勉強してみたいと思わせるアトラクティブな人は私の知る限りではいません。

それはともかく、理論科研のあまりの壮大さに驚きました。ただし、断層はあくまで左派の人たちの内輪の問題であって、だからこそ、私は左派運動これでいいの?と揶揄したわけですが、それは全体の中の部分なので、おそらく理論科研はそんな狭いレベルではダメだと考えています。ちなみに、気を遣っていただいて恐縮なんですが、この研究全体が労働研究に資するかどうかなど、きわめてどうでもいい問題です。と、書くと、じゃ、なんで参加してるんだろう?と思われるでしょう。それは秘密です(笑)。

たぶん,「森戸辰男」に注目する視点と,「杉原誠四郎」さんへのこの評価というのは同根ですね(←決めつけ)。

多分、森さん、段々、眠くなってきたんだと思いますが(笑)、主観的にはこの二つは別です。森戸さんに注目するのは、かつて戦時統制の資料を読んでいたときに培った「政策研究は結局、人で決まっている」という勘が経験上ありまして、多分、25年近くも中枢にいた人はきっと大事だろう、と。それだけの理由です。杉原さんについて注目しなければならないと思うのは法に対する洞察で、おそらくこれが「人格」に注目する観点と重なっています。私の過去エントリでいえば吉田耕太郎論文メモです。そういう意味では、杉原さんは実際に政策形成に影響を与えた登場人物の発言などを追っていますが、私はそれ以上のもの、まさに規範理論に関わる領域についても彼の著作に期待しています。そして、その観点は「個人」よりもそれを超える領域=秩序を捉えています。杉原さんについてはもう少し勉強した時点で書きます。おそらく、それが田中先生が書かれている「非教育」の論理の問題提起に対する答えにもなってくるんだろうと思います。ただ、自然法やコモンローの考え方は絶望的に人に分かってもらうのが難しいんですよね。
どうも「研究計画」を書こうと思って、あまりまとまらないので、理論科研まわりで考えていることを少し吐き出しておこうと思う。

まず、前エントリで捩れは最近のことではないかと書いたので、もう少し補足しておく。私がここで書いたのは、あくまで左派理論の継承の失敗である。が、おそらく問うべきなのは、それを導いた現実(というのも怪しい言葉だが)の変動の方だろう。中教審について言えば、やはり1970年代は一つの転換点である。矢野眞和は四六答申を「高度成長期に作成された最後の優れた答申である」と書いている(教育社会の設計、63頁)。一つはオイルショックによって高度成長がストップするという経済的な変動も重要だが、やはり森戸という大物の退場が考えられている以上に大きいのではないか。経営史の中では、優秀な経営者が何かを成し遂げた場合、その立場がそれを可能にしたのか、あるいはその人物の個性がそれを可能にしたのか、という議論がなされる。後者である場合、往々にして一般性の高い議論にはならないので、前者が好まれやすい。同じような傾向があるのかないのか分からないが、私は森戸の人物をこの場合、重視する必要があるように考えている。しかも、森戸は世代交代の最後であったのではないだろうか。

四六答申の中で、私が注目しているのは、コースの多様化とコースの転換を容易にし、さまざまなコースからの進学の機会を確保すること、という主張である。説明を聞こう。

高等学校では、生徒の能力・適性・希望などの幅広い多様性に応じて効果的に教育を行うためいろいろな問題をかかえているが、とくに多数の者が履修する普通科では、学習の進行と志望の明確化に応じて多様なコースを選択履修させる方法を検討すべきである。この場合、個人の可能性や志望を固定的なものと考えず、適当な時期にコースを転換する道も開いておかなければならない。また、それらのコースや職業科から進学できる道を確保するため、高等教育のがわでも、それらのコースや学科と接続してより高度の教育を授ける機会を用意するとともに、入学者の選抜方法もそれにふさわしいものに改める必要がある。

なぜ、これが重要かといえば、まず普通教育と職業教育の差別がない。この点で特に注目して欲しいのはここで語られる「個性」が「個性そのものを伸ばす教育」ではない点である。あえて「個性」に焦点を当ててデフォルメすれば、あるコースを実際に受けてみたら、各人の「個性」に応じて、合う合わないが出てくるんだから、合わないと分かったときに、フレキシブルに移動できるようにしようということである。まことに親切な制度である。ちなみに、コース別人事を論じる際、こういう制度設計はおそらくかなり可能性で提案される。近年では公務員改革のところで論じられたことがあったはず(あまり自信なし)。

第二の教育改革の時点で「教育の機会均等」を定めるとき、戦前の学校体系が複線型で、一方の学校に進学すると、それより上級の学校に上がれず、袋小路のような種類の学校があったため、これを是正することが課題となっていた(杉原誠四郎「教育基本法」119)。つまり、こうしたコース間の融通性は教育基本法の考え方の延長線上にある。

どうでもいいが、杉原さんの名前が出たついでだから書いておくと、私は左右の思想的立場という価値判断によって学者の研究のよしあしを評価しない(もちろん、そういう傾向がある研究という判定はする)。杉原先生は悪名高い「つくる会」の副会長だが、外野から見てると、どちらの陣営にも本物と偽者が混在している(ように私には見える)。もとより、私と学問的議論をしようとする人の中に「つくる会」の副会長だからと言って、内容を精査せずに杉原さんの業績を否定する人はいないと思うが、念のために書いておく。ちなみに、杉原さんの研究はあまりに深く広いので、今、勉強中であるが、とりあえずの勘で書いておくと、彼は欧米であればいわゆるカトリック系保守になっただろうと思われるほど、宗教と法の思想も視野に収めている。

話を戻そう。このブログ上でも相当に、私は職業訓練への不当な差別を排除すべきだとも述べてきたし、佐々木先生の議論を引きながら、職業教育は単純な技能習得(あるいは職業的レリバンス)以上に、そのプログラムの特性から人格教育にも正しく寄与していると述べた。この点については田中萬年先生にもここで取り上げていただいた(ありがとうございます、田中先生)。ちなみに、杉原さんの「教育基本法」に資料提供した人物こそありし日の佐々木輝雄その人である。

何れにせよ、職業訓練(ないし教育)への差別は残り、相互交流はうまく行ってない。が、実際には世間の差別よりも、主管省庁が文部省と労働省(現在は文科省と厚労省)に分かれていることこそが、埋められない大きな溝なのではないかという気がしないでもない。

おそらく、四六答申以降、コースの多様化と個性のセットが切り離されて、個性が一人歩きしていく。そこから先、どうしてそうなったのか、というのは森さんが今、取り組まれている課題になるだろう。

そうこうしているうちに「研究計画」もとりあえず書いた。