私は「日本における社会政策の概念について」(『社会政策』第2巻第2号、2010年12月)において、黎明期(1950年代から60年代)の社会福祉研究の検討を行った。そのときの私の問題意識は、1970年代後半から綜合社会政策としてソーシャル・ポリシーが輸入され、その流れの中でなし崩し的に社会政策の定義が読み替えられていったプロセスを総括しなければならない、というものだった。この中心になったのが結果的に武川正吾であるというのが私の認識である。だから、私は武川さんには厳しい。私も大河内一男流の資本制社会(賃労働関係と読み替えてもよい)を軸とする社会政策論を相対化する必要があるという認識は共有しているのだが、それを乗り越えていくためにはいくつかの作業が必要であると考えていた。

第一に、大河内理論のメリットとデメリットをきちんと確認すること。第二に、社会政策の英訳はソーシャル・リフォームであったが、イギリスではソーシャル・リフォームでは包含しえない概念として、ソーシャル・ポリシーが登場するという歴史的経緯があり、その必然性を捉えた上で、ソーシャル・ポリシーと日本語の社会政策の関係を整理すること。第三に、ソーシャル・リフォームは一面、社会改良と訳されて来たこともあり、その分野を担ってきた社会福祉(旧社会事業)研究の蓄積を継承した上で、第二の課題を克服すること。

考えてみれば、学説史的な課題は山積みである。大河内一男は批判者の多い人で、服部英太郎、岸本英太郎、氏原正治郎、中西洋、武川正吾がその中でも研究史的に影響がある人であろうか(社会政策本質論争をめぐってもっと多くの人が存在したことは知っているが)。服部から中西まではマルクスという枠があって、その中の解釈論争であると私は理解していた。中西自身はそこからヘーゲルを通じて脱却しようとしたと言えるかもしれない。ただ、理論的なことを外せば、岸本が実証的に(といっても二次文献の勉強だが)イギリスの貧困研究に関心を持っていたことは、絶対的窮乏法則の当否を超えて、その問題関心の歴史的意義を検討する必要はあると思う。同様に玉井金五『防貧の創造』もそうした文脈で理解するならば、問題提起としての価値はあるかもしれない。ただ、1990年代前半での歴史的必然性は私には理解し難いし(学会賞の選考でも同じことが指摘されている)、理論的・方法論的には私は大河内を超えられなかったと理解している(正確には彼の枠組みを使っている)。そうした中で、私は高田保馬との論争がより本質的ではなかったかと考え、これを取り上げた。この論文の重要性を文書に残した人はあまり多くなくて、私の知る限り神代和欣ただ一人である。ただ、うろ覚えなのだが、神代先生は経済学的な文脈で、高田論文を取り上げていたので、私とは問題意識がずれる。これは非常に狭い社会政策研究の文脈での話である。

もう少し視野を広げて、社会福祉研究を見てみると、ここには別様の問題が存在する。非常に端的にいえば、社会福祉研究には、大河内一男を克服して欲しかったのだが、残念ながらそれに失敗した、ということである。初期の社会福祉研究は大河内理論をベースにした孝橋正一がある一方の軸であった。これは大河内理論のバリエーションだから、広義の大河内理論である。それに対して、全然別の立場から社会福祉研究を確立させようとしたのが竹内愛二であり、彼が目指した方向は、私から言わせれば、メアリー・リッチモンドがフレックスナーの反論に答えたのと同じである(ただ、福祉関係でリッチモンドを知らない人はいないのだが、この話をしてもほとんど皆ピンと来ない。これは私には大いなる謎である)。竹内愛二やリッチモンドがやろうとしたことは、簡単にいえば、ソーシャルワークの技能の体系化である。こうした技能論(社会福祉の業界では支援技術という)の系譜は今やいくところまで行きついている。そのレベルは管見の限り、相当に高い。だが、そこには科学=体系的知という伝統的な科学観があって、マルクス的な、あるいは大河内的な社会科学観と対話することは難しかった。その点で、岡村重夫は時間軸を入れて、両者を統合しようという妙手を思いついたのだが、1956年版の『社会福祉学総論』を読むと、社会福祉固有の発展段階を想定せず、資本主義の発展段階で問題解決しようとしたところで、やっぱり大河内理論を克服しきれなかったというべきであろう。その意味では、1956年『社会福祉学総論』とその改訂版1983年『社会福祉原論』の違いは決定的で、しかもあまり上手に整理できなかったと私は思っているのだが、このあたりの岡村重夫論を展開している研究をご存じの方がいらしたら、ぜひご教示願いたい。どうでもいいが、フレックスナーは昔、猪飼さんに教わった。

非常に狭い研究の世界だけで言うと、こんな感じになる。

ただ、戦後の社会福祉には別様の問題がある。一つは憲法の生存権(社会権)によってその正統性が保障されたため、実際の判決などに反論するという意味では反権力でありながら、憲法を不磨の大典とするという意味で御用学的になってしまった。不要に反権力になるもの考えものという気がしないでもないけど、まぁ、実践的にはそれでも構わない。ただ何れにせよ、社会権の存在そのものを問うという話はあまり出てこなかったのではないかとも思う。いや、実は歴史的に精査していくと、憲法以前の無差別平等原則などの占領政策の遺産が重要になる。で、本当は菅沼隆『被占領期社会福祉分析』が提出している議論をどう考えるかということになる。でも、菅沼さんの研究は1990年代、単著になったのも2005年だからなぁ。このことと密接に結びついているのは、アメリカの議論がベースにあり、したがって「個人」が根っこにあるということだ。私の印象論だが、どうもこの「個人」と「権利」思想が日本では媒介するものなしに結びつきやすい気がする。多分、それは自然法観(ないしコモンロー観)をすっ飛ばすからであろう。この課題を丁寧に敷衍していくと、T.H.マーシャルの諸研究とどのように向き合えばよいかという答えも出てくるように思う(論文では示唆的に書いたが、答えは用意してない)。そこまでは行けないので、外堀を埋める形で暫定的な材料としてバズワードと知りながら、私はあえて「社会」ということを言い出したのである。

ここまでの話を全部、丁寧にするだけでも一つの論文に収めるのは無茶なのだが、なお、論じきれなかった問題がある。それがタイトルの「地域」である。1990年代末から「地域」ということが再び注目を集めているが、1960年代から70年代初頭にかけて「地域福祉」ということが非常に注目を集めていく。そのときの「地域」はどうやらアメリカの「コミュニティ」と違う、何か固有のものがあるらしい、ということになった。ここに「社会」を付け加えれば「地域社会」とは何か?という話になるわけだ。何れにせよ、個人の社会関係に還元され得ない何かを意識している点で私の問題意識と近い。なお、「固有性」も謎のバズワードだが、「社会福祉の固有性」という表現とともによく使われる。

個人から地域へというのが、大きな戦後社会福祉研究史の流れなのかもしれない。ただ、そこから先へはなかなか進めなかったという印象を持っている。だが、今回の震災はそういう意味では、今までの枠組みを変えていく可能性を秘めていると思う。それは第一に関西地方には既に阪神大震災の経験を得て新しい意識を持った人たちが存在していること、第二に今回は太平洋側東北と北関東および千葉、長野栄村まで、広範囲にわたっていること、第三に東京も地震(およびその後の福島原発問題による節電の影響)を経験したこと、という新しい条件が揃っているからである。ここから東北各地の地域行政とそれを地域外の人がいかにサポートできるかということが、今後、地方分権が成功するか否かという点で、重要な岐路となっていると言えるだろう。地域外の人というとき、当然、私自身も含んでいて、他人事だとは思っていない。
今日は純粋な解説です。一連の私たちのエントリは労働問題研究者っぽい前提を置いて語られていているので、若干、分かりにくいのではないだろうかという疑いがあります。まして、濱口先生は陰に陽に現実を動かすために、ときにこちらが驚くほどストレートに意見を開陳され、ときには煙幕を張るというようなことをなさいますので、なかなか真意を掴みにくいだろうと心配にもなります。そこで、余計なお世話とは知りながら、濱口先生の考えていらっしゃることを整理し、実はそれがとても真っ当な議論なのだということを確認したいと思います。

まず、前提として押さえていただきたいのは、濱口先生は労働の実践家・研究者でありますが、より広く社会政策・社会保障の領域まで視野に収めて、構想を組み立てられています(これはhamachanブログをご覧の方には自明のことでしょう)。ですが、これは最後のところで、非常に重要なポイントになってきますから、よく覚えておいていただきたいと思います。では、濱口先生の構想を見ていきましょう。

私の見るところ、濱口先生の考え方が非常に端的に表れているのは「ジョブ型正社員に関するメモ」というエントリです。実は、ここで議論されていることを理解できないと、濱口先生がなぜ(マージナル)大学に職業的レリバンスのある教育を!と主張されているのか、その本当の意味が見えてこないと思います。ちゃんと、リンク先に飛んで復習してから、戻ってきてくださいよ。

戦後すぐから日本批判の好きな左翼研究者が主張してきたのは日本資本主義の後進性でした。年功賃金批判も、職務給が導入できなかったことへの批判も、まさに日本が前近代的残滓(専門用語で半封建性といいます)を引きずっているからだというのが彼らの立脚点でした。しかし、それが高度成長を遂げて、ジャパン・アズ・ナンバーワン(これ昔の有名な流行本のタイトルなんですよ)の時代になると、急速に説得力を失っていきます。ですが、さかいさん風に言うならば有効な「話法」は豊富に蓄積されたわけです。なぜ、そんなことになったのかといえば、後進性という立脚点を別にして、管理技術という面では彼らはやはり正確に本質的な問題を掴んでいたからでしょう。それは今でも学ぶ価値があるものなのです。普通に労働問題研究の文脈で考えれば、「ジョブ型」というのはこの線で考えられるべきものなのです。本田由紀さんの議論もこちらの影響がどちらかと言えば強い。

もし、そういう「ジョブ型」の世界にしたいと考えるならば、日本の雇用慣行を全部ひっくり返す必要がある。労働市場を大きく変えなきゃいけない。私が以前に書いたのは、ジョブ型のクラフト労働市場を確立させないで、職業的レリバンスなどというのは詐欺に等しい、ということでした。逆に言うと、エスタブリッシュされた専門職が成立する世界(教職、弁護士など)ではこの理屈は成立するんですね。でも、一般の企業全体をこういう風に変えろというのは現実的かどうか。基本的に職務(給)を確立すれば、物事がうまくいくと考えているような方々はいやぜひそうすべきだという立場だと理解してよいでしょう。これに対して、私は「変えるべき必要はない」という意見と「変わるわけはない」という意見を二つ持っています。たぶん、濱口先生も同じでしょう。

ん?同じ?

ここはとても重要なポイントなので、しっかりついてきてくださいよ。なんなら、前のリンク先をもう一回読んでください。なぜ、そうなるか書いてありますから。濱口先生は「メンバーシップ型正社員」(という不正確な表現は私は使いたくないのですが)をそのまま維持しながら、「ジョブ型正社員」を最下層に作れと二枚腰で考えられているんですね。ここが現実的なところなんです。

実は、私がクラフト云々といったところは、上層部分でメンバーシップ型をジョブ型にしたいならば、クラフト市場を確立すべきだという話なんですね。ところが、濱口先生はここは変えないでいい、下を変えるべきだといっている。ここで、私がこのエントリの序盤にあえて「ジョブ型」と書いて、「ジョブ型正社員」と書かなかったことに注意してほしいと思います。実は、下層部分は『新しい労働社会』風にいえば、「ジョブ型」社会(一応、欧米)であろうが「メンバーシップ型」社会であろうが「ジョブ型」なんです。だから、そういう意味では最初から日本は単純な「メンバーシップ型」社会ではなく、「メンバーシップ型」+「ジョブ型」社会と理解した方がよいのです。ここまで理解できると『新しい労働社会』よりもうちょっとアドバンスクラスに進級です。この下層「ジョブ型」クラスでは、賃金は時間給であれ、出来高給であれ、仕事に対して払われると考えられています。

この(「メンバーシップ型」+「ジョブ型」社会)という基本枠組みを理解した上で、下層「ジョブ型」に注目しましょう。濱口先生のポイントは、現在、非正規であるところの下層「ジョブ型」を新しいカテゴリとして「ジョブ型正社員」にしようというのです。この制度を当世風のワークライフバランスで薔薇色に化粧することもできますが、本質的には雇用による社会保障ですよ。事実、濱口先生は「ジョブ型正社員」に対して企業の生活保障を期待していない。その代わり、国家による社会保障の枠組みを考えなきゃなりませんね、と提言している。リンク先の(4)はそういう意味です。

こうした提案の背景には、戦後日本の福祉国家が「メンバーシップ型正社員」を標準として作られてきたという歴史認識があって、これではもたないということなのでしょう。ちなみに、「メンバーシップ型正社員」を「ジョブ型」に変えるということは、社会保障の基本的枠組みを全部組み替えざるを得ないことを意味します。基本給はテクニカルにはいろんな保険の基準に使われてますしね。変えたい人は本来、ここまでパッケージで考えてくれないと話にならないんです。とはいうものの、もちろん「メンバーシップ型正社員」と「ジョブ型正社員」の相乗りという形にしておけば、社内トーナメントで「ジョブ型正社員」から「メンバーシップ型正社員」に転換するチャンスはあるかもしれません。放っておいても企業は優秀な人材を遊ばせておくわけありませんから、必ずそうするでしょう。しかし、あえて自然によくなることは濱口先生にとっては口出す必要ないんですね。でも、相乗りということで決して閉じていない。

この「ジョブ型正社員」への入り口として、職業的レリバンス論が意味を持ってくるわけです。私は何度か職業訓練あるいは職業教育といったって、エントリ・レベルしか出来ないと強調してきました。でも、濱口先生の職業的レリバンス論はそれで十分なんですね。エントリ・レベルだけは最低限満たしている、と。マージナル大学でしっかり学位を取得することはその最低限のシグナリングになるべきだという論理になってくるわけです。ようやく繋がりました。そういう意味では一流大学や中堅大学でさえ、正面切っては仰いませんが、最初から濱口先生のターゲットになってないんです。

「ジョブ型正社員」というアイディアは久本先生の多様な正社員論ももちろん踏まえていると思うけれども、よほど現実的で筋がいいと思います。ですが、それでも現実的には実現させていくのは難しい。問題領域があるということを認識してもらうだけでも困難でしょう。そういう意味で、必ずしも教育の職業的レリバンス論とセットで出されないんですね。それは戦術としては当然でしょう。

で、仮にここで解説してきたことを「職業的レリバンス+ジョブ型正社員」構想と呼ぶならば、ようやくこの構想が現実的な政策としてよいか悪いかという議論に入っていけることになりました。というわけで、一応、舞台を整えてみました。森班長の次の主演俳優、募集中です。
床屋政談は続く。

マシナリさんから素晴らしいご指摘をいただいたので、少し論点を深めて書きたいと思う。発端は濱口先生の『新しい労働社会』の第4章について私が反論を書いたところから始まる。

『新しい労働社会』の提唱する新しい産業民主主義について
濱口先生によるご紹介

濱口先生のところにコメントを書いたように、私の意図は両方の極を作ることだった。マシナリさんが最初に書いてくださった記事は、まさにその点を正確に捉えてくださっている。第一段階において、私が考えたように二人でキャッチボールができたことをマシナリさんが評価してくださった形になったわけだ。そして、今やマシナリさんから頂いたコメントによって議論は第二段階に入る準備が整ったと考えている。

実は、大石さんとのやり取りで、私は中長期的なことを考えていると書いたにもかかわらず、マシナリさんへのエントリではむしろ短期的な戦術という面から論じてしまった。単純に自分が考えていたことを忘れていただけである。ただ、一つ言えることは、大石さんからもマシナリさんからも同じ問題を提起されたにもかかわらず、ちゃんとお答えしなかったということである。それは何回か前に書いたけれども、自分が主たるプレイヤーでもないのに、政策提言をするという研究者としての姿勢を私が徹底的に嫌い、というだけの理由による。でも、考えてみれば、別にブログは所詮書き流しなので、そう硬く考える必要もないし、何よりもきちんとお返事したいので、床屋政談としてお話の続きをしてみたくなってきた。

完全自主路線の私の立場から濱口さんの極に歩み寄るためには、まず、強制による自主性も自治に含めてよいのではないか、という疑問を投げかけることから始めよう。労働の分野では古くからQCサークルなどの自主管理運動に対して、あれは半ば強制されたものであり、本当に主体性を発揮したものではないという批判がなされてきた。また、地方改良運動という、戦前の内務省が農村に向けて展開したキャンペーンでも同じことが指摘されている(たしか、宮地正人先生)。論理操作だけでいえば、こうした議論はまったく正しい。ここから教育を重視する私の立場は必然的にある種の強制を伴うのではないかと詰めることが出来るのである。

簡単に結論を言うと、教育にはある種の強制が必要だと私も考えている。一般には、受験戦争の詰め込み主義が長いこと批判されてきたし、それに対して、極端な例では昔の素読の効用を持ち出したりして、反論もなされてきた。私は東大の大学院に8年いたので、中には受験エリートも見てきたし、彼女または彼らの中には他人の学説を勉強するだけで、その枠組みを問い直すことなく、安易に納得してしまう人がいることも分かっている。しかし、問題は詰め込む内容や詰め込むこと自体にあるのではなく、詰め込んだ内容を自分で自由に使いこなせないことにあると思う。最終的な理想は、いくつもの異なる考え方を認識し、それを自由に選択、あるいは改良する能力を持つことだろう。その能力を身につける過程において、程度問題ではあるが、必然的に強制を伴うと考えられる。

なぜ、一見、関係ない教育と強制の話をして、自分の議論を叩いたかというと、程度問題としての強制を認めることは、強制的な代表制を許容できる道を開くからである。逆に言うと、前段落の議論を踏まえれば、当然、強制的代表制もその運用次第で、自主性を発揮する制度たりうるのではないかということになるのである。

実際に一律に強制的な代表制を施行するには、いくつかの職場における労使関係の類型を想定しておいた方が良いだろう。たとえば、労働組合が既に存在している場合、労働組合がまったく存在しない場合。存在していて、ある程度、機能している場合、機能していない場合(ここでは仮に機能しているか否かはリーダーシップを発揮するリーダーがいるかどうかにしよう)。実際にはこれを見分けるのさえ、外部からでは難しいのだが。もちろん、もっと現実を知っている方が然るべき分類をするべきだろう。ここは仮の話だ。

労働組合が存在しない場合、そもそも代表と代表が話し合うという形式が意味あることを強制的に知ってもらうという点において、強制代表制には即効性があるだろう。ただし、そこから、本格的な自主活動を展開できるところは多分、一部だと推測される。でも、やらないよりはいいかもしれない。組合があっても機能していない場合、これ以上、悪くならないからやっても構わないだろう。

組合があって機能している場合、中村プランのように非正規にまで自主的に拡延していくことに対して、そうした阻害にならず、促進剤になる仕組みが作れるならば、その限りにおいて強制代表制も歓迎すべきだろう。ただ、促進剤になるという見通しはあまり現実的ではないかもしれない。むしろ、濱口さんが仰るように、不利益分配の仕組みに焦点を当てて制度を作ることを前提とするならば、もはや身分制度があることを全面的に認めて、身分ごとの代表を出す方法を採った方がよいのではないかと思う。まったくの山勘だが、一般に利益配分よりも不利益配分の方が、利害対立が激しくなるのではないか。もし、そうであるならば、その対立を認めてしまって、どこで妥協をするかに問題を絞った方がいい。労使交渉ではなく、事実上の管理者層・正規層・非正規層による身分間交渉である。

制度の順番としては、政労使の鼎立構造の確立が先であって、それが出来れば、私の最初の完全自治路線も非常に重要な意味を持つ。要するに、労働組合がうちはこうやって、これだけの人を供給できますけど、こんな強制的にやってどうするつもりですか?といえるからだ。もちろん、そういえるためには、そういう人を供給できる仕組みを組合が作らなければならない。ただ、これが本当に今の組合に出来るかといわれれば、私も実はあまり自信がない。

そうなると、私が提起したリーダーの育成(運用者の育成と言い換えた方が適切)の問題をどうするか、どこかで改めて考えなくてはならない。現実には、どこが負担するにせよ、教育を行う者をどこから調達するのかなどを含めた諸費用をどこからもってくるか、考える必要がある。おそらく、政策としては完全にそこまで手厚く制度設計するのは、人材面でも、費用面でも、厳しいだろう。そういう意味でも、自治路線は大事なのだ。

何れにせよ、とりあえず制度を作るという箱物行政では、実際に施行されてから困るので、パイロット調査を予めやっておく方がよいだろう。といっても、普通の企業にそれを引き受けてもらうのは難しいから、補助金をつけるなり、あるいは社会的評判をあげるようにするなり、なんらかのインセンティブをつける工夫は必要である。これも先ほどの類型別、さらには規模別等に分けて、何社(あるいは何職場)かで実験した方がベターだ。実験だけだったら各方面の合意も得られやすいだろうし、成功させれば全面的な法案成立も可能だろう。失敗したら?もちろん、そんな好条件下で成功できないようなものは法案自体をやめた方が良い。
昨日、書いたエントリで、「優れた現実感覚を持つ人の政策提言」という表現を書いた。では、私の考える優れた政策提言とは何かを書いておきたい。一言で言うと、実際の政策として実現する可能性の高いものが優れた政策提言である。このエントリは基本的に学術的な要素はほとんどなく、私の個人的な一見解に過ぎないので、あしからず。

世には政策論議が多いが、そのほとんどはこの規準に照らし合わせればゴミである。どうも政策提言を自分の使命のように考えて論文を書く人もいるが、自分の提言がどのようなプロセスを経て、政策として実現するのか、あるいは実際の政策立案者にダイレクトに影響を与える、というような青写真がなければ、画に描いた餅である。それでもその描き方が秀逸であれば、一つの作品としての価値があるが、それさえもないのであれば、存在価値自体に疑問を持たざるを得ない。学会などに行くと自分は何十年もこの政策を訴え続けてきたが実現していないと声高に主張する人がいるが、自分の政治的無能さを公言しているようなものである。まったく恥ずかしい話だ。

濱口さんの本がもっとも優れて現実感覚を発揮していると思えることは、政策がどのように作られるのか、あるいはどのように人々に影響を与えるのか、ということをよく意識している点である。判例に通じているのもそういう観点から理解すべきであって、法律に詳しいなどという話でまとめるべきではない。判例は法の解釈だからである。また、第4章の最後で労働組合に学労使の鼎立関係を確立して、そのなかに確固たる地位を築けと主張しているのも極めて真っ当な意見である。

私の理解している日本の政策プロセスとは簡単に言えば、以下のようなものである。官僚が下案を作る。それを審議会に諮問に掛ける。審議会には役所の然るべき地位の人、経営者の代表、学識者などが入って審議する。濱口さんはこの審議会のところに、労働者代表をもっと送り込めといっているのである。具体的な論点については審議会の中にさらに特別委員会が設置され、その中での有識者が選ばれることがある。以上の人選は基本的に官僚が行う。したがって、原則的には官庁の意向がある程度、審議会が設置された時点で反映されている。ただし、細かい点ではある程度の修正を反映させる(むしろ、ある程度の修正を行うことは大事である)。以上のような作業をとりまとめて立法準備に入る。もちろん、この過程で政治家から修正が入る可能性もある。政治家が口を出すのは、自分たちの背景の支持者の意向を受けての場合もあるが、それぞれの属する委員会で勉強した成果である可能性もあるだろう。そして、法案が国会に持ち出され、法律が成立する。その後、これをどう運営するかは日常的には通達等による判断(意思表示)を通じて所管の行政組織がフォローする。不法行為が絡んでくる場合、裁判所が判断を示す。この間、官僚は非常に重要な役割を担っているのだが、基本的には黒衣に徹することになっている。一応、話を進めるために、上のような簡単な構図を示しておいたが、実際にはもっとゴチャゴチャしているだろう(議員立法などは異なるプロセス)。

今は自民・民主を問わず、官僚を叩くことで投票者の歓心を得ることに忙しい。まったく浅ましいことである。官僚の力を剥奪したら、その代わりに国会議員の行う仕事が増える。にもかかわらず、国会議員を減らすとなると、一体、誰が日本の政治を運営するのか。

今の官僚批判は明らかに度を越していると私は思う。この前、厚生労働省に行ったら、廊下の電気が半分、消えていた。経費節減のためだろう。私は厚生労働省に問題がないというつもりはないが、国家の重要な仕事を担っている人々にこうした仕打ちを加えるのは甚だ疑問である。そこまで萎縮しなければならないというのは間違っている。

制度改革はなんとか今ある官僚の人的な力をより有効に活用できるように向うべきだ。そのためにはある程度のオープン化が必要だと私は考えている。要するに、黒衣に舞台にあがってもらうのだ。ただし、完全なオープン化をしてしまうと、難しい案件の調整に支障を来たす場合があるので、そのあたりは程度問題である。舞台に出てきてもらうというのは、具体的にはたとえば、審議会の中で学識経験者や経営者代表、労働者代表と対等な立場で意見を戦わすというような役割を担うということである。その場合、必ずしも省をあげての一つの立場に固定せずに、対立するいろんな派が出てきた方がよい。ただし、理想は対立する立場の何がメリットで何がデメリットなのかというメニューを正直に提示することである。

オープン化することのメリットは、国民が政策策定のプロセスを知ることが出来るというだけでなく、実際の官僚の仕事が周知されることによって、その内容が本当に尊いものであるならば、官僚が国民からの尊敬を集めることが出来る点にある。そして、官僚が学んだことが直接的に国民にも還元される。それがもっとも健全な姿だろう。

問題は官僚が表舞台にあがったときに、それに対抗できる役割をそれぞれが演じられるかどうかという点である。それは言い換えれば、それぞれの代表を送り出す組織がそういう役割を演じられる人間をどのように育成するかという問題でもある。実は、このあたりが一番の核ではないか。改革は単なる破壊であってはならない。官僚を舞台から退場させるというシナリオを描くにしても、代わりはどうやって供給するのかをはっきりさせる必要がある。これは実は濱口さんの労働組合がもっと審議会等に参加すべきという意見とも関連する。要するに、そもそも数々の審議会等に代表を送り込もうとしない組合のビヘイビアは一体どういう理由で生まれるのかを突き止め、解決する必要があるのだ。

冒頭に書いたように、実現できない政策論議は意味がない。ただ、とにかく文句を言って溜飲を下げるというような効用だけは期待できるだろう。私のここでの話も実現までの青写真を持っているわけでもないし、そういうことに関われるとも、関わろうとも思っていないので、ただの床屋政談だと思って欲しい。
どうもここのところ、社会政策や社会福祉の研究をダーッと読んでいて、一つの結論に辿り着いた。あまりにも当たり前のことと思われるかもしれないが、岡村重夫は偉大である、ということだ。あまりにも偉大すぎて、敬称をつけるのも白々しい。

社会政策や社会福祉の分野では、独自のディシプリンを発見しようと研究者たちはそれこそ、何十年にもわたって、問題提起を繰り返し、見つからないことに苛立ってきた。そういう試みも実は、1990年秋の北海道大学大会で終わりを告げたように思う。もちろん、個々の研究者は研究を継続させていると思うが、残念ながら、それが一つの潮流になりそうな傾向は感じられない。記録を見ると、1997年の100周年大会はさすがにタイトルは社会政策全体にかかるものだが、一人ひとりの報告は専門的である。2003年の一橋大学での大会が新しい社会政策の構想になっている。一橋の大会には私も参加したはずだが、何が論じられたか記憶にない。そもそも、1990年の時点であっても、社会政策は何かというようなことを議論するのはやや時代遅れなものであったらしい。本質論争の記憶を持った人たちがいなくなれば、そういう議論が消えていくのも仕方ないのかもしれない。

社会福祉研究で、ディシプリンに拘る必要がもっとも要求されたのは1960年代までで、やはりそれは社会政策本質論争の余熱が、社会福祉本質論争を呼び、学問存立の危機の時代であったからである。大変、意地の悪い言い方をして恐縮だが、社会福祉学はその後、専門資格がますます社会の中で定着するなかで、それらを目指す人およびその資格を取得した人を対象としたマーケットを獲得したので、学問内容はともかく、存続の基盤は非常に安定した。社会政策はこのまま消えていく危険もなきにしもあらずだが、社会福祉は専門資格試験というドル箱がなくならない限り、未来永劫、安泰である。しかし、危機の時代こそ、熱っぽい議論は生まれるのかもしれない。そして、その頃の社会福祉研究の代表者の一人に岡村重夫をあげることに異論を唱える人はいないだろう。

1956年の『社会福祉学総論』は固有論を打ち出した古典であろう。数年後に各論が出て、その後、改訂された。しかし、1980年代に入り、『社会福祉原論』が出版されるに際して、絶版になった。私は実は最初の版がもっともよいのではないかと思っている。

その基本的なアイディアは三つの社会事業の類型を作ることから始まる。その類型が社会事業の発展段階に応じて徐々に出てきたと考え、そのすべてに通底するものを社会福祉の本質と捉えようとしたのである。社会事業の発展段階という考え方のうちには、社会進化論の影響や資本主義の発展段階への照応なども意識的に取り込もうという意欲も垣間見えるが、何れにせよ方法的には当時としては斬新だったと思う。ただ、社会福祉の拡大の論理(類型Ⅲ)に至ると分かりにくい。限定された対象者から全国民への拡大がいったいどの合理性ゆえに展開するのか、私にはあまり説得的ではなかった。そこは社会福祉の論理が貫徹せず、思想が飛躍を与えたのだと思う。

しかし、私が言いたいのはそういう具体的な内容ではない。当時の社会福祉研究は社会事業から分派したというか、その流れを引き継いでいた。岡村『社会福祉学総論』のすごいところは、そういう戦前のアメリカの社会事業論を丁寧に取り込み、その成果を十二分に摂取した上で、自分がなおかつ新しいものを作ろうとしたことである。要するに、その心意気がすごい(もちろん、学識も)。そのために、時間軸を使ったのは方法の妙であった。

現在は岡村重夫は岡村理論の提唱者という形で流布しているが、それだけじゃもったいない。ちなみに、私は『社会福祉原論』に出てくる「法律による社会福祉」という括りは大雑把に過ぎるので、賛成しない。