今回、私が『労働情報』、というよりは龍井さんに頼まれて、対談を引き受けて、それをネタに大槻奈巳さんと禿あや美さんが対談を行い、それに遠藤公嗣先生と濱口さんがコメントを付す、という運びになりました。濱口先生の記事については一部、先生自身がブログで引用されています。

数年来、濱口先生との論争を何回かここで繰り広げてきたわけですが、はっきりと批判しなかったことがあります。それは小池和男先生の議論の濱口さんの利用の仕方と職能資格給制度の批判、それからジョブ型雇用の推奨が単なるプロパガンダに過ぎない、という事情についてです(小池先生の研究については先生が文化功労者になられたタイミングでこのエントリで紹介しました)。まあ、現実に影響がなければ、私は誰がどんな議論をしていてもまったく気にならないのですが、2000年代以降、とりわけここ数年は職能資格給の「職務」と給与をわりと厳密に結びつけた運用によって賃下げを行うことが広まっており、そういう意味では、職能資格給があたかも職務と切り離された制度であるかのような認識に基づいて行われる議論は現時点では有害であるということです。

私が対談の中で批判したのは、連合の『連合評価委員会最終報告』です。リンクも貼りましたので、ぜひ10ページの賃金論を読んで下さい。対談の冒頭で新しい賃金論と言っているけど、ずいぶん、クラシックなものを持ってきたなあと言っていますが、一番の問題は、職務給や職能資格給の厳格な運用で、仕事が変わらなければ賃金を上げないというロジックで、企業が賃金を抑えてきたのに、水準問題を抜きに、その意図はどうであれ、企業側と同じように職務給を提唱するのは利敵行為ではないか、ということです。この「利敵行為」は対談原稿が上がってきた段階ではまったく違う表現に変えられていましたが、編集の段階で私が元に戻しました(なお、これは校正ではありません)。

私個人は『連合評価委員会最終報告』をまったく評価しておらず、これが労働運動のビジョンを描いたなどという評価を聞くと深くため息をつかざるを得ないのですが、公平を期して言えば、この文書は二つの大きな歴史的意義を持っています。一つは2000年代前半はまだ労働運動のなかでは非正規の労働条件を改善することは正社員の労働条件を切り下げることだという認識が広くあったのですが、現在は連合の非正規労働センターの創設、派遣村等を経て、そういう認識は、少なくとも大声で主張できないように、トレンドが大きく転換しました。今や安倍政権でさえも同一労働同一賃金を政策の根幹においています。もう一つは、外部からの評価を受けたという点です。今日はこのレポートの批判がメインではないので、先に急ぎましょう。

上に書いた私の挑発的な問題提起に対して、まっすぐ答えてくれたのは濱口先生だけです。濱口先生は水準の問題と制度の問題を、分配の正義と交換の正義という言い方で、この両者のバランスを取ることを提言されています。今の問題は、私は交換の正義だと思っていて、連合評価委員会最終報告や禿さんや遠藤さんや遠藤さんの小池批判を援用し続けてきた濱口さんの議論が、企業側に利する水準の切り下げにしか役立っていない、ということです。

そもそも論で言うと、職能資格給はその制度の根本は職務分析によって職能を定めていくので、まったく空疎な能力ではないのです。ですが、その制度の伝道師であった楠田丘先生が嘆いていたように、日本では職務分析が行われず、1990年代くらいまでは職能資格給が運用されてきたのです。職能資格給にはもともと顕在的な能力を評価するはずだった職務分析を前提にする限り、『虚妄の成果主義』で高橋先生が述べたような、潜在的な能力の評価などという機能が入っていたわけではないのです。少なくとも、賃金論においては。それがなぜ、そのような運用が出来たのかといえば、ハイパーインフレから高度経済成長、要するに、バブル崩壊(ちなみに元日経連の成瀬さんは1985年のプラザ合意が転換点とおっしゃっています)まではそれなりに賃上げ=賃金総額の積み増しが行われていたからです。

私は今、年功賃金の能力給説も、生活給説も、かなり後付けの説明だと思っています。もちろん、組織がピラミッド構造である以上、勤続年数の積み上げとそのピラミッドを上っていくことはオーバーラップしますし、それは能力も上がっていくので、そういう意味ではもともと右肩あがりの賃金にはそういう性格がありました。ただ、それが従業員の大部分をカバーしたことは大雑把に言えば、戦後の経済のなかでそうなったと言えるでしょう。これは遠藤さんというか、多くの人がそう思っている日本型雇用システムが1960年代に作られたという話とも整合します。

まあ、もともと小池先生のブルーカラーのホワイトカラー化というのは、1970年代後半の賃金カーブを比較して導出した推論に過ぎないのです。ただ、その推論がとても魅力的で、二村先生をはじめとして多くの人をインスパイアして、小池先生自身もその直観にもとづく研究を重ねられてきたのです。なお、90年代に議論になった仕事表の実在については、そのうち出る『経営史学』の『「非正規労働」を考える』の書評に書いておいたので、興味がある方はそちらを読んで下さい。

濱口先生は周知の通り、ジョブ型雇用の重要性を訴えてきたのですが、私はそんなものは当初から無理だと言っています。これは前にも議論になりましたが、今の時点で新たにジョブ型のようなものを企業を超えて作るとするならば、大がかりな職務分析が必要です。これに対して、濱口先生は以前、ヨーロッパではそこまで厳密な職務分析をやらずともジョブ型が成立しているということを仰ったのですが、それは私から言わせれば、トレードの近代的再編をやったからで(二村先生の言葉を借りれば、クラフト・ユニオンの伝統の刷新)、それがないところでは何かしらの努力が必要でしょう。それは私が思いつく限りでは職務分析しかないわけです。

しかし、現在の状況で、それを実現するのは無理です。無理ではないというならば、財務省を説得して予算を獲得してくるか、財界や労働組合にその資金を提供させるかが最低限必要ですし、予算が確保できたら、それだけの大規模な職務分析を行う人が必要になりますが、どう考えてもそんな人数は日本にはいません。スクール・ソーシャル・ワーカーを全国に配置しようとしたって、全部は無理だよと言うのと同じです。ちなみに、アメリカが今のような世界を作ることに成功したのは、第一次世界大戦時の陸軍の170万人適性評価をやって、総力戦体制あるいはその後のニューディール的な世界で、公的部門がお金を出してそういう調査をやるということが可能だったからです。このようなドラスティックな革命が実現できたのは完全にこのようなタイミングの賜物で、もう今からこのような予算を通すことは日本だけでなく、どの国にも出来ないでしょう。

濱口先生の政策提言は、実現する見通しがあって行うものと、とりあえず極端なことを言ってみんなに考えさせるための問題提起の二つのパターンがあって、この一連の議論は私は後者だと思っていたし、その限りでは何の問題もないのですが、繰り返していうと、近年の職務給・職能資格給の厳格化による賃下げが進展するなかでは、労働条件の低下にしか寄与していないと思うので、ここであえて批判しておきました。ただ、ジョブ型雇用の提唱との関連で言えば、単に考えさせるための提言(新しい労働社会のときの議論がそうです)というよりは、その論理構成から考えて、労働組合への叱咤激励というか、愛情表現なのかなという印象も持っています。それこそ内務省社会局以来の忘れられた伝統です。

じゃあ、どうすればよいのかということですが、それは今回の原稿で濱口先生も書いている通り、福祉国家として生活できる賃金水準を確立することに他なりません。この抽象レベルでは答えは明らかですが、現実的には非常に難しい。たとえば、濱口先生は産業別とおっしゃいますが、複数のアルバイトを掛け持ちしているような働き方の場合、そのすべてが同一産業とは限らないので、産業別という視点では結構、こぼれ落ちてしまうでしょう。もう数年来、考えていますが、ここのところで道筋をつけるには、私にはまだ時間が必要です。誰が生活を保証するのかは、藤原千沙さんも連合総研のDIOで問題提起されていて、濱口先生も丁寧にこの記事を紹介したエントリを書かれています。
渋谷さんの『女性活躍「不可能」社会ニッポン』、だいぶ、前にいただいていたのですが、一回紹介しようとしてエントリを書いていたところ、手違いで消えてしまったので、悪いなと思ってそのままにしていました。すみません。先日、ある機会でこの本の話が出て来たので、新たな気持ちで書いてみたいと思います。

この本は主婦パートの二つの労働運動の事例の詳細なルポルタージュです。名古屋銀行と有名な丸子警報器です。1章から3章は主婦パートにかかわるマクロ的な把握を行っていて、4章(名古屋銀行)と5章(丸子警報器)がそれぞれ詳しい事例になっています。マクロで押さえておかなければいけないのは、主婦パートの多くは生活が楽なわけではなく、満足度が高いというアンケート結果も、その聞き方は不十分なものであるという認識です。正直、ここら辺は玄人でなければ、その当否を検討することは難しいと思いますが、自分の身近なところで、どちらがリアルか、そういう感覚を大事に読んでいただきたいと思います。

労働の現場から労働問題を考える点では、この本の問題意識は東海林さんの『15歳からの労働組合入門』と共通していますね。普通は労働運動にかかわることが難しい主婦パートがどうして労働運動に携わるようになったのか、そしてどのように交渉していったのか、そういうリアルな経過が描かれています。正直、こういうノンフィクションは、要約すると魅力が半減するので、読んで面白さをぜひ体感してほしいです。

この本の中で面白いのは、参議院議員に立候補するところですね。私は労働組合の政治活動について、よくウェブ夫妻の『産業民主制』の19世紀のジャンタの問題意識の話をするんですが、歴史を話さない講義ではどう説明するのか難しいと思います。現在の労働組合の政治活動は、昔からやっている共産党支持は理解できますが(私がこの立場であるというわけではありません、念のため)、連合が民主党、民進党をなぜ支持するのかほとんど理解しがたいです。本当は、話はシンプルなんです。自分たちの労働条件をよくするように、それを実現するために働く人を議員として送り出す。この本で立候補した坂さんはまさに自分たちの労働条件をよくするために議員になろうとしたわけです。

この本を読んでも、団体交渉や上部組合とは何かということを説明できるようにはならないでしょう。しかし、なぜ一人ではダメだったのか、なにを解決しようとしたのか、そのためには職場をなぜ超えていく必要があったのか、そして、なぜ立候補までしようとなったのかということを考えることはできます。そして、こうした活動を支えた家族の姿を通じて、家庭における主婦のあり方についても問い直しています。性別役割分業やワーク・ライフ・バランスという言葉で介さずに、誰にとっても重要な家族を考える上でもよい本になっています。労働運動に携わる人だけでなく、多くの人に読んでほしいと思います。

なお、家族関係については、柏木恵子先生の『子どもが育つ条件』岩波新書もお勧めしています。
今週の土曜日、というか、明後日、大原社会政策研究会で報告します。今年度、計画中の研究所叢書に書く予定の原稿の準備報告です。

2017年5月27日(土) 15時20分〜
法政大学多摩キャンパス大原社会問題研究所会議室
金子良事「戦時期における人口政策、労働政策、国土計画の有機化」

チラシはこちらになります。

本当は準備を進めるべきで、こんなものを書いている時間はないのですが、やっぱり宣伝です。報告内容は社会保障人口問題研究所の館文庫の資料を使いつつ、大原にある協調会や旧労働科学研究所の資料を一部使って、お話しするつもりです。

ざっくり言うと、戦後の社会保障=福祉国家の前提が戦時期に出来ると考えて、その内実を探ってみようというものです。ここまでだと割と常識的なんですが、それを厚生省とかからだけで考えるのではなく、内務省とか企画院とかそういう大きい文脈で位置づけ直そうということです。特に、戦後の社会保障はある時期までケインズ的経済政策、政府がかかわる経済成長と一体ですから、経済政策とも関係します。ちょっと今までの研究は厚生省に批判的な、優生政策(批判)に偏っていた感じがあるので、それとは別の視点を打ち出します。

とはいえ、準備報告なので、先行研究とかは十分に読み込めていないので、その辺は課題です。今の時点では、御厨先生の『政策の総合と権力』『戦後をつくる』とか、日本経済史の戦時期研究、うちの諸先輩がやった協調会研究などが関わってくるなあと思っています。それから、国際的な大きな枠組みで言えば、Alison BashfordのGlobal Populationも関係あるし、そこからインテレクチュアル・ヒストリーつながりでは鈴木貞美『生命観の探求』とかも関係あるでしょう。

ここまでだったら、別にブログで宣伝する必要はまったくないのですが、研究会の前後にでも、社会政策、社会保障、福祉国家の歴史研究に関心がある方と、少し今後のことを相談したいなと思っています。

まだ具体的に書けないのですが、研究会よりも少しフォーマルな形を考えています。特に若い大学院生とか、歴史研究は冷遇されていたり、そもそも相談する相手がいないというようなことも少なくないと思います。そういうところをサポートできるような仕組みを作って、歴史研究を盛り立てていこうということです。ですから、敷居は本当にあげません。そういう関心をもっていらっしゃる方はぜひいらしてください。そういうことなので、出来れば飲み会までいらっしゃれるといろいろお話し出来そうです。飲み会は橋本です。

準備の都合があるので、私のアドレスまで所属とお名前を添えたメールを下さると助かります。アドレスはryojikaneko@gmail.comです。


いよいよ新年度が始まりますね。

2017年度の大原社会政策研究会の第一弾は、JILPTの客員研究員の高原正之さんにご報告いただきます。案内はここにあります。

時間:2017年4月21日(金) 15時20分~
場所:法政大学多摩キャンパスエッグドーム 会議室5階

今回はいつもと違って、高原さんが昨年のJIRRAで報告されて、そのあと、ペーパー化された「解雇規制は本当に日本の就業率を下げているのか?」(『日本労働研究雑誌』2017年特別号)を素材に議論したいと思っています。この研究会では、あまりこういうパターンはなかったんですが、高原さんから論文をいただいて、これをみんなで読んでみるというのもいいんじゃないか、ということで高原さんにお願いして今回の形になりました。議論の前には、高原さんから「解雇」についての簡単な解説をしてもらい、そのあと、論文についての議論をしたいと考えています。

この論文の主旨は、大竹文雄・奥平寛子の実証研究に対しての問題提起なんですが、お二人の研究は解雇無効判決変数と就業率の関係を分析し、労働者寄りの判決が出ているところでは就業率が下がるという結論になるというもので、これに対して、高原さんはデータの解釈の仕方が正しくないのではないかという問題提起をされ、簡単に言えば解雇法制が就業率にどのような影響を与えているのか以前、謎のままであると議論されています。

私は統計関係の研究会に出ないのでよくわかりませんが、本来だったら、この問題に対してのデータと変数の作り方、特にそのような問題についてアプローチするにはどのような方法があり得るのか(改善点等を含めて)などを議論するんでしょう。ただですね、この研究会は、統計学についての前提知識が共有されている研究会ではなく、もともと分野横断的に様々な若手研究者の交流の場にしようという問題意識で開いているので、当然、統計学そのものをよく知らない人も多いでしょう。だから、なぜ、こういうことを議論するのか、というような初歩的な、しかし、根本的な話から聞いてみたいというのも全然、ありです。というか、こういうところじゃないと、なかなか恥ずかしくて、そういう話、聞けないと思うんですよ。そういうのにぜひ利用してほしいです。

老婆心ながら、私自身も統計的な手法を使わないので偉そうなことは言えませんが、どんな分野でも統計学が入ってきているから、基本的なリテラシーとしてある程度は知っておいた方がいいよ、と言っておきたいですね。もう今はいないかもしれませんが、まだ私が大学院生だった頃は、統計的な手法を使うことにどんな意味があるのかといって毛嫌いする人が結構いました。でも、ロジカルに書くという意味では、統計的な実証論文に慣れ親しんでおくのは結構、よいことだと思います。というのも、歴史とか調査とかだと、事実の圧倒的なリアリティに頼って、しばしばロジックが飛んだり、あとは歴史だと、最後は論理で並べるのは難しいから時間で並べるかという誘惑にかられるときがありますからね(私だけ?)。時間順に並べると、なんとなく論理立っているように見えるんですよ、不思議なことに。

それから、高原さんはもともと労働省の統計情報部長をやられた方ですから、統計の実務面にも通じていらっしゃいます。高原さんはこの研究会が始まった頃からよく参加されていたので、最初の頃は飲み会で、官庁の統計を見せてほしいという話をしてもたらい回しにされるんだけれども、どうすればよいのかというような話題が議論になったりしていました。そういう意味では、直接、解雇と就業率だけに関心を持っていなくて、労働統計関係でいろいろ悩んでる若手院生の方もぜひ参加してください。

いつもは事務局の藤原、畠中、私の三人の誰にでも声をかけていただくだけでよいんですが、今回は、資料配布の関係もあって、参加される方は、私宛に所属とお名前を添えてメールしてください。私のアドレスは、ryojikaneko@gmail.comです。どうぞよろしくお願いします。

追記 ちなみに、奥平論文はここです。
法政の大先輩である本田一成さんから新著『チェーンストアの労使関係』をお送りいただきました。ありがとうございます。ここ数年読んだ本のなかでもっともすごい本なんじゃないかなと思うくらいです。大著なんですが、これも本田さんからすれば、詳細に書いた紀要論文のダイジェストという性格なんですね。とにかく、冲永賞をはじめ、今年の労働関係の賞は総ナメだと思います。労使関係に関心ある人は読むべきです。

まず、この本は労使関係史という形を取っていますが、経営史、産業史という色合いも強く持っています。私も十年くらい前までの産業史しかフォローしていませんが、日本経済史系の産業史には、実は労使関係研究ではあまり重視されない隅谷三喜男の『日本石炭産業史』以来、労使関係を重視するという視点がある時期までありました。一人が打ち出してもフォロワーが学説史をきちんとする人たちじゃないと定着しないのですが、少なくとも経済史では武田晴人先生や橋本寿朗先生がその役割を果たしたわけです。でも、本田さんは別にそうした文脈でこれを書いているわけではない。産業史も徐々に、労使関係色が弱まっていっていますし、歴史研究といっても、その時代の世相を反映する側面があるので、こんなに労働運動が退潮すれば、現在の若手に労使関係を重視する視点を期待するのがそもそも無理なのです。でも、その空白のところを埋める研究が強い意志をもって、というよりは危機感とともに出てきた、とも言えるでしょう。

もう一つ、本田さんは労使関係研究のなかでは異色で、労働組合側からだけ見ずに、会社側から見ます。単純なところで言えば、本田さんの既に出された研究は経営研究です。本田さんが法政の経営出身ということとも関係するんでしょうけれども、経営という視点が実は一貫している。本書で本田さんが採用したのは高宮誠さんの研究ですが、結局、高宮さんが早くに亡くなってしまったこともあって、経営学のなかにちゃんとした労使関係研究が日本では根付かなかった。これは惜しむべきことです。その視点を本田さんは継承しています。実は、日本ではなぜか組織論的に労働組合を分析するというのがあまり流行らなかった。ウェブ夫妻の古典を読むと、組合の組織研究ですし、実際にある世代までというか、労使関係研究を志す人は一度はウェブ夫妻の本を読んでいるわけですから、考えてみれば不思議なことです。ただ、念のために言っておきますが、先人が組織という問題を考えなかったわけではなく、あくまで研究という形式になったときに、組織が前面に出てくるものが少なかったということです。他の分野もそうかもしれませんが、労使関係研究って口伝も結構、多いよなという気もしますね。

私は紡績業を研究していたからよく分かるんですが、ゼンセンは繊維の組合で、その最初の組織は日本紡績協会や紡績大企業の存在なしでは成立し得なかった。ですが、誕生時こそそうであれ、組織を見比べてみれば、あの当時の紡績企業のいずれよりも多角化に成功したのはゼンセンです。会社とか組合とかを外して、単に組織として注目すると、ゼンセンほど興味深い対象はたしかにないわけです。そこに切り込んでいった、というのが一つ。ただし、もう一方で、この本はあくまでチェーンストアという小売業界から接近している。だから、小売り組織化の歴史のなかでゼンセンは重要なんだけれども、その前の時代についてももちろん、分析されています。その上でゼンセンが分析されています。

言い換えれば、この本は多角化したゼンセンという組織の原理を一方で分析していて、他方でチェーンストアという産業の労働運動を分析しています。そういう意味では、労働組合側からだけれども、多角化と産業の関係を論じた面白い視点として読むことも出来ます。だから、従来の産業史が日本経済史をベースにしていたとすれば、これは経営史的なアプローチで産業史を描こうとしたともいえるんだけれども、その対象が会社側からというより、労働組合と労使関係からというところが二重に面白いですね。これは日本ではゼンセン以外では成立し得なかったと思います。

この本全体は、結構詳細なケースなんですが、他方で本田さんはすごく理論的にも考える人で、ゼンセンの組織原理をZシステムとか、Z点とかいう概念で提示しています。まあ、ZはゼンセンのZなんでしょう。ただ、この点は推薦文を書いた逢見連合事務局長もコメントを控えていますが、私もどれくらい言えるのかはよく分かりません。私の理解したところだと、Z点とは量が質に転化した時点で、その量とは流通部門の拡大です。大産別主義と強固な内部統制を軸にしながら、それがどこかで転換したと見ている。

具体的な論点は、それこそすごく面白いですし、労働組合の活動について知るためにも本当に重要なことが網羅されていると言っていいと思います(労働時間、賃金、一時金、レクリエーション、大企業労組と産別、ナショナルセンターの関係など)。ただ、その詳細をここで書いてもあまり意味がないので、紹介しません。こういうのは何人かと勉強会をやりながら、議論するのがいいかなと思っていて、現在企画を構想中です。まあ、しかし、私が戦後労働史に取り組めるとしても、数年後だなあ。